第170.家政婦長の憂鬱・リターンズ

「うぅあぁぁ、めっちゃ美味しそぉぉ!」



 少女達はテーブルの上に乗せられたケーキへ我先に手を伸ばすと、早速口いっぱいに頬張り始める。



「ひやぁ! あまぁぁい!」



「はぁぁ、ヴァンナ様って、結構、高飛車な感じなんだけどぉ、こう言う気前の良い所が素敵よねぇ」



 早くも一つ目のケーキを食べ終わった少女の一人は、さらに二つ目へと手を伸ばす。


 と言うか、既に左手に一つ持っているので、都合三つ目と言った方が良いのだろうか。



「そうそう! 本当は後から入って来たくせに、ちょっと偉そう! って思ったけどぉ、まぁ、慣れちゃえばそれも大したこと無いしぃ、よっぽど正夫人ナンバーズの方が大変だよねぇ」



「「確かにぃぃ!」」



「「「あははははは」」」



 ここは妾専用館の一階にある勝手口傍の『控室』。


 実際の所、奴隷妾に『控室』などが用意されるはずも無く、本来の目的は、裏口からの出入りを監視する為に用意された、館専用の守衛所と言った所か。


 その証拠に、壁際にはいくつもの短槍や盾、更には大きさの異なる甲冑が並べられている。


 丁度その部屋の中央部分には、十人程度が座れる正方形の机が用意されており、彼女たちはそのテーブルに集まって、魅惑のケーキを堪能していると言う訳だ。


 日中であれば、警備を担当する兵士が出入りする場合もあるが、夜間――と言うより日が落ちる頃――からは、館の中からかんぬきが掛けられ、誰も外から入って来る事が出来なくなるのである。


 流石はマロネイア家と言うべきか、貴重な鉄を利用した『錠』も設置されてはいる。しかし、実際には『錠』を用いるよりも、奴隷に夜通しの番をさせた方が安価な上に、何かと融通が利くのが実情だ。



 今日はヴァンナお付きの侍女一人を含む、三人のメイドが夜警の担当になっているのだろう。


 早速ヴァンナから下賜かしされたケーキを披露ひろうして、今日あった事柄や噂話うわさばなしに花を咲かせようとしていた所だ。



 ――トントン。



 そんな彼女達のいこいの時間に、突然ノックの音が響く。



「私です。家政婦長のイリニです。今すぐ扉を開けなさい」



「んがっんん。……はっはい! 只今お開け致します。しばらくお待ち下さい」



 そう返事をしたメイドは、とりあえず両手に持つケーキを自分の胸元へ押し込むと、何事も無かったかの様に裏口へと急ぐ。


 また、他の二人はケーキが乗せられたお盆ごと、無理やり武具の収められている棚の中へと押し込んでしまった様だ。



「お帰りなさいませ。イリニ家政婦長様」



 そのメイドは、ルール通り裏口の覗き窓を開け、声の主がイリニ家政婦長である事を確認すると、素早くかんぬきを外して、家政婦長を中へと迎え入れた。



「どうしたのです? 少し遅かったですね。まさか、居眠りをしていたと言う事はありませんよね」



 イリニ家政婦長は、鋭い目つきでそのメイドをにらみつける。



「とっ、とんでもありません。 ちょっ、ちょっと定刻の見回りに行っておりましたので……」



 呑気にヴァンナ様から下賜されたケーキをサボって食べてました……とは、口が裂けても言えるはずがなく、無理やり言い訳をする彼女。



「ん? ……んん!?」



 イリニ家政婦長は、俯き加減のそのメイドの顔を視界に収めると、完璧な『二度見』を披露して見せる。



「あっ……あなたはシビルッ!」



「はいっ?」



 イリニ家政婦長は、彼女シビルの顔を見るなり、驚愕きょうがくの表情に。


 一方、家政婦長の突然の変わり様を見て、呆気あっけにとられるシビル。



「あっ、あなたっ。もう、戻ってきてたの?」



「はっ、はい。先ほど見回りから戻りました……」



 何か自分が仕出かしてしまったのでは無いか? と、だんだん不安になるシビル。彼女の口も徐々に湿りがちに。



「そっ、そうね。そうよね。もし、見回りの途中だったとしたのなら、良く無いわね。ちゃんと公私のケジメは必要よ。ちゃんと事をやっていれば。私だって無碍むげに邪魔したりはしなかったのよ。あぁ、いやいや、事と言っても、事と事は違うのよ。えぇ、全然違うの。そこの所を間違えちゃダメよっ」



 なぜか動揺を隠せないイリニ。


 シビルの方も、何で家政婦長に突然お説教を頂いたのか、その理由がわからない。


 家政婦長は非常に厳しいお方ではあるけれど、理不尽な事でメイドを叱る様な人では無いのである。


 恐らく自分に何らかの落ち度が……。


 そう思うシビルは、右手を口元へ添えて、今日の働き具合を振り返ろうとする。


 と、そこでシビルは、非常に重大な事に気が付いた。


 そう、考えるまでも無い。


 この口元に残るザラザラ感……自分の口元には、ケーキの食べかすがそこかしこに付着しているでは無いかっ!



『くっ! しまったっ! ケーキ食ってたのバレてるっ!』



 そう思い、改めて自分の体を見つめてみれば、胸に押し込んだケーキは両胸を規格外の大きさに膨れ上がらせ、なおかつ、エプロンにもケーキの粉が散乱している状態だ。



『かぁぁあ! 絶対言い訳出来ねぇぇー』



 この時点で『言い訳』する事を完全に諦めたシビル。


 すべて正直に話そうと思いはするが、どうせ叱られるのなら、言うべき事は言っておく必要があるとも思う。



「あっ、あのぉ? イリニ家政婦長様? 一つよろしいでしょうか?」



「なっ、何ですか? 言いたい事があるなら、早くおっしゃい」



 シビルからの問いかけにも、全く目を合わせようとしないイリニ家政婦長。



「いえっ、先ほど見回りの途中とのお話しでしたが、しっかり見回りは完了しております。先程のは、見回りの後の待機時間でございます」



 自信をもって話すシビル。



「いっ! しまったの?」



 何故か驚くイリニ家政婦長。



「はい。ました」



 正直に話すシビル。しかもその目は真剣だ。



「そっ、そう……。しまったのね」



 何故か少し残念そうなイリニ家政婦長。



「えぇ、私も頂きましたが、こんなにとは思いませんでした!」



「あっ! あなただったの? 確か、セレーネも初めてって言ってたけどっ!」



 更に驚きの表情を隠せないイリニ家政婦長。



「はいっ! そう言えば、セレーネさんも初めてと言ってました。それはそれは、素晴らしいとも言っておられました。……でも、イリニ家政婦長様、よくご存じですね?」



「はうっ!?」



 シビルから、逆にそう質問されて、狼狽うろたえ始めるイリニ家政婦長。まさか、先程の情事を、扉越しに聞いていたとは、口が裂けても言えない。言える訳が無い。



「そっ、そうなの? まっまぁ、待機時間であれば、多少は大目にみないとね。でも、ダメよ。あんまり大きな声を出してはダメ。そう、絶対にダメよ。他のメイド達に聞こえたら困る事になるのは、あなた達なんですからねっ」



 とりあえず、これ以上の追求は、自分の墓穴を掘りかねないと判断したイリニ。


 早々な所で話を切り上げようとする。



「あっ、ハイ。ありがとうございます。以後気を付けます」


「あぁ、それからイリニ家政婦長様。もしよろしければ一ついかがでしょう?」



 彼女はそう言って、自分のストラの胸元へ手を突っ込んだかと思うと、何やら恥ずかしそうに、もぞもぞとその手を動かし始めたでは無いか。



「こっ、これ、シビルっ! こんな所で何を?!」



 またもや、突然の彼女の行動に驚きを隠せないイリニ家政婦長。



「いいえ、折角ですから……」



 そう言いながらも、自分の胸の部分をまさぐり続けるシビル。


 いつもは、そんなに気にならない彼女の胸が、いつもよりもかなり大きく見えるのは、なぜなのだろう。


 もちろん、中にケーキが二つ詰め込まれているからに他ならないのではあるが、イリニにそんな事がわかるはずもなく。



「わっわかりました。あなたの気持ちはよぉぉくわかりました。今度じっくりますので、明日にでも私の部屋へいらっしゃい。今日はこの後、まだ用事がありますからねっ」



 イリニ家政婦長はそれだけを告げると、年甲斐もなく頬を桜色に染めながら、正面玄関の方へと半ば逃げる様に歩き去ってしまった。

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