第169.御簾の間での死闘(後編)
「ふふふっ、大丈夫よっ。いきなり後ろから刺したりしないから」
薄紅色の髪を持つ少女を抱いたまま、依然ステファナの事を睨み続けるクリス。
確かに、このままステファナを睨みつけていても、事態は一向に改善しないだろう。
しかも、今自分の腕に抱きすくめられているその少女は、心なしか先ほどよりも
何故なのか?
病状が悪化した……と言うのとは少し違う。
それは、彼女の中で『自ら生きよう……』と言う気持ちが少しずつ失われ始めているのだとしか思えない。
――時間が無い。
一瞬、エニアスへと視線を送るクリス。
エニアスの方も、その視線を受けて小さく頷いて見せる。
意を決したクリスは、少女を優しく抱き抱えたままで、ゆっくり後退る様に窓の方へと近づいて行く。もちろんその間、決してステファナから視線は外さない。
ようやく最初に入って来た窓枠へ到達したクリスは、一瞬だけ外の様子を伺った後、少女を抱きかかえたまま、窓の外へ滑るようにその身を投じて行った。
「……」
再び
ステファナはクリスが開け放って行った窓に近づくと、その窓をゆっくりと閉めた。
「さぁ、これで邪魔者は居なくなったわ。……それじゃあ、思う存分、楽しませて頂こうかしら」
ステファナは月光が差し込む大窓を背にしており、その表情は逆光となって見る事ができない。
ただ、そんな暗闇の中でも何故か爛々と光り輝くその双眸は、獲物を狙う獰猛な女豹を連想させる。
殺気……いや、逆に殺気は感じられない。
それは、生まれた時から既に備わっていた『天性の物』なのでは無いか? と疑われる程の自然体。
生きるために
そう、この戦いには、彼女の中の『必然』があるのだ。
……
これがロングソードによる戦いであれば、己の膂力に物を言わせ、数十合にも及ぶの打ち合いを演じる事も出来るだろう。
しかし、お互いが得意とする得物はナイフである。
元々ナイフは近接武器であり、しかもお互いの技能が伯仲している事から、ある程度の距離を保った状態では、相手に対して致命傷を与える事は、ほぼ不可能である。
そんな事は百も承知。
二人は静かに睨み合いながらも、その距離を少しずつ詰めて行く。
「フッ!」
突然、ステファナが左手に持つナイフをエニアスの顔面へと投げつけたのだ。しかも、その隙を突いて、彼女は右足を大きく前へと踏み出すと、一気にその距離を詰めようとする。
「ハァッ!」
更に後を追う様に、彼女の右腕に握られたナイフがエニアスの左胸へと一直線に繰り出されたのである。
――
至近距離でのナイフを避けるため、
恐ろしいまでの風切り音を残し、ステファナのナイフがエニアスの心臓を抉り取ろうとした刹那。
エニアスは、初撃のナイフを避けた顔はそのままに、体だけを半身にズラし、ステファナの必殺の右腕を己の左脇の下へと誘導。
そのまま、ナイフを持った彼女の右腕を己が二の腕でガッチリ固定してしまうと、彼女の突進による反動を利用して、あたかも引き摺り倒すかの様に床へと叩きつけようとする。
「クウッ!」
エニアスの二の腕に挟まれた右腕が、力任せに捻じり上げられる苦痛に、思わずその愛らしい顔を歪めるステファナ。
そのままステファナは床へと引き摺り倒されてしまうのか? と思いきや、エニアスは突然彼女を掴んでいた腕を放り出し、素早く後方へと飛び退った。
――フォォン!
正に間一髪。
たった今、エニアスの後頭部があった場所を、ステファナの左ハイキックが通過して行ったのだ。
ステファナは右腕を取られバランスを崩した体勢にも関わらず、その恐るべき柔軟性を最大限に活用し、渾身のハイキックをエニアスの延髄へと打ち込もうとしていたのである。
「ふうぅ……」
一旦距離を取ったエニアスは、額に流れる脂汗をトゥニカの袖で拭って見せる。
彼にしても、今の攻撃はかなり危なかった。完全に視界外からの攻撃であり、本来は全く気付く事無く、彼女の延髄蹴りをまともに受けて、意識ごと刈り取られていたに違いない。
エニアスにとって『幸運』であったのは、月明かりに照らされた彼女のサンダルの装飾が、この薄闇の中で一瞬だけ煌めいた事により、その『必殺の一撃』を事前に察知する事が出来た、と言うことだろう。
単なる偶然? いや……エニアスの持つ類稀なる才能と日々の研鑽があった上でのみ、掴む事を許される幸運である。
一方、ステファナの方は、過去に一度として失敗した事の無い『必殺の一撃』を躱され、さぞ気落ちしているのかと思いきや、意外にもその闘争心に陰りは見受けられない。
それどころか、大きく見開かれたその双眸は更に輝きを増し、喜々とした口元からは彼女の赤い舌が、妖しくも卑猥に脈動しているのが見てとれる。
「……おかしい」
ナイフの技も、体術も、エニアスが僅差ではあるが彼女を上回っている。にも拘わらず、彼女のその余裕が一体どこから来るのか。
エニアスは言いようの無い不安を無理やり胸の奥へと押し込むと、とにかく目の前の
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