第98話 神官学校にて(後編)

「それでは、気を取り直して……」



 何やら良からぬ事を企んでいたとしか思えない顔をしていたミルカ。


 ダニエラ司教はそんな彼女を一瞥すると、もう一度檀上から教室全体を見渡している。



(えぇっ! 気をとりなおしちゃうのぉ。もうっ! ダニエラ様ったらっ、もうっ!)



 ダニエラ司教から結構な睨みを利かされながらも、全く動じないミルカ。それはそれで大したものである。



「それでは次の問題です。……全能神様がこの世に降臨されたのは、紀元前何年の事ですか?」



 残念ながらこの質問は、この教室に集まっている子供たちには難しい質問だ。


 だいたい、「紀元前」と言う言葉すら理解が及ばない年齢だ。もし答えられる者がいたとしても、それは稀な事だろう。


 もちろん、そんな中でも空気を読まない子は、必ず一人はいるものだ。



「はいっ!」



 当然ミルカは真っ先に手を上げる。



「誰か分かる人はいませんか? 基本的な問題ですよ!」



 確かに基本的……なのかもしれないが、本来はこれからこの学校で習う話なのである。この場合はダニエラ司教の聞き方が悪いはずなのだが……。



「はーい、はいっ! ……はいっ!」



 それでも、元気よく手を上げるミルカ。



「ふぅ……仕方がありませんね」



 ダニエラ司教は横目でミルカを見据えると、大きくため息を付く。



(そうです。そうなのですっ! だって仕方がありませんよね。教室の中で、この問題が分かっているのは、たった一人、私だけですからっ! このミルカがお答えしましょう!)


 ミルカはやおら、席から立ちあがると、大きく息を吸い込んだ。



「……それでは、ルーカス君、答えてみて」



 ――ガンッ! ガタガタッ!



 盛大に机ごと前にすっころぶミルカ。


 何だったら転ぶ前に、自分の額を机に一回強く打ち付けてから、すっころんでいる。


 空気は読めないが、コケる時のセオリーはしっかり守れる娘だ。



「はい、ツインテッ! 静かになさいっ! 次うるさくしたら、出て行ってもらいますよっ!」



「はっ、はぁぁい」



 ちょっと赤くなったおでこをさすりながら、派手にすっころんだ机を元に戻すミルカ。



(一体全体どう言う事ですかぁ。もうっ! ……本当に、本当に不本意です)



 心の中では、結構なレベルの悪態をついているのだが、もちろん表には出さない。しかも、何だったら「ちょっと美味しかったかな?」と言う気持ちも無くはない。



「それじゃぁ、ルーカス君、お願いね」



 ダニエラ司教は、生徒達の間をゆっくりと歩きながら、教室後ろのルーカス少年の方へと向かって行く。



「えっ、はいっ!」



 突然の指名に、ドギマギするルーカス少年。司教様から名指しされたのだから、まずは自席の前で直立不動の状態だ。



「えぇぇっとぉ、確かぁ、紀元前、紀元前……百ぅ……」



 彼は太陽神殿の孤児院育ちだ。そのおかげで、子供の頃からシスター達に色々と昔話を聞かせてもらっていたのだ。必死でその時の話を思い出そうとするルーカス少年。



「百ぅ……?」



 ダニエラ司教は、ルーカス少年の後ろに立つと、肩越しに彼の表情を覗き込む。


 司教様の髪がフワッっと揺れる度、彼女の良い香りがルーカス少年の鼻腔をくすぐる。


 ただでさえ緊張しているルーカス少年。そんな背後の気配を感じるだけで、気が遠くなりそうになるのだ。



「二十ぅ……」



 更に次の桁を口にするルーカス少年。



「んんっ? 二十ぅ……?」



 しかし、その答えを半ば遮る様に、ダニエラ司教が口を挟む。



「あぁ、えぇっと、三十ぅ?」



 ダニエラ司教の反応を敏感に感じ取ったルーカス少年。恐るおそる次の桁を口にするのだが、なぜか疑問形。



「そうね、三十ね。最後は何年かしらぁ?」



 ルーカスの疑問形を、勝手に断定に変換するダニエラ司教。



「いち……?」


「んんっ?」


「にぃ……?」


「んんんっ?」


「……さん?」



「はい、そうですっ! おみごと、紀元前133年ですねっ、ルーカス君に拍手っ!」



 ダニエラ司教の掛け声により、教室全体からまばらな拍手が寄せられる。



(おいおいおい、完全に答ぇ言っちゃってるよぉ。もう、既に問題じゃ無いよぉ! これ茶番だよっ! これっ何の茶番劇なんだよぉ!)



 エキサイトし過ぎて、思わず手元の羽ペンを真っ二つに握りつぶすミルカ。



「それでは、ルーカス君に続けて質問しますよ」



 いつの間にか、背後からルーカス少年の両肩にそっと手を乗せるダニエラ司教。



「全能神様と大精霊サクラ様のお子様で、一番最初にお生まれになったのは誰?」



 これは比較的簡単な質問だ。


 恐らく、こんなルーカス少年の状況を見て、ダニエラ司教も、流石に問題のハードルを落としたのであろう。しかし、極度の緊張状態にいある少年は、そんな簡単な質問にすら思考が及ばない。



「……えぇっと、クリス……」



「はいっ、アレクシア様ですねっ!」



 ――ゴンッ、ガタガタッ、ガタタタッツ、ゴンッ!!



 盛大に机ごと前にすっころんだ上に、更に前転してからの、教壇に頭突きを食らわすと言うG難度の荒業を、流れる様な動きで一分の狂い無く完遂するミルカ。



(ルーカス君の言った事、完全無視っ! 完全に無視なのっ! どう言う事っ! ルーカス君、最初にクリスっつったよね! あの子、絶対クリスって言ってたよねっ! だったら「クリス」でも「クリ〇リス」でも、何でも良いって事でしょぉ。しかも、一文字も合って無いのよっ! もう「クリス」何処行ったのぉぉぉ)



「アレクシア様は戦闘の神様でもあり、火の神様でもあります。その為、アレクシア様に帰依している人の左手には、火の紋章が現れるのですね」


「この様に、人は帰依るす神によって、紋章が異なると言う事を覚えておいてください」



 ダニエラ大司教は、補足説明を加えながら、スタスタと教室の前へ移動。そして、教壇に頭突きをした姿勢のまま、蹲っているミルカを見下ろした。



「はい、それでは約束通り、うるさくしたツインテには、廊下で立っていてもらいます。はい、出て行きなさいっ!」



「……はぁい」



 ミルカは自分ですっころばした机を片付けながら、ガックリと肩を落とす。


 そして、教室の扉を開け、廊下へ出ようとした所で、その扉が勢いよく内側へと開いた。



 ――ズゴンッ! ……ゴンッ!



 扉のノブへと手を掛けようとして、少し前傾になっていたミルカの頭を、結構重厚な作りの扉が直撃。


 ミルカは後方一回転の後、今度は後頭部をしこたま教壇に打ち付ける。



「くーっつ……」



 苦痛の表情のミルカ。


 そんなミルカの状況を完全に無視して、一人の女性が教室の中へと駆けこんで来た。



『あぁぁ、ダニエラちゃん、ごめんなさーい。遅れちゃったぁ。もう、だって今日は、ズッカズカの私の一推し! 男役トップスターの純名響じゅんなひびき様のさよなら公演だったのよぉ。しかもよぉ、しかも組子さんが沢山卒業しちゃったから、もう、挨拶が長くて、長くて、って、いえいえ、長くても良いのよ。本当に良いの。だって、これまで本当に楽しませていただいたのだもの。もう、何だったら明日までお話しを聞いてても大丈夫だったのよ。そうよ、全然大丈夫。でも、本当はちょっとドキドキもしたわね。だって、あんまり組子さんの話が長くなったら、もしかしたら、響様のお話しする時間が短くなるんじゃないかって、本当に心配したものよ。でも、そんな事は全然なかったわ。しっかりお話しを聞かせて頂いたわ。あぁ、もちろん、これだけで足りるなんて思って無いわよ。そうよ、なんだったら、そのまま響様のお家に押しかけて、ご自宅で一緒にモーニングコーヒーを頂くぐらいまで居ても良かったのよ。えぇ、全然大丈夫だったの。でも流石にそれは私の立場を考えると難しいわね。だって、そうよね。私は太陽神殿の大司教をしているのよ。しかも今日は、神官学校でお話をしなければいけないの。本当にどうしましょ。ってぐらいドキドキしたんだけど、このドキドキは、響様をあんなに近くで応援する事が出来たからとは違うわよ。本当にドキドキだったの。でも、あぁぁ、本当に良いお話を聞かせて頂いたわ。何しろ入団から退団まで、わずか3年6ケ月、本当に短い間だったけど、楽しませて頂いたのよ。そうよ、私の青春は、響様と共にあったと言っても過言では無いわね。でね……』



 滝の様にしゃべり続けるシルビア大司教様。



(……あぁ、この神官学校、本当に大丈夫っすかねぇ……)



 教壇にしこたま頭をぶつけたミルカは、自分の頭上で神語により、なにやら嬉しそうに捲し立てている大司教様を眺めながら、自分の後頭部にできた大きな『たんこぶ』をそっと撫でてみるのであった。

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