第199話 姉弟子って何?

「お師匠様ぁ。なんだか、すごい人でしたねぇ」



 二人を残し、一人颯爽と馬小屋へ向かう彼女。


 その後ろ姿を、ただ茫然と眺めるストラトスが、感嘆の気持ちを込めてそうつぶやいたのだ。



「凄いも何も、お前の姉弟子あねでしじゃ。まぁ、そんじょそこらの男よりは随分ずいぶんと男前じゃからのぉ」



 彼女が置いて行った酒樽を抱え、残りの酒を盃へと注ぎ入れるヴァシリオス。



「ふーん。……ところでお師匠様ぁ。姉弟子あねでしって何ですか?」



「うん? 姉弟子あねでしも知らんのか? と言うか、ワシが教えておらなんだか。わはははは」

 


 およそ七年前、ヴァシリオスがこの山で隠棲いんせいを始めた頃。


 ふもとの街で、破格の値段で売られていたのが、この少年ストラトスであった。


 元々は、炊事や洗濯など、雑用をさせる為に買い入れた奴隷であったが、隠棲いんせいを初めてはみたものの、思いの他する事が無く、時間つぶしに剣術の真似事まねごとを少年に教えている内に、彼の方から『お師匠様』と呼ぶ様になったのである。


 こんな山奥で、しかも二人暮らし。


 彼の知識は、その全てがヴァシリオスから教えられた物なのだ。


 そんなやり取りをしている内に、いつの間にやら彼女が残して行った盃の酒を飲み始める少年。



「こらこら。勝手に飲むんじゃない。お前、まだ成人しておらんじゃろ?」



 少年の盃を取り上げようとしてみるが、彼の方もかたくなに離そうとはしない。



「何をおっしゃるんですか。お師匠様ぁ。僕はもう十五になりましたよぉ。お師匠様が洗礼に連れて行くと言ったっきり、全然連れて行ってくれないんじゃないですかぁ」



 いつの間にか、盃の酒を飲み干してしまい、尚もヴァシリオスの持つ酒樽をうらめしそうに眺める少年。



「なんじゃ、お前、イケる口かぁ? おぉ、よしよし。成人しているのであれば、飲ませてもよかろうて」



 そう言いながら、ストラトスの盃にたっぷりと酒を注いでやるヴァシリオス。


 そこからは男二人だけのしでの飲み会となってしまったのである。



 ◆◇◆◇◆◇



「いやぁ。お師匠様ぁ。このお酒ってぇのわぁ。すんごく美味しいものすねぇ」



 少年の方も大分良い感じで酒がまわっている様だ。



「そうじゃろう、そうじゃろう。らにしろめは、ワシの自慢の弟子じゃからなぁ」



 微妙に話が噛み合ってはいないが、そんな事は別にどうでも良い。



「だけど、お師匠様ぁ。姉弟子あねでし様を見ていると、なんだかこう……胸のあたりが、こう……ぎゅーっとした感じになるんすよぉ」



「なんじゃ、お前ぇ、アルに惚れたかぁ?」



 二人とも、全然呂律ろれつがまわっていない。



「……ん~ん。お師匠様ぁ。『惚れた』って、なんれすかぁ?」



「なんじゃあ、そんな事も知らんのかぁ。男ってヤツはなぁ。女に惚れると、胸のあたりが、ぎゅーっとなるもんなんじゃぁ。うん、うん。そういうもんなんじゃぁ。がはははは」



 お師匠様ヴァシリオスの方もかなり出来上がっている様だ。


 それもそのはず。


 彼女が持ってきた五升樽の内、早くも半分ほどが彼らの腹の中に納まってしまっているのである。



「それに?……それに、姉弟子あねでし様は、すんごく良い匂いがするんすよねぇ……」


「お師匠様ぁ。その匂いを嗅ぐとぉ。胸の方がぎゅーっとなるだけじゃなくってぇ。あのぉ……そのぉ……股間の方も、ぎゅーっとなるんすよぉ。これも『惚れた』からなんすかねぇ」



 何気にとんでも無い事を言い出す少年ストラトス


 しかし、それも仕方の無い事。


 何しろ、誰も教えてくれる者がいなかったのである。


 まれに近くの村まで使つかいに行く事があるにはあった。しかし、村に住んでいるのは、老人ばかりで、話し相手になる様な若い子供は一人もいない。


 つまり、年頃になってからと言うもの、若いむすめと言う者を、彼は一度も見た事が無いのである。



「がはははは。そうか、股間がぎゅーっとなるかぁ。そうかそうか。うーん、それは急いで静めんとイカンなぁ。そのまま放っておくと、股間が爆発してしまうかもしれんからのぉ」



 冗談交じりにそう話すヴァシリオス。


 しかし、少年にしてみれば、師匠の言う事は全てが真実なのである。



「おおおっ、お師匠様っ! どどど、どうすれば、どうすれば良いしょうか?」



 突然の発言に、顔面蒼白となる少年ストラトス



「なぁに、簡単な事じゃあ。お前、これから姉弟子あねでしの所に行って、『お願いしますっ! 一本抜いて下さいっ!』と言えば良いだけじゃ。何しろ、可愛い弟弟子おとうとでしの頼みじゃあ。アルめも無碍むげに断ったりはすまい」


 

 完全に無責任発言である。


 しかし、繰り返すが、師匠の発言は絶対である。



「ははっ。分かりましたっ! それでは、爆発する前に、急いで姉弟子あねでしの所に行って来ますっ!」



 ストラトスはそう言いはなつと、ふらつく足取りで、馬小屋の方へと行ってしまった。



「がはははは。本当に行きおったわい。はぁ……それじゃあ、今日はこのぐらいにしておくかのぉ」



 酒が入ると、少々無責任度合いが高まる様だ。


 彼は、暖炉の火が消えぬ様、大きなまきを一本くべると、続き間となっている自分の寝床に潜り込み、そのままぐっすりと眠ってしまった。

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