第146.殺しのセオリー
――ビシッ!
スナップの効いた平手打ちが少年の頬へと炸裂する。
――ビシッ!
もう一発。
都合二発の平手打ち。
たったそれだけで、少年の頬は大きく腫れ上がり、時間差で垂れ落ちて来た鼻血が、少年の口へと入り込む。
「なぜ俺が二回殴ったのか、分かるか?」
その商人風の男は、自身の薄い唇を噛みしめながら、なおも少年へと問いかける。
しかし、少年は答えない。
分からない。どうして自分が殴られているのか……。
そんな少年の気持ちが、尊敬する先輩に対して『睨み返す』と言う行動に走らせているのであろう。
先程までの高揚した気分は一気に吹き飛んだ。
今は何を言われても、悔しさしか感じない。感じられない。
少年の鋭い眼光が、その気持ちの全てを雄弁に物語っている。
「あっ、あのぉ……エニアスさん……」
居たたまれなくなったルーカスは、思わず
しかし、エニアスは『世界中の全てを呪う』かの様なクリスの眼差しから、一切目を逸らす事は無く。
「……放っておいてもらおう」
ただ一言、そう返答するのみ。
しばらく睨み合う二人……。
そして、ようやくクリスが話し始める。
「俺が……、
静かに頷くエニアス。
「でも……でもよぉ、
消え入る様な声で『言い訳』を始めるクリス少年。
「馬鹿野郎っ! そんな事はどうでも良いんだよっ! お前、
どうしても少年に伝えたい『熱い想い』があるのだろう。言葉を重ねるうちに、次第に語尾が荒くなるエニアス。
いつも沈着冷静なエニアスにしては珍しい。
「まず、自分を守れっ! 余力を残せっ! そうしないと、
その鬼気迫る形相に
一旦、相手のその想いを受け取ってしまうと、中身はまだ十四歳の少年である。今度は、今までの『悔しさ』が、『悲しさ』と『申し訳無さ』で上書きされてしまい、止めどもなく涙が溢れて来る。
「かっ
仕留めた
そんな少年の様子を見て、自らも少し落ち着いて来たのであろう。エニアスは再び静かに問いかける
「クリス……もう一発の意味は分かるか?」
「……うっくっ、ひっく……」
未だ泣きじゃくりながらも、顔を左右にふるクリス。
「クリス。どうしてお前は、あの大きな男を最後に残したんだ?」
「お前ぇ、遊ぶ気だったんだろ? どれだけ自分が強くなったのか確かめたくて、ちょっと強そうなヤツを最後に残したんだろ?」
その言葉を聞いたクリスは、思い当たる節があったのだろう。血まみれの腕で涙を拭いながら、何度も何度も頷いている。
「バカ野郎……命のやり取りは、いつも真剣勝負だ。自分ん中の遊び心なんて、便所に捨てて来いっ! とにかく、とにかく一番強ぇヤツを最初に殺せ。それがセオリーだ。ひたすら自分が生き残る方法を、とにかく生き残る可能性の高い方法を考えろ。……もし、それが出来ねぇんだったら、もう、ここには置いておけねぇ。即刻荷物まとめて、田舎に
もう、どう返事をして良いのか分からないクリス。頷きながらも首を振ると言う、訳の分からない状態に。
ただ、エニアスはクリスが泣き止むのを、ただ静かに見守っている。
……。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したクリス少年。
「
両手を膝の上に置き、エニアスに向かって頭を垂れるクリス。
「……よし、もう良い、クリス。分かったんだったら、小川行って顔洗って来い。あぁ、この後、こいつら麻袋に入れなきゃならねぇからな。しっかり洗わなくても良いぞ」
残されたエニアスとルーカス。
エニアスはルーカスの方へと向き直ると、申し訳無さそうに会釈する。
「あぁ、ルーカスさん、先ほどは申し訳無ぇ事をしやした。許して下せぇ。若ぇ者は、悪い事は悪ぃって、その場で叱らねぇと、後で
そう言い訳するエニアス。
この際、エニアス達
「いっ、いえ、俺の方こそ、余計な口挟んじゃって……ごめんなさい」
素直に謝るルーカス少年。そんなルーカスの真摯な姿勢に、いつもは無表情なエニアスも、微かではあるが笑顔に。
「あぁ、ルーカスさんは、別の用事があったんでやすよね。後は、俺達で何とかしときやすから」
「ただ、もう三十分もすれば、跡片付けも終わるでしょう。もし、俺達がここに居なかった場合は、守衛所の方へ来てやって下さい」
「それでも一時間は居ねぇつもりです。なるだけ早めに戻って来て下さいな」
それだけをルーカスへ告げると、荷車の方から、大きな麻袋を引っ張り出して、地面へと広げ始めるエニアス。
「あっ、あのぉ、やっぱり僕も手伝います」
ここまでノコノコ付いて来たのは良いけれど、結局はクリスの所業を目の当たりにし、ゲロを吐いただけのルーカスである。ある意味、何の役にも立っていない。流石にこの状態で一人、
エニアスとしても、ルーカスが折角手伝うと言ってくれているのである。それを、無下に断るのも変な話だ。
「それじゃあ、お言葉に甘えやす。麻袋は俺の方で揃えやすんで。もうすぐクリスも帰って来るでしょう。そこで、荷車の上にあるアイツのトゥニカと手ぬぐいを、すぐそこの
エニアスは手を止める事無く、テキパキと作業を進めながら、ルーカスへと指示を出す。
「はい。……あぁ、へい! 分かりました」
こんな自分でも『役に立てる』と思うと、不思議と笑みがこぼれるルーカス少年。ただ、冷静に考えてみれば、笑ってなどいられる様な状況では、もちろん無いのだが……。
「……ぺっ!」
自分の口内に残る嘔吐物の酸味と、鼻をつく血の臭い。気分を一新する為に、口中の唾液を総動員して、嫌な気分ごと、つばと一緒に吐き出してみる。
「ふぅぅ……やるかっ!」
ルーカスはクリスから預かった服と、荷車に積んであった手ぬぐい、それから荷車の横につるされていた予備のカンテラを持って、今朝ミランダと密会していた、
そして、テーブルの上に荷物を置いた途端、得も言われぬ違和感を感じたルーカスは、ゆっくりとテーブルの下を覗き込んだ。
「えっ?」
わずか半日の間に一体何があったのか? 二人が話をしていたそのテーブルの下には、一抱えもある様な石……いや、岩石が綺麗に並べられているでは無いか。その数、なんと十個以上。
「ええっ? これ、どうなってんの?」
一旦、テーブルの上へと置いたカンテラをもう一ど持ち直し、更にテーブルの下を覗き見るルーカス少年。
すると、綺麗に並べられた岩の間に白い砂が引き詰められ、その上には人が指で書いたと思われる文字が浮かび上がっていた。
――HERP!
「はーぷぅ? 何だこれ?」
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