第245話 出撃前の来訪者
「閣下、失礼致します」
少年兵がドアを開けると、一人の青年士官が部屋の中へと入って来た。
「うむ。セルジオス。準備は整ったか」
「はっ、第一中隊、準備が整いましたので、これから進発致します」
直立不動の姿勢で、そう報告するセルジオス。
彼は鋼の胸当てで補強した
「うむ、頼んだぞ。第一目標はミリナだ」
「はっ、承知しております」
ミリナはエレトリア領南東の端に位置する、国境沿いの小さな町の名前である。
しかしそこには、国境警備を行う為の要塞が築かれており、常時大隊規模の兵士が詰めているのだ。
ミリナの町自体の経済は、この兵士達を相手とした商売で成り立っていると言えるだろう。
エレトリアからの距離は、直線距離でおよそ五十キロ。
街道整備の進んだ帝国領内とは言え、通常兵士の進軍速度であれば、丸二日はかかる行程となる。
しかし、アエティオスはこの距離を、およそ一日半で踏破しようと言うのだ。
「あまり無理させるな」
「はっ、お心遣いありがとうございます。それでは、これにて失礼致します」
セルジオスは直立したまま、胸に手を当てる簡易的な敬礼を行った後、急ぎその部屋を後にしたのだった。
部屋に残されたのは二人の男。
「クロノス。どう思う? セルジオスのヤツ、相当気合が入っているぞ」
セルジオスの
「ご心配には及びますまい。彼であれば、大丈夫でございましょう。当部隊はあくまでも予備戦力。正面切っての
「確かにな。アレは少々面食らったからなぁ……」
苦笑いを浮かべつつ、尚も話を続けようとするアエティオス。
――コンコン
しかし、次の言葉は、遠慮がちなノックの音に
「失礼致します」
「ん? 入れ」
どうやら、セルジオスを見送りに出ていた少年兵の様だ。
「失礼致します、閣下。今ほど奴隷商を名乗る男が参りました」
少年兵は入室するなり、来客を告げる。
「おぉ、そうか。ここへ通せ」
「はっ」
少年兵は、アエティオスの承諾を得ると、静かにドアを閉めた。
「准将閣下、奴隷商とは?」
「いやなに、遠征に伴い
「ははぁ、左様でございますか。さて、それでは私も
そう言って立ち上がるクロノス少佐。
彼はセルジオスと同じ兵装で、本来数多くの勲章で彩られているはずのその胸には、ほんの僅かな胸章が光るのみであった。
まぁ、元々そんな事に
「はは、心配するなクロノス。何人か
「はっ、それでは後ほど」
丁度そこへ、彼と入れ替わる様に紳士風の男が入って来た。
「アエティオス閣下。ご
その男はアエティオスの前に
「儀礼の挨拶はよせ。私も、もう進発せねばならん。手短に頼む」
「はっ、これはご多忙中の所、大変失礼致しました。それでは早速」
奴隷商の男は入り口のドアを開け、誰かを呼ぶ様に手招きをした。
すると、屈強そうな男達に取り囲まれた奴隷達が、一列に並んで部屋の中へと入って来たのだ。
大体二十名ほどはいるだろうか。
粗末なチュニック姿に素足。牛皮のベルトにより両手が拘束されている事から、容易に見分けが付く。
しかも全員の手は荒縄で繋がれている始末だ。
恐らく街を移動する際に、逃がさない様にする為のルールなのであろう。
奴隷商の男は、その中の一人を
「こちらが昨日お話し致しました、ベルタでございます。……ベルタ、前へ出よ」
「……」
「何をしておる。さっさと服を脱げ」
「……」
彼女は無言のまま。
いや、一瞬だけではあるが、鋭い視線で奴隷商の男を睨み付けた後、麻で出来た粗末なチュニックをあっさりと脱ぎ捨てた。
「このベルタ、メルフィの
「どれを取っても、閣下のご要望を満たす品であると自負しております」
一糸まとわぬ彼女の肢体を眺め、満足そうに
「うむ。そうだな。しかし、剣は使えるのか? 従者として使うには、ある程度戦えなくては困る」
「もちろんでございます。彼女はこう見えましても、投げナイフの使い手でございます。しかも、少々珍しい得物を使いますれば……おい、お見せしろ」
「……」
やはり彼女は一言も喋らない。
今度はアエティオスを睨み付けたまま、奴隷商配下の男から、何やら大きめの皮袋を受け取ると、その中から複雑な形状をした刀剣を二つ、取り出したのである。
現代日本人の感覚からすると、四本のブーメランを繋ぎ合わせ、『まんじ型』にした物、と言った方が解りが早いだろうか。
刃渡りの部分だけでも二十センチ程はあるだろう。
彼女はその刀剣を両手に持ち、いとも簡単に振り回し始めたのだ。
――フォンフォンフォン……
彼女がその刀剣を振り回すたびに、羽音を思わせる不気味な風切り音が巻き起こる。
複雑な形状の割には重心が上手く計算されているのであろう。
彼女の手の上で、その刀剣は面白い様に回り続けるのだ。
「こちらは、ベルトゥアンナイフと申しまして、現地の部族が投げナイフとして用いているものでございます。その切れ味たるや……」
「もう良い。もらっておこう。いくらだ」
即断即決。
元々あまり思い悩む
少なくとも彼女には、彼の気を引き付ける何かがあった。今はそれだけで良い。
特に人の良し悪しの判断は、なかなかに難しい。使ってみて、駄目ならば捨てれば良いのだ。
そう、それだけの事が出来る十分な財力と地位が彼にはある。
「はっ、ありがとうございます。ところで准将閣下、実はお取引の前に折り入ってご相談が……」
「なんだ、言ってみろ」
「ははっ、実はこのベルタ、弟がおりまして。どうしても姉弟そろってでないと嫌だと申しておりまして。お代については勉強させて頂きますので、是非、弟の方もお小姓の一人に加えては頂けないでしょうか?」
低姿勢ながらも
良い
それこそが、商人と言うものであろう。
「うぅぅむ。そうだな。今までは身の回りの事全て、軍の従者にやらせていたが、流石に自分の金で奴隷の一人や二人、抱えておかねば格好も付くまい。見せてみろ」
「ははっ。おい、ブルーノ。前へ出て来い」
早速、奴隷商の男は、後列に並ぶ一人の少年を呼びつけた。
「はい。ただいま」
おずおずと、アエティオスの前へ進み出るブルーノ少年。
先程の
顔立ちは少女の様に柔和で、身長も低い。
伸ばし放題の髪とも相まって、二人は姉妹の様にさえ見えるのだ。
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