第214話 襲撃

「っふぅ……っふぅぅぅ……」



 そのは、建物の陰から、きらびやかな貴族行列を眺めていた。


 は、粗末そまつなトゥニカに、大ぶりの帽子ペタソス目深まぶかに被り、目のあらあさられたシーツをトガの様に体に巻き付けたちで、はたから見れば、田舎いなかから出て来た出稼でかせの様にしか見えない。


 ただ、その帽子ペタソスの下から覗く彼女の鋭い眼光には、とても堅気かたぎの者とは思えない、あからさまな殺意さついが込められたいた。


 少女は輿こしの進む速度を慎重しんちょう見極みきわめた後、路地ろじの奥へと後退あとずさって行く。


 路地ろじとは言っても、両手を広げればそれぞれの壁に手が届きそうなぐらいにせまい。


 集合住宅インスラ集合住宅インスラ隙間すきま


 薄暗く、ジメジメとして、誰からも忘れ去られたかの様な、その路地みち


 その所為せいなのか、大通りの喧騒けんそうとは裏腹うらはらに、路地ろじく人は誰もいない。


 彼女は通り側から随分距離を取った場所で立ちつくし、静かに人の群れを眺め始める。


 いや、そうではない。


 人垣ひとがきのその向こう。


 大通りの中央に現れる獲物えものの姿を、一日千秋いちじつせんしゅうの想いで待ち構えているのだ。


 やがて、群衆ぐんしゅうの頭越しに、屈強な四名の奴隷に担がれた輿こしが見え始める。


 優雅に舞い踊る妖艶ようえんな美女達。


 それらをはやし立て、歓声かんせいを上げる人々。


 そして……。


 輿こしを担ぐ屈強な男達をも凌ぐ偉丈夫いじょうぶが、ゆっくりとその姿を現した。


 彼は周囲に警戒の目を配りながらも、自身に向けられた黄色い歓声かんせいに、満更まんざらでも無い様子だ。



 ……時は来た。



「っふぅぅぅ……」



 呼吸を止め、獲物タロスを睨み付ける少女。



 すると突然。


 少女は獲物タロスに向かって、全速力で駆け出して行ったでは無いか。


 一体どうしようと言うのか。


 彼女と獲物タロスの間には、二重、三重の防護壁ヒトの群れが横たわる。


 そんな事はお構い無し。


 彼女は更に加速して行く。


 そして。



「はっ!」



 ――タンッ、タンッ、タンッ!



 掛け声一発。


 彼女は自身の右側の壁を蹴り上げると、その反動を利用して今度は左側の壁へ。


 更にもう一度右側の壁を蹴り上げた時点で、彼女は建物の二階を優に超える高さにまで到達。



 ――バタバタバタッ!



 走りこんで来た勢いそのままに、麻のシーツをマントの様になびかせ、獲物タロスに向かって一直線に跳ぶ。


 彼女の腕には、既に渦とも炎とも取れる黒い縞模様タトゥーが浮かび上がっており、自慢の研ぎ澄まされた爪は、獲物タロス喉笛のどぶえき切るべく、その準備は、万端ばんたんの状態だ。



 眼下に見える群衆。


 更にその先、輿こしのすぐ横を悠然ゆうぜんと歩く獲物タロス


 獲物タロスは歓声を上げる群衆ぐんしゅう所為せいで、彼女の事には全く気付いていない。


 その証拠に、未だニヤけた笑いを周囲に振りまいているでは無いか。


 彼女は更に想いを巡らす。


 このまま獲物タロスの背後に襲い掛かり、ヤツの喉笛のどぶえき切った後、その余勢よせいを借りて、そのまま輿こしへと踊り込み、御簾みすの奥にいるアゲロスをも、その爪の餌食えじきにしてくれる。


 そのおもえがく完璧な未来像に、思わず口角を上げて、あやしい笑みを浮かべる少女。


 そして、今まさに路地ろじから踊り出し、群衆ぐんしゅうの頭上へ到達しようとした、その瞬間。



 ――ドスッ!



 自身の脇腹わきばらにめり込む



「……グオボッ」



 今ので、内臓の一部がヤラれたらしい。


 胃液とともに大量の血液が彼女の口からほとばしる。



 ――バアン!



「ギャンッ!」

 


 しかも、脇腹わきばらに受けた衝撃の反動により、跳躍ちょうやく時の勢いそのままに、側面の壁へと激突する彼女。



「くっ!」



 このままでは頭から地面に落ちる。


 咄嗟とっさに身を丸め、無理やり体をひねる事で態勢たいせいを立て直そうとするのだが、思う様に体が動かない。



 ――ダァン、ダダァン!



 結局、建物二階の高さから、地面にそのまま落下。


 ほとんど受け身を取る事も出来ず、二度、三度と地面に叩きつけられる彼女。



「ぐぅっ!」



 脇腹わきばらだけでなく、全身を襲う激痛げきつうに思わず顔を歪める。


 それにしても、一体、何が起きたと言うのか?


 いや、そんな事より、もっと大切な事、それは。



 ここはだ。



 彼女の中の『野性の勘』が今、最大級の警笛けいてきを鳴らしている。


 考えるのは後だ。とにかく立て、そして、逃げろ。逃げるんだ。


 彼女は震える両足を叱咤しったしつつ、何とか立ち上がろうとする。


 

「ほぉぉ。やはり、獣人と言うのは頑丈がんじょうじゃのぉ。ワシの打ち込みを受けて、まだ立とうと言うのかぁ? これは恐れ入ったのぉ」



 場違いなぐらいに緊張感の無い声。



「えっ?」



 思わず彼女は、声のした方へと顔を向けた。


 するとそこには、黒地に金の装飾そうしょくを施したよろいに身を包み、己が身長の二倍以上はあろうかと言う大槍おおやりを抱えた一人の老人が立っていたのだ。


 その老人……。


 確かに歴史を感じさせる、深いしわが刻み込まれたその顔は、間違いなくその男性が老齢である事を物語っていた。


 しかし、幾多いくた刀傷とうしょうが見受けられるその男の肌は褐色かっしょくに輝き、よろいに収まりきらない隆々りゅうりゅうとした筋肉を見る限りは、壮年そうねんの戦士であるとしか思えない。


 そのアンバランスさ加減かげんに、思わず気味きみの悪い違和感を覚えてしまう。



「お前っ!」



 全身の痛みも忘れ、急にその場から飛び退すさると、老人に向かって身構みがまえる少女。


 それもそのはず。


 丁度ちょうど一週間前。


 彼女に万引きのぎぬを着せ、更には衛兵に引き渡した張本人では無いか。


、威勢が良いのぉ。しかし、万引きぐらいであれば見逃してもやれるが、を襲うとなると、そうも行かぬのぉ……」



 老人の顔には柔和な笑みが浮かぶ。


 しかし、その目の奥には、少女の背筋を凍らせるに十分なやみが感じられた。


 尚も老人からの追撃を恐れ、身構えたまま一歩も動けない少女。



「どうした? まだワシとやり合おうと言うのかのぉ?」



「シャァァァァッ!」



 問答無用。


 彼女の継戦けいせんの意思は変わらない。


 盛大に発せられる威嚇音いかくおんはそのあかし



「そうは言ってものぉ……」



 老人はさも不思議そうにしながら、彼女へと問いかける。



「……ヌシの自慢のはここにあるぞぉ? ほれっ」



 老人は、自分の足元に転がっていたを拾うと、彼女の方へと投げて寄越よこした。



「えっ?」



 投げられた物を受け取ろうと、咄嗟とっさに右腕を差し出す彼女。



 ――ボトッ



 しかし、彼女はを受け取る事が出来ず、足元に取りこぼしてしまう。


 なぜ?


 そんな疑問を胸に、足元に転がるに目をやる彼女。


 しかし、には見覚えが……。



「アッ!……ガッ」



 声にならない。


 それもそのはず。


 彼女の足元に転がるのは、黒い縞模様タトゥーが浮かび上がる右腕。



「ギッ! ギャァァァァァァァァッ!」



 思わず叫び声を上げつつも、自身の右腕に視線を移す。


 すると、そこにあるはずの右腕は、ひじの付け根あたりから忽然こつぜんと消え失せ、その先端からはたきの様に鮮血せんけつ噴出ふきだしていた。



「グウッ!」



 突然、襲い来る激痛げきつう恐怖きょうふ



 ――マズいっ! 逃げろ、逃げろ、逃げるんだっ!



 彼女の中の本能ほんのうが、一刻いっこくも早く逃げろとさわぎ立てる。


 しかし、渦巻うずま憎悪ぞうおは、それを「了」としないのだ。


 結局はかたきのタロスに、傷一つ負わせてはいない。


 そんな状態で、この場を去る事など、出来ようはずが無い。



 ――この老人をたおし、タロスをころせっ! 殺すんだっ!



 にくしみに支配され、タガの外れたが叫ぶ!



 ――無理だ。アイツは強いっ! 逃げろっ! お前には絶対無理だっ!



 本能がえる!



「うるさい、うるさい、うるさいっ! うわぁぁぁぁっぁぁ!」



 全てを断ち切る様に、さけび始める少女。


 すると突然、彼女は地面に転がる自身の右腕を拾い上げると、きびすを返し、路地の奥へと走り去って行く。



 何もかもを捨て、覚悟を決めてこの場に来た。


 ……はずであった。


 しかし、まだ十三歳の少女である。


 太古たいこの昔より、DNAの中に刻み込まれた野性の本能。



 ――強い相手ヤツとは戦うなっ!



 それに逆らう事など、出来ようはずもない。



 薄暗く、日も差し込まない集合住宅インスラ狭間はざま


 老人は大槍を小脇に抱えたままで、逃げ去る獣人の後ろ姿を目で追う。


 やがて……。



「ストラトス」



「はっ」



「追えっ」



「はっ とどめは如様いかように?」



「無用。背後を知りたい。あの様な子供が狙うには、アゲロスは大きすぎる。誰かが後ろにいるはずじゃ」



「はっ」



「明日の朝までには宿に戻れ」



かしこまりました」



 ストラトスはそう告げると、彼女の後を追う様に駆け出して行った。

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