幕間

第97話 神官学校にて(前編)

「起立っ、礼っ」


「「「おはようございます!」」」


 春……。


 晴れ渡った青空と、新緑とのコントラストが目に眩しい。


 草原には、リリアの白い花が咲き乱れ、その香りが春の風に乗って、教室の中を吹き抜けて行く。


 ここ、エレトリアの街も、春の訪れとともに、新しい生活が始まろうとしていた。



「はい、おはようございます」



 生徒達からの朝の挨拶を受け、教壇の上に立つ中年の女性が大仰に挨拶をする。



「今日から、新学期が始まります。一般教科の授業は明日からになりますが、本日は、太陽神殿より司教様にお越しいただきまして、神族の歴史についてお話し頂きます。皆さん、傾聴する様に」



 その中年の女性は、今年入学した新入生たちを一瞥。そして、となりに控えている長身の女性へと礼儀正しく向き直り、笑顔のうちに、言葉のバトンを受け渡す。



「それでは、ロサーノ司教、よろしくお願いいたします」



 中年の女性に促される様に、檀上中央へと進み出る若い女性。


 身長はすらりと高く、180cmぐらいはあるだろうか。


 スレンダーなボディライン。切れ長の美しい瞳には、底知れぬ知性が宿っていた。



「只今ご紹介に預かりました、太陽神殿司教のダニエラ=ロサーノと申します」


「本来であれば、このご挨拶は大司教である、シルビア=クセナキス大司教様にお願いすべき所なのですが、本日は神界で急用があり、少し到着が遅れていらっしゃいます。後ほど到着次第、お話しを頂く事として、まずは私の方からこの学校の事や、神族の皆様の事についてお話させていただきます」



 ダニエラと名乗るこの女性。まだ年若いにも関わらず、大司教代行として新入生への挨拶を行うだけの地位と実力を兼ね備えているのだ。神殿の中でも、数年後には大司教に上り詰めるであろうと言われている逸材だ。



「まず、この神官学校は、将来的に各神殿に従事すべき、優秀な神官を育成する事を目的として、各都市毎に設立されています」



 ダニエラ司教が、檀上から教室をゆっくり見渡すと、新入生達は、蛇に睨まれた蛙の如く、緊張で体を固くする。



「通常、帝都を始めとした、他都市の神官学校では、授業料等が有償である他、入学する為には神官二名以上からの推薦が必要となります。まぁ、言い換えれば、神官からの推薦さえあれば、入学自体は難しい事ではありません」


「ただし、本校、つまりエレトリア神官学校については、全ての費用を太陽神殿が賄っておりますので、完全無償で学ぶ事ができる他、入学試験に合格し、高い学力、及び魔力を有してさえいれば、一般の市民でも、その就学を許可されるのです」


「ここにいる皆さんは、実に入学倍率三十倍と言う、超難関をクリアした優秀な方達です。まずは、ご入学おめでとう、と申し上げたいと思います」



ダニエラ司教は、檀上からではあるが、少し伏目がちに生徒の皆さんへと軽く会釈する。



「更に、今年は、40年ぶりに、エレトリア孤児院から入学を許可された方がいるとか……。どなたかしら、手を上げてください。 えぇっと」



 ダニエラ司教は教室を見渡しながら、目的の人物を探そうとするのだが、実際にはその目的の人物の姿形を知っている訳では無い。自ら進んで手を上げてくれるのを待っているだけだ。



「はい。司教様。僕です」



 教室の右後ろ、一番隅の席に座る少年が恥ずかしそうに手を上げている。



「あぁ、あなたね。確か……ルーカス君、でしたね。 入学おめでとう。孤児院からの入学は、長い歴史の中で、あなたで三人目ですね。偉大な諸先輩方の名に恥じぬ様、勉学に励んで下さいね」


「はい。ありがとうございます……」



 少年は消え入りそうな声で返事をすると、もう一度恥ずかしそうに手を机の下へと仕舞ってしまう。


 少年は戦争孤児として孤児院に引き取られた子供たちの内の一人であった。


 読み書きについては、特段秀でたものを持っていた訳では無い。しかも、孤児院の中では、自分の弟分、妹分の面倒を見る事に精一杯で、とても基礎的な学習を行っていた訳ですらないのだ。


 幼少の頃から港湾労働者に混ざって働く内に、多少人よりも優れた計算能力を発揮する様にはなったのだが、彼がこの難関試験に合格したのは、それ以上に優れた点が認められたからに他ならない。



「それでは、いくつか質問してみましょうか。この世界の神は何柱、御座しますか?」


「「はい!」」



 そんな司教の問いかけに、他領の貴族子女の内で、何人かが手を上げた。



「はい、それでは、一番手前の『ツインテ』のあなた。答えなさい」



 ダニエラ司教は、少し面倒臭い様な面持で、一番前列に陣取っている一人の少女を指さした。



 ◆◇◆◇◆◇



(やったー、念願の学校生活第一日目、それも最初の質問で司教様からご指名されてしまいました! ここは元気よくお答えせねばなりません!)



「はい、司教様。……でもその前に、『ツインテ』とは何ですか?」



 その少女は、ちょっと不思議そうな顔をして、司教の顔を見つめる。


 もちろん、この世界にツインテと言う言葉は無い。二つ結びを現す表現はあるにはあるのだが、今ダニエラ司教が話したのは、完全に日本語のそれだったのだ。



(あれ? 大司教様のお顔がお面の様に微動だにしていない。はて、何かマズったか? いやいや、ここは更に、私の元気をアピールして、司教様に元気になって頂かなくては! よーしっ)



「ちなみに私の名前はミルカです!」


「いつも元気いっぱい、神官学校の元気印。みるみるミルカ、あなたのミルカ、新入生のミルカです! ミルカ、もしくはミルミルとお呼び下さい。よろしくお願いしますっ!」



 ミルカはダニエラ司教の顔色などお構いなしに、元気よく自己紹介を敢行。



(決まったっ! 学校生活第一日目にして、私の自己紹介がさく裂よっ!)



「えぇ、はい。わかりました。それでは『ツインテ』さん、早く答えなさい」



 結局、司教は己が方針を変える気は無い様だ。



(えぇっ、これスルーしますぅ? 普通っ! ……不本意です)



 全く動じる事の無い、ダニエラ司教の様子を見て、諦めが付いたのか、少女は思い直した様に、力いっぱいの回答を行う。



「はい。現在12柱ですっ! ただ、神殿としては、10の神殿があります!」



(ふふん、ちゃんと入学前に、「神学の基礎」については、予習済よっ。何でも聞いてちょうだい!)



 少女は得意げに回答をすると、両手を腰にあてたポーズのままで、少し上体を逸らしている。



「はい、正解です。情報もありがとう」



 そんなミルカのポーズは完全スルーのダニエラ司教。しかも情報と言う嫌み付き。



(えっ? どういう事っ? ……本当に不本意です)



「それでは、次の質問です。どうして、神は12柱御座しますのに、神殿は10なのでしょうか?」



「はいっ!」



 先ほどミルカと名乗った少女が元気よく手を上げる。



「……誰か分かる人はいませんか?」



 そんなミルカの当てて下さいアピールを完全無視して、他の回答者を探すダニエラ司教。



「はーい、はいっ!」



 それでも、ミルカはアピールを絶賛継続中。



「ふぅ……それでは仕方がありませんねっ」



 ダニエラ司教は半ば諦めた様に、両目を伏せた。




「右端の貴方っ。答えなさい」



 ……ガタッ。



 ミルカが自分の机の上でコケル。



(ここまで引っ張って来ておいて、違う人を当てるんかいっ!)



「あなたのお名前は?」


「はい。ドルカと申します」



 ドルカと名乗る少女は、その場でゆっくりと立ち上がるのだが、とても11歳とは思えないその身長に、まず驚かされてしまう。恐らく、軽く170cmは超えている事だろう。


 見ようによっては、子供たちの中に一人、大人が混じっている様な感じだ。



「はい、それではドルカさん。どうしてだと思いますか?」



 ダニエラ司教は、そんな彼女の身体的な特徴など気にする事も無く、質問を続ける。



(えぇぇぇ。彼女、名前で呼んでもらえるのぉ。私は名前さえ聞かれずに、なんだか分からない付けられたのにぃ。でもあだ名を付けてもらえるってだけでも良い事なのかもしれないですよね。前向きに考えましょう)



 自分の机上で、思う存分コケてはみたものの、誰からも突っ込みを受ける事なく、一人さみしく元通りの椅子に座り直す少女。



「はい。大精霊のサクラ様と、新しくお生まれになったアプロディタ様は、太陽神様と同じ神殿に祀られているからかと……」


「はい、その通りです。しっかり勉強していますね」



 大きな体の割には小さな声で、不安げに答えるドルカ。そんなドルカを励ます様に、ダニエラ司教はその解答内容を褒めてくれる。



「もう、座ってよろしくてよ。……あなたはまるで知恵の女神、ソフロニア様の様ですね。今後はソフィーとでも呼びましょうか?」



 いまだ自分の席の前で、モジモジしていたドルカの元へと近づくと、着席する様に促しながらも、にこやかに話しかけるダニエラ司教。



「はいっ! あぁ、いいえ、司教様っ! ドルカで大丈夫です。私、この名前、とっても気に入ってるんです!」



 着席しても、他の生徒より頭一つ分以上大きなドルカ。無事回答を終えたにも関わらず、今だに緊張状態なのか、真っ赤な顔で俯いている。



「そう、わかったわ。ドルカ。今後もよろしくね」



 そんなドルカの様子を愛おしそうに見守るダニエラ司教。



(おいおいおいっ! なんだか、恰好良いあだ名が付きそうになってたぞぉ。しかも司教様からの折角のお申し出を断るとは、太ぇ野郎だぁ、コイツは後で殺すリスト入りだなっ! そう、最新版フライング・ミルカ・ボディ・アタックRev.2.1の餌食になるが良いぃ。……っふっふっふ)



 教室の最前列の席で、かなり物騒な事を考えるミルカ。



「……あぁ、ツインテっ! 変な顔は止めなさいっ!」


「あっはいっ! 司教様」


 今、自分が考えていた恐ろしい胸の内を、一瞬でも覗き見られたのでは無いか?との不安に襲われるミルカ。


 しかし、それ以上に、ダニエラ司教に構ってもらえた嬉しさが上回り、机の前で「にへら」とした笑いを浮かべてしまう自分を、押し止める事が出来ないでいた。


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