第168.御簾の間での死闘(中編)

「クッ!」



 突然クリスを突き飛ばしたエニアス。


 そして、先ほどまで二人の『頭』があったその場所に、寸分たがわず二本のナイフが残像を残して通過して行く。



――タン、タン!



 二本のナイフは勢いをそのままに、後ろの壁へと突き刺さった。



「あら? 避けたわねぇ……単なる泥棒さんだと思ってたけど、少し見直したわ」



 ステファナと名乗るその女性は、くるぶしぐらいまである長めのストラをめくり上げると、そこから新たに二本のナイフを取り出して見せる。



「まぁ確かに……この館の中にまで入って来れた時点で、生半可な泥棒さんって訳は無いですものねぇ」



 ステファナは取り出したナイフを両手に一本ずつ握り込むと、その手を胸元でクロスさせる。



「さて、いつまで避けられるかしら? とりあえず、その宝物を置いて行ってくれるなら、見逃してあげても差し支えないわよ?」



 ステファナはそう言いながら、徐々にではあるが、その身構えた体勢を低くして行く。恐らくそれが彼女の戦闘体勢なのだろう。



「お嬢さん。随分と腕に自信がおありになる様だが……ただ、この世の中、上には上が居るって事を覚えておいた方がよろし……」



 と、言葉半ばで、突然、横方向へと飛び退るエニアス。


 更に床で二回転する内に、二本のナイフが次々にステファナへと投げつけられたのだ。



「はあっ!」



 エニアスと同じ様に、横方向へその身を投げ出す事で、エニアスのナイフを避けようとする彼女。


 しかし、まさか『泥棒風情』が自分と同じ……いや、それ以上のナイフを投げつけて来るとは予想だにしていなかった。


 油断……と言うには、余りにも短い『一瞬の驚き』が、彼女の初動を遅らせる。


 しかも、エニアスの投げたナイフの一本は、彼女のストラの足元に突き刺さり、その行動を著しく制限。更に、もう一本のナイフが彼女の胸元を襲うという念の入れようだ。



「くぅっ!」



 ――ビリッ!



 彼女は左手で力任せにストラの裾を引き千切り、半ば仰向けの状態で二本目のナイフをかわして見せる。


 しかも、彼女はその時の反動を利用して、床で一回転した後に、また元の戦闘体勢へと移行したのだ。


 再び胸の前で両腕をクロスさせる彼女。


 しかし、彼女のその両手には、なぜかナイフが握られていない。



「……チッ!」



 思わず舌打ちするエニアス。


 エニアスの左、視界ギリギリの所には、茫然とその場で立ち尽くすクリスの姿があった。


 そう、ステファナはエニアスのナイフを避けながらも、この機に乗じて逃げ出そうとしたクリスを牽制する為、二本のナイフをへと投げつけていたのだ。


 二人の戦いに巻き込まれない様、壁際を大きく迂回して、窓の方へと移動していたクリス。


 そんな彼の鼻先を掠める様に一本のナイフが通過。そのまま音を立てて壁へと突き刺さる。


 更にもう一本のナイフは背中のへと。


 恐らく彼女ステファナもアゲロスのを傷付ける事は『了』としなかったのであろう。


 彼女の放ったナイフは、クリスの背負うリネンのシーツの一部だけを切り裂いただけで、一本目のナイフと同じ様に壁へと突き刺さったのだ。



 ――ビリッ、ビリビリビリッ……。



 ナイフにより『切り込み』を入れられたシーツは、自体の重さに耐えきれず、ゆっくりとその綻びを広げて行く。


 背負うのバランスが徐々に崩れて行くのを敏感に感じ取ったクリス。


 つい今しがたまで、目の前を飛び行くナイフに驚き、硬直していたはずの筋肉が、突然息を吹き返した。



「はあっ!」



 クリスは急に振り返ると、背中に背負っていたを、自分の身を挺して抱きかかえる。


 その時、破れたシーツの隙間から、薄紅色の髪を持つ少女の顔が、力無く項垂れているのが見えたのだ。



「……」



 眉間に皺を寄せ、その光景を凝視するステファナ。



「ちょっと聞くけど……。あなたの名前って、ルーカスなの?」



 彼女は戦闘態勢を維持したまま、もう一度ストラの裾へ手を入れると、そこからあらたに二本のナイフを取り出して見せる。いったい何本のナイフを隠し持っていると言うのか。



「……」



 そう尋ねられたクリスは、彼女を睨み付けたまま返事すらしない。


 ただ、彼にとって少女にナイフを投げたこの女を『絶対に許しはしない』と言う、強い意志だけは伝わって来る。



「ふぅぅん。くんは、結構良い面構えをしているわねぇ。私、嫌いじゃ無いわよ? まぁ、こっちの優男やさおとこさんは、もちろんタイプだけど……」



 エニアスとクリス。二人を見比べる様に視線を送るステファナ。



「どうやらは、その少女だけの様ね……」


「それなら、くんは見逃してあげるわ」



 そこで一旦、戦闘態勢を解いたステファナは、腰に手を当てながら、クリスへと優しく微笑んで見せた。

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