第194話 地下牢に続く階段

「ほらっ、サッサと入れよっ!」



 槍の石突いしづきで背中を突かれ、半ば倒れ込む様に建物の中へと押し込まれる少年達。


 そこは外牢がいろうのエントランス。


 壁も床も切り出された石をブロック状にして積み上げただけの簡単な構造で、その剥き出しの岩肌は頑丈がんじょうそうではあるけれど、かなり粗野な造りの様にも見受けられる。


 そして、二階まで続く吹き抜けの天井。その解放的な雰囲気とは裏腹に、部屋の中はあまりにも薄暗く、どこか陰湿な印象を受けるのはなぜなのだろうか。


 恐らく……入り口から見て正面右手、地下室へ続くのであろう……と思われる下り階段。


 そこから漏れ出て来る風が、生臭くジメジメとした重苦しい空気を運んでくるからに他ならない。



「うっ、うぅぅん……くっ」



 部屋に入る際に背中を小突かれた事が逆に幸いしたのだろう。ルーカスは軽い唸り声を上げながら、ようやく気が付いた様だ。



「おい、ルーカス。大丈夫か? おいっ、しっかりしろっ!」



 クリスはもう一度ルーカスを抱え上げると、耳元で声を掛けながら少し揺すってみる。



「あっ……兄貴ぃ。大丈夫っすか? 兄貴、思い切り蹴られちゃったのに。本当に大丈夫っすか?」



 たった今まで自分の方が気絶していたにも関わらず、いきなりクリスの事を心配し始めるルーカス少年。


 恐らく彼の記憶は、クリスを庇って彼に覆いかぶさった時点から、完全に途絶えてしまっていたのだろう。



「何言ってるんだよ。お前が俺を庇って兵士アイツにやられちまったおかげで、今の今まで気絶してたんだぞぉ。お前っ!」



「えぇぇ、マジっすか。すんません、兄貴ぃ。なんだか、逆に迷惑掛けちゃって……」



 その話を聞いて、驚きとともに、余計に申し訳無さそうに眉根を寄せるルーカス。



「馬鹿野郎っ。そんな事はいいんだよっ! それより、お前の方こそ大丈夫なのか?」



 クリスはそう言うなりルーカスの背中のトゥニカを少し摘まむと、その背中を覗き込んだ。


 案の定、ルーカスの背中は兵士に蹴られた部分が赤紫色に腫れ上がり、部分的に薄っすらと血が滲んでいるではないか。しかも気絶の直接の原因となった首筋には、ちょうど槍の柄と同じ幅の赤黒いあざが出来上がっていた。



「こいつは酷ぇなぁ。早めに医者に見せないとマズいなぁ……」



 その惨状に思わず顔を顰めるクリス。



「おい、お前達。いつまでそこで蹲ってやがんだよ。早くコッチに来い」



 そう言うなり、先ほどの守衛兵の一人がまたもや槍の石突で小突こうと、その槍を振り上げ始めたのだ。



「あぁ、今すぐ行くから、もうつのは止めてくれよぉ」



 クリスがそう返事を返すと、兵士はその槍を元の様に持ち直し、二人に向かって更に先に進む様、顎で指図して来る。


 兵士の顎が指し示すエントランスの奥。


 その方向には、この部屋から左手に伸びる通路と、例の禍々しい地下へと通じる階段が見える。


 その様子を目の端で捉えたクリス。


 ルーカスを助け起こそうとしながら、そっと彼の耳元へ唇を寄せた。



「おい、ルーカス。良く聞け……恐らく右手の階段は地下牢に続く階段だ。あっちに連れて行かれたら最後、もうこの牢から抜け出るのは難しい……。だからルーカス。もし兵士が右手に進む様なら、全力で逃げるぞっ。いいなっ」



 そこまでを一気に伝えると、何事も無かった様に立ち上がるクリス。


 ルーカスの方は一瞬驚いた様な表情を浮かべながらも、その表情を兵士に悟られまいと、少し俯き加減で立ち上がろうとする。


 ようやく動き始めた二人を確認した兵士は、エントランスの奥の方へと歩き出して行った。



 右に行くのか、左に曲がるのか……兵士の歩む先を凝視する二人。 


 やがて、槍を持った兵士は右手……地下牢へ続く階段の方へとその足を向けたのだ。



「くっ、ダメか……」



 そう呟くクリス。


 クリスは知っていた。この地下へと続く階段から立ち上ってくるそのえた匂いを。


 それは、汚物と……血と……そしての肉が腐敗した時に発せられる腐敗臭。


 それらが混然一体となった時の臭い。


 間違いない。この地下で待っているのは『確実な死』だけだ。



 今さらながらに自分の考えの甘さを呪うクリス。


 肥溜めで見つかった程度なら大した罰は受けないだろう……と、たかをくくっていたのだ。


 しかし現実は違う。


 罪の大小なんて関係無い。


 マロネイア家ヤツラは、気に入らなければ排除する。ただそれだけ。


 しょせん街の浮浪少年二人が消え去ったとしても、誰も困らないし、誰も気にも留めない。



 ――ヴォエッ



 その地下で待っているであろう拷問絶望を想像し、思わず嘔吐えずき始めるクリス。


 やがて、前を行く兵士が階段の手前で二人の方へと振り返った。



「おい、お前ら……」



 その声を聞いて覚悟を決めるクリス。


 この部屋に居る兵士は二人。


 目の前の槍を持った兵士。そして、背後に先程二人を蹴った兵士の二人だ。


 とにかく目の前の兵士はベテランの雰囲気がある。油断がならない。まず最初にこの男を潰す必要がある……と判断するクリス。


 幸い兵士ヤツは階段の手前に立っている。


 このまま真正面から兵士ヤツに体当たりを食らわせれば、上手くするとそのまま階段の下まで真っ逆さまだ。


 そのまま戦闘不能になってくれればそれで良し。そうならないまでも、後ろの兵士を仕留める間、この場から居なくなってくれればそれだけでも構わない。


 残るは後ろの兵士ただ一人。


 後ろの兵士ヤツは恐らく経験が浅いのだろう。その粗野な行動一つとってみても、その底の浅さが知れている。


 それに、後ろの兵士ヤツは少年二人を足蹴にした張本人だ。



「……キッチリ仕返しはさせてもらう」



 そう呟くクリス。


 彼は、懐の奥深く。隠し持っていた護身用の小型ナイフへと静かに手を伸ばした。



「おい、お前ら……俺はちょっと地下に用事があるから後で行く、お前は先に行って、こいつ等を例の牢にぶちこんどけ」



「はっ、わかりました」



 目の前の兵士はそれだけを告げると、一人その階段を下りて行ってしまった。


 そして、意外と素直に命令を受ける後ろの兵士。



「「えっ? えぇぇぇぇ!」」



 思わぬ展開に思わず顔を見合わせる少年二人。


 クリスに至っては突然訪れたあまりの『安ど感』に、じんわりと下帯が濡れて行くのを感じていた。



「おい、お前達はコッチだ。俺に付いて来い」



 いままで後ろに居た兵士は、二人を先導する様に、左の通路の方へと入って行ってしまった。



「えぇぇ、脅かすなよぉ……」



 小声でそう呟くクリス。


 兵士の後に続く彼が、心なしか『ガニ股』歩きになっていたのは仕方が無い事だろう。

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