第90話 抱擁はラテンダンスの調べ

「ダモンさん。この人達こんな所に集めて、この後どうするのさ?」



 村人達に向って上機嫌で「ある事・ない事」をまくしたてているダモン爺さん。



 おいおい、本当に大丈夫なんだろうなぁ……。



 正直、ダモン爺さんが村人に向かって何を言っているのか、ネイティブすぎて全く分からない。


 まぁ今回はダモン爺さんに任せたんだから、後は腹をくくるしか無いんだけど……。


 まぁとにかく。俺の知らない所で話が大きくならない事を願うのみだ。



「おっとっと、皇子様。放っておいてすまん、すまん。まぁ、ワシに任せておけば大丈夫じゃから!」



 輪をかけて饒舌に、村人や後ろに控える侍女達に向かって、何やら指示を出し始めたダモン爺さん。



 うわぁぁ、なんだかヤバい感じしかしないぞぉ……。



 俺はテラスの中央部で居たたまれなくなり、少しずつ後ずさりを開始。


 なんだったら、そーっとこのまま逃げ出して、プロピュライア通って帰っちゃうって手もあるな。


 神殿までは直線距離で100mも無いぐらいだし、このまま気配を消してそーっと……。



 俺が、二歩……、三歩……と後退った所で、一気に走り出そうと振り返ったその時。



 ――ドン!



「キャッ!」



「おぉ危なっ!」



 俺は振り向きざまに、いつの間にか俺の後ろに控えていたリーティアに正面衝突!


 リーティアは突然の事で俺にはじき飛ばされた格好だ。



 通常のラブコメであれば、ここで彼女の胸の一つも揉みしだくシーンが組み込まれるはずなんだけど、現実リアルではそうも行かない。


 なんだったら彼女は両手をしっかり胸の前でクロスしているし――まぁ、人がぶつかって来たらそんなもんだよなぁ――、なんだったら俺の方の手はマントの様なトガをたくし上げる様に、両手いっぱい広げているから、とてもラッキースケベを享受する位置に配置されていない。


 そう考えてみると、曲がり角でぶつかって「あっ!」「キャッ!」とか言って、女の子の胸に触ると言うシチュエーションなんて、絶対に発生しないと思う。って言うか、廊下の角で過去に何回かぶつかった事があるけど、そんな「うらやましい」事は一度だって起きた事が無い。絶対断言できる。そんな事はありえない! もしそんな事が「あった!」って言うヤツがいたらちょっと俺の方まで電話かメールで連絡して欲しいな。そして是非その人とラッキースケベに対する具体的な傾向と対策について、ゆっくりと一晩、語り明かす事にしたいと思う。うん、それが良い。きっとそいつとは大親友になれるはずだ。間違いない。なにしろそいつはこの分野の先駆者なんだからな。新しい世界を発見した人は、いつの世でも尊敬されるべきだと俺は信じる!


 って俺が考えているウチに、リーティアがバランスを崩して後ろに倒れそうになっていた。



「はぁぁ、危ないっ!」



 俺は咄嗟に、自分の手に持っていたトガを放り出し、右足を彼女の倒れる方向へ一歩大きく踏み出したのさ。


 しかも、空いた両腕をしっかり彼女の背中に回しながら、倒れ行く彼女の体重を支える為、少し強めに抱き寄せたんだ。


 それはあたかもラテンダンスの最中に女性パートナーが倒れ行く所を男性パートナーが片膝を立てて、斜めになった女性を抱きかかえる様な形に。


 この状態で、俺が片方の手を上に掲げ、リーティアが片足を突き出す様なポーズで伸ばし切れば、ラテンダンスの審査員は間違いなく全員満点を入れてくれた事だろう。



「あんっ!」



 ぶつかった拍子に、目をつぶっていたリーティアは、突然俺に抱きかかえる様に引き寄せられた事から、その瞳を大きく見開いて驚きの表情だ。しかも抱きかかえられた時の反動からか、「あんっ!」って言う可愛い声を上げてしまう。



 はぁぁぁっぁぁ、何これー!! ヤベっ! おいやべぇ。みんな聞いてくれ! 本当にヤバい!



 今、彼女「あんっ!」とか言ったぞ! おいおいおい、お前たち、エロゲのCV以外で、リアル「あんっ!」を聞いた事があるのか? いや、あるのか? って俺が聞いてるんだ! 何言ってるんだこのバカ野郎! ――あぁ、すまんちょっと興奮しすぎた――


 正直に言おう、俺は無い。あぁ、21年間生きて来て、一度もリアルで「あんっ!」と言う言葉を聞いた事は無い!


 思い起こしてみれば、「キャッ!」は、ギリ高校一年生から二年生の夏休みぐらいまでであれば、タイミングと運さえ良ければ聞ける可能性もあるし、聞いた事もあるだろう。



 ……ん? なに?



 なぜその期間に限定するのか? だとぉぉ! そんな事も分からないのか? これだからリアル青春アオハル真っただ中の童貞は御し難い。



 まず考えても見てくれ、小中学校であれば、逆にしょっちゅう「キャッ!」を聞く事があるだろう。まったくもって悲しい事だが、この「キャッ!」は、本来の意味の「キャッ!」でしかない。つまり女子が単純に驚いた時に口から発せられる破裂音でしか無いのだ。あえて言おう、この時代の「キャッ!」は、機械で作り出した音と何ら変わらない。そこには一切の感情が含まれていない単純な驚きのみの、純度100%の「キャッ!」でしか無いんだ。


 ある一定レベルのマニアの中にはそれこそが「至高」であるとのたまう人種も僅かながら存在する様だけど、俺はそれを認めない。あぁ、絶対に認めない。


 次に、高校二年の夏休みを経て、ひと夏の経験を元に少女から大人への階段をのぼりつつある女子どもは、急激にその意味合いを対外的な自身の感情を表現アピールする為の策略へと変貌させてしまう。


 もう、この期間の「キャッ!」には、逆に驚きなどはこれっぽっちも含まれていない。これと同義語として「すごーい!」や「こんなの始めてぇ!」が派生して来るんだけど、こんなのは全部嘘っぱちだっ!


 大体、何に対して「凄いのか?」と言う話だ。つまり「凄い!」と言う場合は、間違いなく既に元となる何かを経験している、もしくは知っていると言う事だ。となると、間違いなく初めてじゃない! それなのに、この「すごーい!」と「こんなの始めてぇ!」は、ほぼ同時に使われる事例が、誠に多く報告されている。



 もう、この時点で賢明な『童貞』の皆さんは気付いた事だろう……。



 高校二年生の夏休みを過ぎた女子の言う「キャッ!」「すごーい!」「こんなの始めてぇ!」の三段活用は100%嘘っぱちだと言う事さ。彼女たちは本能的に、これらの言葉が男を惑わし、奮い立たせるフレーズである事を察知し、学び、そして活用すると言う狡猾さを身に付けてしまうんだ。


 しかし、それは残念ながら、必ずしも悪い事とも言い切れない。何しろそれこそが、少女が大人の女性になると言う事の『本質』なのだから。



 おっとごめんよ。ちょっと涙が出ちゃった。



 さぁ、残された期間は、高校一年から高校二年の夏休みまでの短い間しかない。


 俺たち童貞の信じる少女と言うのは、彼女たちの長い人生の中で、ほんの一握りとなるこの短い期間にしか存在しない、幻の深海魚の様な存在なんだ。


 この期間の少女達の「キャッ!」には、本当に人生の中での「驚き」を表現する気持ちと、少女から大人に変わりきる前に感じる自身が未経験である事への「恥じらい」、そしてそれを覆い隠そうとする大人としての「嘘」、それらのものが混然一体となった、珠玉とも言える「キャッ!」を紡ぎ出してくれるんだよ。


 青春アオハル真っ只中にいる童貞諸君っ! 彼女たちの「キャッ!」を味わえる期間は恐ろしく短い。今、その場に立ち会う事ができる幸運を胸に、青春アオハルを謳歌して欲しい。



 ――By慶太。



 あれっ? ちょっと待てよ、俺何の話してたっけ?



 あぁ、そうだ「あんっ!」の話だ!とにかく俺は生まれて初めて「あんっ!」を聞いたって事さ。


 よし、今日は俺の「あんっ!」記念日に認定しよう。ちなみにぃ……。



「……みっ皇子様、皇子様……ちょっと……恥ずかしいですぅ……」



 俺の腕の中でしっかりと抱きかかえられているリーティアが消え入る様な声で訴えかけてくる。


 どうやら俺が妄想の中に埋没している間中、俺は腕の中にリーティアを抱きかかえてしまっていた様だ。



 うぉぉぉ、しまったぁ! 人生最大の失敗だっ! 脳内で遊びまくっている間に、リアルの俺はこんなうれしい状況に陥っていたとは!



 はうはうはう、こんな事なら妄想の世界でこんなに長い間遊んでるんじゃ無かったぁ! 痛恨っ!



 それもこれも、青春アオハル童貞野郎達が俺に「キャッ!」の旬について解説なんてさせるからだ! ちくしょう! 世の中の青春アオハル童貞野郎達! 全員爆発しろぉぉ!



 言われの無い怒りを無責任に青春アオハル童貞野郎達に転嫁しつつも、遅ればせながらリアルのリーティアの感触を味わい始める俺。



 はぁぁぁぁ、何これ、この感触。もうこの世のものとは思えない。女の娘ってみんなこんなに柔らかくって、暖かくって、軽いのぉ。なんなの? これ。もう、ふわっふわの綿菓子抱いてるみたいぃぃぃ。何だったらちょっと舐めてみよっかなぁ……。



「皇子様、皇子様。そろそろお席の方へ……」



 うおぉぉぉい! なんだよ、なんだよもぉ、またかよ! またなのかよって言ってんの! 俺の妄想を寸止めするんじゃねーよ! 誰だよ、いったい何の権限があって、俺の幸せを邪魔するんだよ!



 俺はこれでもかと不満を表現した顔つきで、声のした方へと振り返る。



「うぐっ!」



 するとそこには、恐ろしいぐらい冷たい目をしたダニエラさんが跪いた状態で俺を見つめていたんだ。



「皇子様、大変失礼致しました。先ほど皇子様がご不在の間に少々不首尾な事があり、致し方なく席を外しておりました。大変申し訳ございません」


「おおよその内容については、先ほどダモンから聞きました。私の至らなかった部分を全て、皇子様がお収め下さったとの事。本当にありがとうございました」


「もとよりこの身を捧げ、皇子様のお役に立つ事こそが私の本望ではございますが、此度の件を踏まえ、更にその気持ちを強く致しました。今後ともお引き立て下さいますよう、お願い申し上げます」



 ダニエラさんは、リーティアを抱きかかえながら、すっかり固まっている俺に向かって慇懃な挨拶をしてくれる。


 一方リーティアの方は、もう恥ずかしさの余り、真っ赤な顔を両手で隠したままの状態で、俺の腕の中で結局固まっている。



「皇子様、お楽しみの所申し訳無いんじゃがのぉ、そろそろ宴の準備が整いそうじゃから、自分の席に付いてくれんかのぉ?」



 めちゃめちゃ気まずい雰囲気の中、ダモン爺さんの助け舟が。



「あっそそそそうだね。そろそろ、席に付こうか。ねぇリーティア?」



 おれは抱きかかえたままのリーティアにそう告げると、リーティアはまだ両手で顔を隠したままで、コクコクと首を縦に振っている様だ。


 おれはゆっくりとリーティアを元の位置に立たせてやってから、ダニエラさんに案内されるまま、自分の席(?)の方へと歩いて行く。



 どうやら「皇子様の粋な計らい」と言う体で、村人全員を交えた大宴会が開催される事になったらしい。


 しかも、俺の席の左隣にはダニエラさんが、反対側の席にはリーティアが座る事に。



 はうはうはう。めちゃめちゃこの場所居辛いんですけどぉ……。俺ちょっと心臓止まりそう。



 こうして、皇子様降臨を祝う盛大な宴がスタートしたんだ。

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