第96話 男同士の夢と友情

「……だから聞いて下さいよぉレオンさまぁ……」



 二人掛け用の大きなソファーのひじ掛けにもたれながら、その少年は不満げな表情でくだを巻いている。


 ここは太陽神殿横の庭園に設えられたパーティ会場。


 元々は、レオニダス全能神の後継者たる皇子本人の勘違いにより、エルフの村人全員を巻き込んだ大パーティに発展してしまった訳なんだけど、もう十分にお酒が行き渡り、本来の目的が何だったのかも良く分からない、軽いグダグダ感のある宴会に成り下がっていた。



 エレトリアの人々、と言うよりこの世界の人々は、ほとんど日が昇っている間しか活動しない。その為、必要な仕事は午前中に殆ど済ませてしまい、午後は自由に余暇を過ごしたりするのが一般的だそうだ。


 そのため、一般人の間ではブランディウム(昼食)は取らずに、早めのケーナ(夕食)を取る事も多いらしい。


 今回の場合も、夕食の時間には少し早いとは言え、神殿お抱えの楽団による演奏や、村人達が参加する歌や踊りなど、単なるケーナでは無く、レクリエーションの意味合いを多く含んだケーナであると言えなくもない。



「はいはい、聞いてますよ。それでバジル卿は何て言ったんでしたっけ?」



 いやぁ、参ったなぁ。齢十八歳にして『からみ酒』かよぉ。まぁかなりストレス溜まってるみたいだし、仕方無いかなぁ。



 俺は、エレトリア侯爵のグラスに蜂蜜酒ミードを注ぐと、自分のグラスにも同じ様に蜂蜜酒を注ぎ込む。



 本来は、こんな給仕の仕事は専門の奴隷やメイドがやるらしいんだけど、ここは俺の「これからエレトリア候との秘密の話があるから、皆は下がる様に」との一言で、侍女を含めた全員が少し遠い所から俺たちの行動を眺めている状況だ。


 どうやらバジルの侍女は全員が全員、フィアンセのスパイになっているらしく、一言一句、余計な事が言えないらしい。



 でもそれって、マジ大変だなぁ。二十四時間監視されてる様なものだもんなぁ……。



 そうやって、二人きりになった後はボーイズトークで盛り上がり、お互いをニックネームで呼び合うまでになったって訳だ。



「そうそう、それで私は言ったんですよ! ……クリスティアナ聞いてくれって。狩りと乗馬は貴族としての嗜みなんだ。だから遠乗りする事もあるし、狩りは戦闘訓練も兼ねているから一晩野宿する事だってあるんだよってね」


「それで、ようやくですよ! ようやく納得してくれましてね、週に一、二回は外出する事ができる様になったって訳なんです」



 バジル少年は頭を抱えながら左右に振りつつ、更に話を続ける。



「レオン様、私だって『ヤリ』たい盛りの十八歳ですよぉ。それなのに、私の周りの侍女を見て下さい」



 バジル少年は少し振り返る様にして、自分が連れて来た侍女達を眺めてみる。


 俺も彼の肩越しに控えている侍女達を見渡してみるけど、うぅぅん。確かに……『残念』な感じしかしない。



 まぁそれ以上は言わないでおこう……。



「それに引き換え、レオン様の侍女達は本当にすばらしい! 先ほど聞いた話では、既にダニエラ大司教を本日の夜伽に呼ぶだけでは飽き足らず、午前中には、エルフ村の美女二人も手籠めにされたとか。更にはその向こうで寝息を立てておられるハイエルフの美しい娘までをも性奴隷にされているとの事。あぁぁ、同じ男として……いやいや、神族の方と同じと言うのは不遜すぎる事とはわかってはいるのですが、ここは敢えてこう呼ばせて頂こう、レオン様。レオン様のこの充実した『性生活』ぶりが、同じ男性として本当に羨ましくて、羨ましくて仕方が無いのです!」



 おいおい、止めてくれよ。話に尾ひれが付いて、俺って、とんでもない淫乱男になっちゃってるじゃん! しかも、俺こそ敢えて言おう! 二十一年間、誰ともヤッて無いって! そう言う意味では、バジル先輩なんだよなぁ。……なんだろう、ちょっと悔しい。



「いかがでしょう、レオン様。あれだけの女性達を引き付けるその魅力。そしてそれを御する手腕。是非、ぜひ拝聴したい事が多々とある。更に今日はこんなに素晴らしい宴に招いて頂いた恩も返さねばなるまい」


「どうでしょう、もしお許しいただけるのであれば、私の主催する小宴にも、是非ご参加いただく事は叶いませぬでしょうか?」



 バジルは俺の手を両手で包み込みながら、懇願する様な目で見つめてくる。



 うーん、そんな事言われても……貴族の宴会なんてコミュニケーション下手の俺にはハードル高いし、なんだか呼んでもらうのも悪いしなぁ。やっぱり断っておくか……。



 そう思った俺は、自分の方からバジルの両手を包み込む様に握りしめると、最大限の申し訳無さそうな顔を作り上げた上で、返事をする。



「バジル卿、大変ありがたいお申し出なのですが……」



 俺がそこまで言いかけた所で、バジルが俺の言葉に割り込む様に話し始める。



「レオン様っ。もちろんお忍びでの宴です。ご安心下さい。大司教様や、妾の女性達には決してバレぬ様、クラブ リリオン、もしくはのナルキソスを完全に貸し切りとさせてただきますよ」


「まぁ、レオン様がお持ちの妾衆ほどの女性は、そうそう見つかるものではございませぬが、色々趣向を凝らした宴に致します故。それに先日もナルキソスにて宴を催しましたところ、その面白い事、楽しい事。とても一言では語りつくせませぬ」


「あぁそうそう。もう一人私の真の友人で、帝国貴族のと言う御仁がおられるのですが、これがまた楽しいお方でしてなぁ。是非、当日は彼もお呼びして、男三人、エレトリアの地に、この世の桃源郷を再現してみると言うのも悪くはありますまい。是非、ご来席いただけないものでしょうか?」



 うーん……んん!? 今聞き捨てならないワードが含まれていたぞぉ? 待てまて、ここは重要だ。まずはこのポイントの解析から始めねばなるまい。およそ今の日本では死語と化した単語だからな、聞き間違いの可能性も大いに考えられる。


 そう、ここは慎重に事を進めるんだ。焦ってはダメだ。しかも、あまりこの部分に関心がある様な素振りもいけない。それ自体が俺の威信を傷つける行為に違いないからな。



 俺は精一杯冷静な風を装うと、おもむろにバジル少年に話しかけた。



「……あぁーバジルくん……。今話してた、たしかぁぁ『ナルキーソス』……だったかなぁ。そのお店って言うのは?」



 俺は極限にまで核心に近づきつつも、決してそのコアには触れないと言う絶妙の距離感を保ちながら、物事の本質をあぶりだそうとする。


 それはあたかも、広い宇宙を飛来するニュートリノの僅かな光をスーパーカミオカンデと言う超巨大な装置を使って地道に観測する事で、ようやく宇宙の深淵、そう、素粒子物理学の新たなる可能性を垣間見る事が出来ると言う、壮大なプロジェクトの一環であるとも言えるだろう。



 バジル卿は、ちょっと不思議そうな顔をした後に、にっこりと笑いながら教えてくれた。



「レオン様、ナルキーソスではございませんよ。ナルキソスでございます。まぁ、そんな発音は置いておいて、それよりも宴の方なのですが……」



 うん、よしよし。宴の内容も気になる。うーん気になるけども、けども! それ以上に店の内容が気になって、後半の君の言葉がちっとも僕の頭の中に入って来ないんだよ!


 もう、本当にそんな事どうでも良いから、店の内容を教えてちょうだい!



「……あっあぁぁ、うん。バジル君、バジルくん。もう一度確認するよ!」


「今回君の予約するお店はぁ、どういったお店なのかな?」



 っふぅ、もう、核心に直接触れてしまった感が多少無くはないが、気持ち的には寸止めの極致だな。火中の栗を拾うにしても、もうあんまり近づきすぎて、手のひらに火傷してしまうぐらいの近さまで到達したぞぉ、やるなぁ俺、凄いぞぉ俺。ここまで危険を冒したんだ! さぞやこの栗は美味いはずだぁ。



 バジル卿は、またもや不思議そうな顔をした後に、「あぁ」と言いながら教えてくれる。



「そうですね。ナルキソスは、デルフィ地区にありますので、ここからですと馬車で三十分ほど掛かりますでしょうか。まぁ当日の移動手段は下々に任せておけば大丈夫ですよ。それよりも宴の料理の事なのですが……」



 あぁぁぁ、バジル君、そっちいっちゃったか。うーん、惜しいって言うか、さっきより遠くなっちゃった。もう、最初の方から考えても遠くなっちゃった! もう、どうしてくれんの? そんなに店の内容が言いたく無いの! わざとなの? わざと言ってるの、って事は、こんな中学生みたいな顔して、ヤル事やってるんだから、その実、策士なの、もんの凄い策士さんなのぉぉ!



 俺は心の叫びを一切顔には出さず、最終手段を選択する。



「あぁ、うん。正直、聞き逃したんだけど、そのぉ、『ジョウキュウショウカン』って言ってたけど、それって何の事?」



 ああぁぁぁぁ。もう言っちゃった、ド直球で言っちゃったよ。これで空振りする様なら、もうサッカー選手やめろよぉ! もうキーパーが横跳びした後のこぼれ球が君の目の前に転がってるんだよ。もう力まなくて良いんだよ。そう、そっと……、そっとボールを押し出すだけで良いんだよ。こんな所で力いっぱい蹴り出してゴールネット揺らそうなんて思っちゃだめだ。そういう時にふかしちゃってエライ目にあうんだから!



 バジル卿は、キョトンと顔をした後に、さも当然と言いたげな顔つきで教えてくれる。



「あぁ、そうですね。レオン様は本日降臨されたばかりでしたね。下々の風習はまだご存じ無いとお聞きしていたのでした。娼館と言うのは、多くの女性達を抱えて、夜伽の相手をしてくれるお店の総称でございます。その中でも、アストラプスィテ、ナルキソス、フェガロフォト、クラブリリオンの四店は、上級娼館と称して、エレトリアの中でもトップレベルのキャストを取りそろえたお店なのですよ」



 バジル少年は、少し鼻高々で説明してくれる。



 はいっ! キターーーーーーーーー。ついに来た! ついに念願のゴールの瞬間が訪れた。



 バジル君、良い仕事したよ! 多少、ごっつあんゴール的な雰囲気もあるにはあるが、今回は目をつぶろう! 何しろ最高の仕事をしてくれたんだからね! そうかぁ。ついに俺にも娼館に足を運ぶと言うミラクルがやって来るのかぁ。


 まぁ童貞の本懐としては、お互い初めての間柄で……なーんて夢を抱いていた時期があるにはあった! がしかし、男齢を重ねて幾年月、既に二十一年間の童貞生活を経験すると、そんな理想を掲げる事自体が無意味に感じられるから不思議だね。


 あえて言えば、サイ〇人がスーパーサ〇ヤ人になる様に、普通の童貞も年月を重ねる事で、スーパー童貞にランクアップする事が出来るかの様だよ。もう独りよがりの夢なんて追いかけない。まずは童貞を卒業し、ペーパードライバーを返上しておかなければ、とてもリアル彼女を確保する事も喜ばせる事も不可能である事を実感している。……うぅぅぅ。美沙たん。フォーエバー……。


 俺は、未だに宴の料理について何やら熱く語っているバジル少年をそっと抱き寄せて、彼の背中を優しく叩きながら、かれの耳元に宣言する。



「是非、その宴……参加させてもらうよ……」



 その瞬間、バジル少年も俺と同じ様に、俺の背中に手を回してぐっと俺を抱きしめてくれた。



 ……エレトリア侯爵と、全能神の皇子の間で、男の友情が芽生えた瞬間であった。

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