第170.新しい世界への扉

「うんもぉ、私の仕事着がボロボロじゃなあいっ!」



 ステファナは自身のストラの裾を持ち上げながら思わず悪態をつく。


 確かに……彼女のオフホワイトのストラには、両腕や両足、更には脇腹にまで、複数の破れが見受けられる。


 もちろん、それは、彼女自身が引き千切った様な『引裂痕』では無く、鋭利な刃物で切り裂かれた『切断痕』に他ならない。


 そんな彼女の様子を見ながら、思案に暮れるエニアス。


 元々エニアスの目的は、この場から無事逃げ出す事にある。


 最初は『ひと思いに口を封じてしまおう』……とも考えていたエニアスであったが、結局の所、彼女は衛兵を呼ぶでも無く、どうもエニアスとの闘いを楽しんでいるきらいがある様だ。


 それであれば、殺さずに『実力の差』を見せつけ、戦意を喪失させる事で、脅しによる口留めをするか、或いはどこかに監禁するか……と言う方が効率的であると考えたのだ。


 何しろ『遺体』となってしまっては、その処理も含めてかなり面倒な事になる。


 そこで、エニアスは彼女と組み合ったあの短い間に、急所では無く、彼女の継戦能力を削ぐべく、腕や足、脇腹など、相手が嫌がる様な箇所を中心に、複数回の打ち込みを行っていたのである。



 依然身構えたまま、右手に握る自身のナイフへと視線を移すエニアス。


 そのナイフは、月明かりに照らされ、妖しく輝いて見える。



「……おかしい」



 確かに……確かに何度か皮膚を切り裂き、固いにナイフの先端が届いた様な感触があったのだ。


 しかし、彼の手の中にあるナイフには、血糊の一つも付着していない。


 しかも、彼女自身、あれだけのナイフによる切断痕を抱えながら、血の一滴すら、したたらせる事なく、不敵な笑みを浮かべているではないか。



 判断に迷い、彼女との距離を取ろうとするエニアス。


 そんなエニアスの様子を見たステファナは、少し得意げに話し始めた。



「うふふふっ、どうしてまだ立っていられるの? って顔してるわねぇ」


「……不思議でしょう?」



 ステファナはそう言いながら、壁際の方へと近づいて行く。


 そこには数本の組み紐が天井から垂れ下がっており、彼女はその内の一本を躊躇する事無く引き下げたのだ。


 すると、玉座と御簾の間を隔てていた純白のレースのカーテンが、静かに天井付近まで引き上げられて行く。



「そうよねぇ。あなたの打ち込み……全然見えなかったわぁ」


「確かにあなたの方が、私よりも上手うわてなのかもねぇ」



 更に話を続けながら、玉座の前へと移動するステファナ。



「でも、あなたは私には勝てないの。……何しろ私、から、これを下賜頂いているのですもの」



 そう告げた彼女は、静かに肩口のブローチを外すと、自身の着ていたストラを全て脱ぎ捨てたのだ。



「……それは!?」



 ストラの下から現れた彼女の肢体には、白く、薄い板状の『装甲』が、直接肌に張り巡らされていたのだ。


 それは月明かりの所為では無く、その『装甲』自身の何らかの力により、薄っすらと発光しているのであろう。その『装甲』に包まれる彼女の姿は、玉座に佇む天女の様に光り輝いて見える。



「魔道具……か……」



 玉座の前に立つ彼女の姿を見たエニアスは、身構えたままで独り言ちる。


 依然得意げなステファナは、そのまま玉座に深く腰掛けると、長く均整の取れたその足を大きく組んで見せたのだ。



「うふふっ、魔道具ではありませんよ」


「これは、『神具』。そう……戦闘と破壊の神である、アレクシア神様より授かった、『神具』なのですものぉ」


「一介の人間風情に、傷一つ付ける事など、叶うべぐも無いわよねぇ」



 玉座に就く彼女は、エニアスの事を家畜……いや、虫けらでも見る様に、さげすんだ目で見下して来る。



「でも、楽しかったわぁ。全力で戦ったのは久しぶりなんですもの」


「……でもね」



 ステファナは玉座の大きなひじ掛けに頬杖をつく。



「本当はこのまま殺してしまおうって思ってたんだけど、ちょっと気が変わったわ」


「実はねぇ、私……この装備を身に着けると、何故だか、体中が火照ってどうしようも無くなるのよぉ……うふふふっ」



 エニアスへと流し目を送りながら、妖し気に笑うステファナ。


 そんな彼女の笑顔とは対照的に、苦々しげな表情のエニアス。



「と言う事で、私をくれるのなら……見逃してあげても良いわよ」


「あぁ、でも嫌なら嫌って言ってもらっても構わないわよ」


「でも、その時は、あなたをバラバラに切り刻むまで、私はしないとは思うけどねぇ」



 そう言うなり彼女は、レッグホルスターから新しいナイフを一つ引き抜くと、その華奢な指先で弄び始めたのだ。


 暫く思案している様子のエニアス。


 ただ、そんな様子も束の間。


 エニアスは手に持った自身のナイフをアッサリと手放すと、王侯貴族が王女に対して恭しくもその忠誠を誓うが如く、彼女の前に進み出て跪いてしまった。



「うふふふっ……優男やさおとこさん、意外と物分かりが良いのね?」


「それとも、自信がおありになるのかしら?」



 ステファナはそう言うと、自身の長い右脚をそっとエニアスの方へと差し向けた。

 


「今日、が、こうされていたのを見たの。私もちょっとマネしてみたくってねぇ……うふふっ」



 そんなステファナの行動にも、全く動じないエニアス。


 動じない所か、自ら率先して彼女のその御足を迎え入れ、その足先へと静かにキスをし始めたのだ。



「へぇ……なかなか、分かってるわねぇ」



 満足そうに頷くステファナ。


 エニアスは、そのまま、膝、太ももへと次々に唇を這わせて行く。


 面白いのは、装甲と思われた部分へキスをしても、彼女ステファナが反応を示すと言う事だろうか。しかもその装甲は、何らかの留め具等により固定されているのでは無く、一枚一枚が単体で体に貼り付いており、それはあたかも皮膚の様な弾力すら持っていたのである。


 一体、どういう仕組みなのかは全く分からない。


 ただ、エニアスは彼女の豊満な肢体を楽しみつつも、その不思議な『神具』の動きをつぶさに観察して行く。


 やがて、エニアスの唇は、彼女の下腹部を素通りし、脇腹から胸へと差し掛かる。



「はあぁぁぁ……」



 既に頬を染め、恍惚の表情に入りかけているステファナ。


 それでもエニアスの唇は止まらない。


 やがてバストを通過したエニアスは、胸元から首筋へ。


 そして、彼女の耳元へと優しく口づけして行く。



「あぁ、優男やさおとこさん、私、やっぱりあなたの事、見くびってたみたい……」


「まさか、ナイフの腕だけじゃなくて、の腕も一級品だなんて……」



 それまで、エニアスの好きにさせていた彼女も、ついに我慢しきれなくなったのであろう。


 弄んでいたナイフを放り出し、自らエニアスを迎え入れる様に抱きついて行くステファナ。



「あぁ、何て事、何て事なのっ! なんて……むぐっ……んん……」



 余りの気の高ぶりに、次第に声が大きくなるステファナ。しかし、エニアスはそんな彼女の唇を、自身の唇で容赦なく塞いでしまう。



「ぷはぁ……」



 エニアスからの蕩ける様な口づけに、既に気が遠くなりかけているステファナ。



「あぁぁん、優男やさおとこさん、どこでこんな技を覚えて来たの?」



 半分夢見心地で問いかけて来る彼女。


 エニアスはそんな彼女の頬に優しく触れながら語りかける。



「えぇ、つい先ほど、で……」



「……?」



 どう言う意味なのかは分からない。しかし、彼女には、もうそんな事を言っていられる余裕など無い。



「あぁ、優男やさおとこさん、早くっ、早く貴方のを私に、私の中に……」



 ステファナはそう言うと、エニアスの股間へとその手を伸ばした。



「……?」



 二度、三度。ステファナの手が空を切る。



「……?!」



「お嬢さん、すいやせん。……残念ながら、貴方の中に入れるを私は持ち合わせておりやせん」



 それを聞いたステファナの目が大きく見開いて行く。



「ただ、私も先ほどで覚えたばかりの『付け焼刃』でやすが……結構、ご満足いただけるかと思いやすよ」



 エニアスはそう告げると、もう一度彼女の首筋へと唇を這わせて行く。



「えぇぇぇっ! うそぉぉぉ……」



 奴隷専用館の御簾みす


 そこでは、人生のエニアスに導かれ、人生のステファナが、今まさにへの扉を開こうとしていた。


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