第173.ニヤけた顔の仮面

頭領オヤジ、準備が整いやした」



 丁度、守衛所で開かれていた小宴会が納まりつつあるその時、入り口の扉からエニアスの落ち着いた声が聞こえて来る。



「おぉ、そうかい。丁度良い所に帰って来たなぁ。それじゃあ、そろそろ帰るとするかぁ」



 声を掛けられたテオドロスは、やおら立ち上がろうとするのだが、少しばかり足元が覚束ない。



「おぉ、もう帰るのかぁ。なんだよ、つれねぇなぁ。なんだったら、このまま朝まで居ても良いんだぞぉ」



 未だ大きなワイン樽を抱え、自分のコップにワインを注ぎ込もうとしているタロス。


 よほど二人で飲む酒が美味かったのであろう。出来ればテオドロスを引き留めようと言う気満々だ。



「いやいや、今日はやめとくわ。何しろ俺ぁ、お前みたいな宮勤みやづとめじゃねぇからなぁ。明日も朝から働かねぇと、おマンマの食い上げになっちまわぁ。……だあっはっはっはぁ」



 テオドロスは自分のコップに残ったワインを一気に飲干した後で、タロスに向かって深々と一礼。



「タロス様、本日はお仕事だけで無く、こんなに旨い酒までご馳走になり、毎度ありがとうございます。どうぞ、今後とも当ギルドマヴリガータをご贔屓に! ってなぁ。だあっはっはっは」



「何言ってやがんだよ。ったくよぉ。それより、俺もそこまで送るぜ」



 テオドロスと連れ立って守衛所の外へと出て行こうとするタロス。


 すると、丁度入り口の方から、別の三人の兵士が入って来る所に出くわしたのだ。


 恐らくその兵士達は、見回りの帰りだったのだろう。



「あぁ、タロス様。これからお出掛けですか?」



 先頭の兵士がタロスに声を掛ける。



「おぉバウルか。いやいや、丁度マヴリガータの頭領が帰るって言うからよぉ。お見送りってヤツよぉ。……そうだ。天下のマヴリガータの頭領をお見送りするのに、俺一人じゃあ申し訳が立たねぇ。お前らも付いて来い」



 そう言うと、上機嫌のタロスは、その男バウルの首根っこを摑まえると、もう一度外へと連れ出してしまう。



「タッタロス様、そんなに引っ張んないで下さいよぉ。何処にも逃げたりしませんって」



 タロスによって首を掴まれ、良いように引き摺られて行くバウルは半分苦笑いの表情だ。


 そんなタロス達が守衛所の外に出てくると、そこには大きな麻袋が乗せられた荷車が停められており、その横では、二人の少年が商人風のお辞儀をして待機していた。



「ほぉ、これが例の『ブツ』か?」



 そう言うタロスは、少しだけだが、眉根を寄せて険しい表情に。



「へぇ、手間取っちまいやして、すいやせん」



 先導するように歩いていたエニアスが、代表して謝罪の言葉を口にする。



「……」



 しかし、その言葉には返事をする事無く、無言で麻袋を見つめるタロス。



「タロス様……こいつはいったい何です?」



 能天気なバウルは、そんなタロスの表情にも全く気付かず、その積み荷の内容について尋ねてしまう。


 その言葉を聞いたタロスは、急に我に返ると、直ぐに元のニヤけた顔のを被りなおす。



「いやいや、実はなぁ。最近『シシ』が庭園の花壇を荒らす様になってなぁ。わざわざ棟梁に頼んで、捕まえてもらったって寸法さぁ」



 タロスは、そうバウルへ説明しつつも、彼の目は未だ荷車に乗せられた麻袋を見つめたままだ。



「しかし、若頭ぁ……」



 突然、エニアスへと話しかけるタロス。



「確かぁ、俺の記憶じゃあ『シシ』は、じゃ無かったかい?」



 嫌味なほどゆっくりと、そして、あたかも間違いを指摘するかの様に、問い詰めて来るタロス。


 ただ、その質問を受けたエニアスは、いつも通りの無表情だ。



「へぇ、予想以上に大きかったものでやすから、少しその場で解体して、麻袋を分けさせて頂きやした。その所為で、少々時間を食ってしまいやした。大変申し訳ございやせん」



 エニアスはそう告げると、深々とお辞儀をして見せる。



「ほぉぉ、そうかいそうかい。そらぁ、仕方がねぇなぁ」



 エニアスの説明に、得心が行った様に頷いて見せるタロス。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 タロスは、更に言葉を選ぶようにしながら話し続ける。



「……ただなぁ。これだけの大きさの『シシ』だぁ。運んでいる途中で、息を吹き返さ無いとも限らねぇ」



 タロスからの指摘に、冷静に反論するエニアス。



「いえ、決してそんな事はありやせん。既に血抜きも……」



「おい、バウルッ!」



 エニアスがまだ説明している途中にも係わらず、後ろに控えるバウルを呼びつけるタロス。



「お前、その槍で全部の『シシ』が本当に死んでるかどうか、確かめて来い」



 そう言うタロスの顔からは、先ほど折角被ったばかりの『ニヤけた顔の仮面』が跡形もなく消えかけようとしていた。

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