第十八章 妾専用館侵入(ルーカス/ミランダルート)

第163.住居棟の廊下にて

 ――コン、コン……。



 どこかで窓を叩く音が聞こえる。



「こっちだっ!」



 クリスは耳聡くその音のする場所を特定すると、エニアスとルーカスへ自分に付いて来る様に促した。


 ここは、妾専用館の南西側、住居棟。


 元々、この館の構造は大まかに、東側にキッチンやテルマリウム等の水場が、西側には妾奴隷達の住居部屋が、そして、中央には、アゲロスが滞在する際の部屋等が配置されている。


 建物全体はコの字型をしており、南側中央に正面玄関。北面の庭園に向けて中庭が解放されている様な造りをしているのだ。



「こっち、こっちっ!」



 ミランダの小さな声が聞こえて来た。


 更に暗闇に目を凝らして見ると、南西側に面した一階の窓から、ミランダが半身を乗り出して手を振っているのが見える。


 三人は、その窓に向かって急ぎ駆け寄って行った。



 結局あの後、ミランダが驚くべき身体能力を発揮して、殆ど凹凸の無い壁面を軽やかに登る妙技を見せつけられた三人は、早々に二階出窓からの侵入を断念。


 ミランダにお願いして、一階の窓等で、侵入できそうな所を探して来てもらっていたのだ。


 もちろん、その間に当の三人も遊んでいた訳では無い。


 館の西側から正面の方にかけて、侵入出来そうな所を探しては見たものの、『意外に』と言うべきか『やはり』と言うべきか、館の施錠は完全に為されており、更に定期的に兵士達が館周辺を巡回しているが為に、建物自体に近づく事も困難な状況なのである。



「ミランダが、簡単に抜け出して来るから、すぐに入れるかと思ったけど、やっぱり難しいですね」



 ミランダの待つ窓に向かって走りながら、エニアスへと話し掛けるルーカス。



「あぁ、元々アゲロス様も、この館に滞在する事があるからな、盗賊のたぐいには十分に警戒してるんだろう。ただ、今日はアゲロス様は外出されているはずだからな。狙い目と言えば、狙い目かもしれんが……」



 エニアスは、ルーカスに状況を説明しながらも、周囲への警戒を怠らない。



「早く、早くっ!」



 もう一度ミランダの声が聞こえて来る。


 三人は走りこんで来た時の勢いそのままに、開かれた窓へと飛び込んで行く。


 一人、二人、そして、最後のエニアスが窓の中に吸い込まれた後、その窓は音も無く静かに閉じられてしまった。


 その直後、正面玄関の方から来たのであろう、三人の巡回兵士が、建物の角から姿を現したのだ。


 兵士達は、手にした松明で、館の窓一つ々々に異常が無いかを確認しながらやって来る。


 エニアス達は、とにかく腰窓の下に身を小さく丸めて兵士達をやり過ごす事しか出来なかった。



「……ん?」



 突然一人の兵士が疑問の声を上げ、その窓へと手を伸ばしたのだ。


 その兵士は、窓の中央部分をゆっくりと押し始める。



 ――ギシッ。



「どうした? 何かあったか?」



 別の兵士が問いかけて来るが、その兵士はお構いなしに、もう一度窓の中央部分を、少し力を込めて押してみる。



 ――ギシシッ!



「……いや、……この窓、少し開いている様に見えたんだがなぁ、どうやら壊れている様だな。元々、上手く閉まらんらしい」


「それなら大丈夫だろ。……行くぞ」


「あぁ……。後で大工に連絡しておかんとなぁ……」



 その兵士は、その窓自体が壊れているものと判断。先に進む兵士達を追いかける様に、その場を後にして行った。



「「「「っふぅぅ……」」」」



 息を殺していた四人は、ようやく、大きなため息を一つ。



若頭カシラ、ヤバかったっすね」



 クリスは腰窓の下から立ち上がると、エニアスへと声を掛ける。



「あぁ、やっぱりマロネイアの兵士達は、良く訓練されてるなぁ。コイツを刺しといて正解だったぜ」



 エニアスはそう言うと、窓枠の幅に隠れる様に差し込まれていた、小型のナイフを引き抜き、懐へとしまい込んだ。


 先ほど、最後に飛び込んだエニアスは、かんぬきを掛ける時間が無いと瞬時に判断。窓枠の部分に小型のナイフを差し込み、窓自体を開かない様にしていたのだ。



「結構、広い部屋……ですね……」



 窓ガラス越しに差し込む月明かり。


 その光に薄っすらと照らされたその内部は、部屋の端にレースのカーテンで仕切られた一段高い場所があるだけで、中央部分には家具一つ置かれていない。


 もちろん、壁際には、高級な調度品や絵画が飾られ、高級感漂うその佇まいは、何某かの儀式を執り行う為の専用の部屋と言う所か。



「あぁ、ここは御簾みすだな。そのカーテンの向こう側には、玉座が設えてあるはずだ」



 その話を聞いたクリスは、早速カーテンを少しめくってみる。



「あぁ、本当だ。金ぴかの椅子が置いてありやすぜ」



「俺も二、三度入った事があるけどな。貴人は俺達みてぇな『』とは、直接話もしたく無いそうだからな。俺達は、こういう部屋に呼び出されて、侍女越しで話をうけたまわるって寸法さ」



 少し自嘲気味に説明するエニアス。



「そんな事より、ミランダさん、時間がねぇ。早速部屋の方へ」



「はいっ!」



 そう、促されたミランダは、早速廊下へと続く扉を押し開いた。


 扉の向こう側には、二階部分まで吹き抜けとなった、正面ロビーが広がっていた。幸いな事に、高窓を多く設けた造りとなっている為に、屋敷の中であるにも関わらず、意外に辺りを見通せる。



「二階に上る階段は、このロビーにある階段だけ。この階段を上って、左側に行った一番奥が、私達の部屋なの」



 ミランダは、扉の陰から広々としたロビーを指さして、部屋までの順路を三人へと説明してくれる。



「よし、分かった。それから、屋敷の中に巡回の兵士はいるかい?」



 エニアスは、更にミランダに問いかける。



「ううん、いないと思う。基本的にこの館は、男の人は入館禁止だから。ただ、定期的に遅番の女の子達が、見回りに来るとは思うよ」


「よし、分かった。まずミランダさんが先導して、次にルーカス、そしてクリスが続け。俺は最後尾から警戒しながら進む。いいな?」



「「へい」」、「はい」



 全員が一様に頷いている様だ。



「よし、行けっ!」



 その掛け声とともに、音も無くミランダが廊下へと進んで行く。


 ちょうど見回りの合間なのだろう。館の中には人の気配は無く、完全な静寂が支配している様だ。


 御簾の間から出て来た一行は、広いロビーの両サイドにある階段の内、手前にある左側の階段を静かに上ると、壁際から東西に伸びる廊下の様子を探る。



 ――誰もいない。



 一行はその廊下を左折、住居棟の方へ。更に廊下の突き当たりを右へ。


 北側、庭園の方角へと延びる長い廊下の一番奥。そこがミランダ達の部屋だ。


 ミランダを先頭とする一行は、足音を忍ばせながら、長い廊下を用心深く歩いて行く。



「……!」



 最初に異変に気が付いたのは、最後尾にいるエニアスだった。



「誰か来るっ! クリスッ! 走れっ!」



 エニアスは、クリスにギリギリ聞こえる程度の声で、警告を発した。

 

 周囲を警戒しながら進んでいたクリスもそれに素早く反応。


 前を行くルーカス、ミランダを追い抜く様な勢いで前方へと駆け出して行く。


 その只ならぬ気配を感じた、ミランダとルーカス。二人も慌てて走り出し、彼女達の部屋の扉へと雪崩れ込んで行った。



若頭カシラ早くっ!」



 部屋の扉からもう一度顔を覗かせたクリスは、声にならない声でエニアスを呼び寄せる。


 正面ロビーの階段を上がる人の気配は、着実に近づいて来ている様だ。


 恐らく、手にはオイルランプを持っているのであろう。その朧気おぼろげな光が、二階の廊下を照らし始めている。



「駄目だ、間に合わんっ」



 元々、二階の廊下の角で様子を探っていたエニアス。ミランダ達とはかなり離れてしまっていた事が災いした。今から駆け出しても部屋に着く頃には、発見されてしまう。


 逆に言えば、エニアスが廊下の角で監視をしていてくれたおかげで、ミランダ達が無事部屋にたどり着いたとも言えるのだが。


 尚も近づいて来るランプの光……。


 エニアスは、手振りでクリス達に扉を閉める様に指示。その上で、目の前にある部屋のドアへと手を掛ける。



 ――カチャリ。



 軽い金属音を残し、扉が開いた。


 エニアスは、安堵の表情を残し、その身を部屋の中へと滑り込ませた。



 ――パタン。



 静かに扉を閉じるエニアス。


 少し遅れて、廊下の角から姿を現したのは一人の女性メイド



「ん? 誰?……」



 手持ちランプに照らし出されたその女性メイドは、奴隷妾達から尊敬と畏怖の対象とされているイリニ家政婦長、その人であった。

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