第238話 始動する思惑

「……と言う事だ。リヴァディアへの救援派兵の件、準備が整い次第出立しゅったつせよ」



 部屋の中央に置かれた豪奢ごうしゃ長椅子ソファー


 その肘掛ひじかけにもたれ掛かりながらも、次々と指示を出す一人の男。


 少し落ち着かないのだろうか。


 肘掛ひじかけに添えられた左手は、なぜか小刻みにふるえている様にも見受けられる。


 ただ、男はその様子を誰にもさとられたくは無いのであろう。


 最初は自身の右手で押さえつけてはみたものの、結局はトガのはしを使い、肘掛ひじかけごと覆い隠してしまった。



「はっ、かしこまりました、早速準備致します。出立は明後日……いや、明日の夜には必ず」



 指示を受けた青年は、片膝を付き、深々と頭を垂れる。



「うむ。出立前の挨拶は無用じゃ。行けっ」



「はっ」



 青年は頭を垂れたままの姿勢で立ち上がると、そのまま後退あとずさる様にして部屋の出口へと向かう。


 本来であれば、ドア付近にいる使用人メイドがドアの開閉を行うものなのだが、この時は内々の話……と言う事で既に人払いがされており、ドアの前には誰もいない。


 青年はみず流麗りゅうれいな手つきでドアを開けると、そのまま静かに退出して行った。



 ――パタン。



 出入口のドアが完全に閉まった事を確認した後、長椅子ソファーの後ろに立つ男が、改めて口を開いた。



「アゲロス様。アエティオス准将は、手元に残しておいた方が良かったのでは?」



「ふっ、確かアエティオスはサロスお前のイチおしであったな。しかし、もう時間が無い。様は大変ご立腹だ。それに、一度を初めてしまっては、連絡の付けようもない。臨機応変と言う意味では、ヤツ以上の適任者はおるまい」



「はっ。確かにその通りにございますな。そうしますと、懸案けんあんのルキウス将軍は如何いかが致しましょう?」



 尚もサロスは冷静に、アゲロスに対して判断をうながして来る。



「うぅぅむ。ルキウスヤツは先代からの上席大将であるからな。一筋縄では行くまい」



「で、ございますな。既に探りを入れてはおりますが、ご同意いただける見込みは少ないかと」



 まるで他人事の様な言い回しではあるが、それが彼の言い方なのであろう。


 アゲロスの方も、全く気にする素振りは無い。


 と言うよりも、こうやってアゲロスに対して逐次ちくじ疑問を投げかける事で、アゲロス自身の考えを整理して行く……と言う、二人の間での長年にわたって行われている儀式の様なもの、と言えるのかもしれない。



「うぅぅむ。……サロスよ。何かはあるか?」



「はっ。そう言えば、昨日到着しました南方大陸からの手紙に、またしても獣人達に不穏ふおんな動きがあるとの一報がございました」


「現在の総監であるガッルス将軍ではいささ心許こころもとのうございますな。彼の御仁は、略奪は得意ではございますが、説得等には不向き。既に城塞都市も出来上がりつつある中、余計な争いは避けつつ、そろそろ共存共栄きょうぞんきょうえいの道を模索もさくするのが良策かとは思います」



 静かにうなずきながら、話を聞くアゲロス。


 そのうち、彼はテーブルに置いてあったワイングラスをつままみ上げると、その香りを楽しむかの様に、自身の鼻先へと近付けて行く。



「うむ。良い香りじゃ。若いワインの爽やかな香りも楽しいが、年代物の年を重ねたワインの持つ奥深い香りも素晴らしい。適材適所、それぞれ使い道があり、それぞれ、楽しめると言う事じゃのぉ……」


「うむ。面白い話であった」


「サロス。早速ルキウスを呼んで参れ。南方大陸総監を交代させる。南方大陸城塞都市は、マロネイア家の生命線じゃ。更なる発展には、現地住民との深いきずなが必要となろう。その様な事が出来るのは、ルキウスをおいて他におらん」



「はっ、アゲロス様のご慧眼けいがん感服仕かんぷくつかまつりました。それでは早速ルキウス将軍をお呼びしましょう。また、もう一点よろしいでしょうか?」



「うむ。何じゃ。申して見よ」



 サロスはアゲロスの持つワイングラスへと、新しいワインを注ぎ入れながら話し始めた。



「この度、私が不在の際に、アゲロス様が何者かに襲われると言う事態がございました。これは忌々ゆゆしき問題にございます。既に屋敷内全域に緊急事態を宣言し、防備を固めている所にございます」



「うむ。それで」



 折角問題の一つが片付かたづ目途めどが立ち、先程からの機嫌イライラも収まりかけたアゲロスであったが、またもや不機嫌な表情に。


 それもそのはず、アゲロスにしてみれば、、自身の命が狙われるなど、全く笑えない話題ではある。



「しかし、先程のお話しの通り、リヴァディアへの救援、更には、南方大陸への遠征など、ついえもへいも不足しております。ここは如何でしょう。エレトリア評議会お呼び、帝国元老院の方へ、今年の年貢免除と傭兵の募集について、ご裁可頂ける様上申されてみては……」



 次第にワインを飲む手が止まり、サロスの話をゆっくりと脳内で反芻はんすうし始めるアゲロス。


 やがて、彼はワイングラスを元に位置へと戻すと、大きく息を吐き出した。



「うぅぅむ。仕方あるまいのぉ。『高貴なる者の義務』は果たさねばならぬ。そうじゃ。ワシは帝国貴族であり、エレトリア上席評議の一人である。帝国元老院からの命令を遂行する為には、ついえも人手も必要じゃ。そうじゃ、そうじゃ。これは決してマロネイア家の為では無い。帝国の為、ひいては帝国人民の為でもある。そうじゃのぉ。サロスよ」



「えぇ、もちろんでございます。常に公益を第一とされる、アゲロス様ならではのご発想にございますな」



「うむ。そうであろう、そうであろう。それでは早速、この話進めてくれ」



 アゲロスは満足そうに頷きながら、羽毛が詰め込まれたクッションの間にその身を沈めて行く。



「はっ。かしこまりました。それでは引き続きルキウス将軍を……っと、あぁ、いや。その前にイリニ家政婦長を呼びましょうか。戦士にも休息は必要でございますからな」



 そんなサロスからの進言に、アゲロスは口角を上げてうなずき返した。



「あぁ、そうだな。ルキウスを呼ぶのは、でも構わんな」



「はっ、御意ぎょいに」



 サロスは、うやうやしく一礼しながらも、自身の想いを巡らし始めた。


 後はイリニ家政婦長に任せておけば良い。


 彼女であれば、既に何人かは見繕みつくろっている事だろう。抜かりは無いはずだ。


 やるべき事は多い。しかし、時間は不足している。


 本来であれば、自分の右腕として、是非とも欲しい人材ではある。


 こんな、奥女中のたばねを行う様な器では無いのである。『くれないの女剣士』と言う二つ名は伊達では無いのだ。


 しかし、まぁ、物は考え様である。


 彼女がいるからこそ、自分は安心してアゲロス様のおそばを離れる事が出来るのだ。


 自分なりに納得できる答えを導き出したサロス。


 彼は、すぐそこにいるであろうイリニ家政婦長に声を掛ける為、廊下へと向かうドアノブへ、そっと手を伸ばした。

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