第147.クリスの推理

「おぉ、ルーカス……さっきは、格好悪かっこわりぃ所見せちまったなぁ……」



 暗闇の中から現れたその少年は、ばつが悪そうに話し始める。


 つい先ほどまで、彼の全身を美しく彩っていた返り血は全て洗い流され、今では、サンダルと下帯を両手にぶら下げた、全裸の状態だ。



「ちょっと俺、若頭カシラに、あんなに怒られたの初めてでさぁ……」


「まぁ、今更こんな事言うのもんだけど……今回の件、忘れてくれよ。たのまぁ……」



 暗闇の中に静かに佇む東屋あずまや。ただ、その中にある大理石で出来たテーブルの上には、小さなカンテラが置かれ、その光が届く範囲だけは、僅かながら人の気配が感じられる。


 少年クリスは尚も、テーブルの向こう側にいるのルーカスへと話し掛けようとする。



「それからよぉ……」


「って、言うか、俺の話、聞けよ!!」



 ここまで話しているのに、一向にテーブルの下から顔を出さない舎弟ルーカスに業を煮やしたクリス。さっきまでの殊勝な態度はどこへやら。



「……へっ?」



 ようやくテーブルの下から顔を覗かせるルーカス少年。



「あぁ、兄貴あにきぃ、戻ってらしたんですね? 着替えはテーブルの上に置いてありますけど、この後死体を片付けなきゃならないから、そのまま行った方が良さそうですよ……それから手ぬぐいもありますよ? 使いますか?」



 結局、ここまでクリスが話していた内容を、全く聞いていなかったルーカス。



「おいおいおい! さっきは俺の『大活躍』見て、たんまりゲロ吐いてたガキンチョがぁ、俺に全く興味無しかよ!」


「ちっとは兄貴分を心配しろよ!」



 そんなルーカスの素っ気ない態度に、簡単に怒りの沸点に到達。その怒りを弟分ルーカスにぶつけるクリス。



「へへへっ。でも……こう言う態度こっちの方が良いでしょ?」



 屈託の無い笑顔で受け返すルーカス。彼はを全く気にしていない様子だ。



「ああっ? ……おっ、おぅ……そそ、そうだなぁ……じゃあ、まぁ、良っか」



「へへへ……」



 ルーカスなりの気遣いを感じ取ったクリス。結局自分の独り相撲であった事を理解して、話は尻切れの形に。


 そんなルーカスの方も、曖昧に微笑んでいるだけだ。



「そっ、それじゃあ、お前ぇ、そんな所で何してんだよ?」



 変な空気を払拭するかの様に、話題を変えるクリス。



「いやぁ、実は彼女ミランダと会ったのが、今日の朝、この東屋あずまやだったんですけどね」


「ほら、見て下さいよ。テーブルの下にこんなに大きな石が……」



 ルーカスに促され、テーブルの下を覗き見るクリス。



「おろろ、本当だな。これはデカいなぁ……」



 クリスは、その内の一つを動かそうとしてみるが、簡単に動く様な代物では無い。



「マジか? この岩、どうやって運んだんだよ。誰かゴリラでも飼ってるのか?」



「んんん? マロネイア様のお屋敷ですから、本当にゴリラが居るかもしれませんけど……多分彼女ミランダ仕業しわざだと思うんですよ」



 冗談めかしてルーカスに話を振るクリス。しかし、ルーカスからの回答は、予想の斜め上を行っていた。



「えぇ!? マジか! おま、おま、お前の女って、……確か『可愛い』って言って無かったか? って言うか、お前っ! もしかして、禿げ散らかした親父オッサンも『カワイイ』って言うクチか? ちょっとお前の『可愛い』の基準が分からんわ!」



 あまりのルーカスの言い様に、驚きを隠せないクリス。



「いやいや、兄貴。彼女ミランダは本当に可愛いんですって。それに、ここに来た事を知らせる為に、小石を置いておこうね。って二人で約束してたんですよ。だから、ここにが……」



「待て待て待て、だ・か・ら、ルーカス。現実を見ろっ! どっから、どうみてもこれ、『』じゃなくて、『』だぞ! どこの世界に、自分が来た事をアピールするのに、こんなデカい『岩』使うヤツがいるんだよ。完全にゴリラだよ。それ、完全にゴリラっの仕業だよっ!」



『岩』にも驚いたが、ルーカスの盲目ぶりに、何よりも驚いたクリス。流石にこれは『俺が止めないとダメだろう!』と強く心に誓う。



「まぁ、まぁ、先輩。それにですね。ほら、ここ見て下さいよ。伝言があったら、ここに文字を書いてね。ってお願いしてあったんですよ」


「ほらほら、ここ、ここ!」



 ルーカスはテーブルの上のカンテラを手に持つと、岩と岩の間を照らしてみる。



「んん? は〜ぷぅ? なんだよ、これ? 俺の知らない単語だなぁ。何かの暗号か?」



 テーブルの下を覗き込んだクリス。しかし、そこに書かれた文字の意味が分からない。



「いや、実は俺にも分からないんですけど、……って言うか、兄貴、文字読めるんですね」



 今更ながらに、その事に驚くルーカス。



「おっ! 手前てめぇ、俺の事馬鹿にしてんな? 俺ぁ、こう見えても、この稼業を始める前は、金物屋で丁稚奉公してたからなぁ。足し算、引き算に、文字だって、お手の物よぉ」



「へぇぇ、兄貴ぃ、やっぱり凄いっすねぇ」



「あたぼうよぉ」



 早速鼻高々のクリス少年。


 考えてみれば、齢六歳にして丁稚奉公を始め、つい去年まで勤め上げていた訳であるから、優に勤続八年の大ベテランである。よっぽどこの裏稼業よりも年期が入っている。



「って言うかよぉ、多分、これ『HELP助けて』の書き間違いだと思うぞぉ」



 砂面に掛かれた文字を見ながら、そう断言するクリス。彼の言葉には迷いが見受けられない。



「ええっ? 兄貴あにきぃ、どうしてそんな事が分かるんです?」



「そりゃあよぉ、俺にも妹がいてよ。たまに里に帰った時に、文字の一つや二つ、教えてやるんだけどさぁ、未だに『L』と『R』を良く間違うんだよなぁ。そう言えば、良く『右』と『左』も間違えるなぁ。たまに居るんだよ。焦ると、その辺の基本的な所が『ごっちゃ』になるヤツって」



 田舎に残して来た妹の事を思い出し、少し優しい気分に浸るクリス少年。ただ、そんな気分をルーカスの疑いの声が吹き飛ばす。



「えぇぇ、本当にぃ? そんな事ってありますかねぇ。って言うか、兄貴あにきに妹さんがいるなんて、ちょっと……」



 にわかには、と信じられない、ルーカス少年。



「おいおい、文字の事はどうでも良いけど、俺の可愛い妹の事まで疑うなよ! ったくぅ……まぁ、それ以上に間違いねぇのはよ」



 クリスはルーカスを手招きし、隣の大岩の影の所を見る様にと促して来る。



「ほら、ココ見てみろよ。 ここで、何度も書き直してるじゃねぇか」



 クリス指し示す方のテーブルの下には、『HELP』や『HERP』、更には『HALP』など、いくつか試し書きした跡が残されていた。



「まぁ、どれか合ってるだろう……ぐらいなもんだと思うぜ。文字の覚えたてなんて、そんなもんだよ」



「いや、先輩、本当にそれっぽいっす!」



 暗号の様な文字のが解け、一安心のルーカス。しかし、その文字の内容を良く考えてみれば、それどころでは無い事は明らかだ。



「……って言う事は、きっと彼女にあったんだ!」



 ミランダの危機に気付いたルーカス少年。とにかく居ても立っても居られず、闇雲に走り出そうとする。



「おい、お前ら、いい加減サボってねぇで、麻袋ん中入れるの手伝え」



 丁度その時、若頭エニアスの叱責する声が聞こえて来た。

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