第六章 奴隷妾専用館(ルーカス/ミランダルート)

第61話 地下通路

「いやぁ凄かった! 本っ当に凄かった!」


「まさか、あのミラージュがっ、あのミラージュがだぞぉ、まさか本当に登場するとは思わなかったよなぁ。ルーカスッ! お前もそう思うだろぉ?」



 高級な陶器のグラスに注がれたワインを片手に、貴賓席の大きなソファーにふんぞり返るその男は、先ほどの興奮も冷めやらぬ中、隣に座るルーカス少年に大声で捲し立てる。


 巨大な歌劇場の一般席ではもちろん、貴賓席近くのVIP席の方でも、そこかしこで見知らぬ男同士が肩を組み、未だにエレトリア国歌を大声で歌う様子が見受けられる。


 中には席に座り込んで泣き出す者、それを皆で励ましながら介抱する者……。


 今回のミラージュの登場は、会場に詰め寄せた幾多の男達に対して、新たな伝説として語り継がれる程の、大きな影響を与えたと言えるのだろう。


 そんな中、一人の男が貴賓席後ろの通路から駆け寄って来た。



「……会頭。例の件、先方と話が付きました。いかが致しましょう。そろそろ内検が始まるとの事ですが……」



 駆け寄って来た男は、会頭と呼ばれた男の耳元でそれだけを告げると、次の指示を待つ為に頭を垂れた格好で跪いている。



「あぁ分かった……」



 小さく一つ頷いてみせる会頭ヨティス



「おい、デメトリオス。感動に浸っている所を悪いが、お前のが見つかったらしいぞ。早くそのワインを飲んじまってくれよっ」



 このデルフィ地区を統括するギルド会頭のヨティスは、『親友』をに通り越して、『悪友』となってしまったデメトリオスに声を掛ける。


 すると、デメトリオスは嬉しそうに振り返りながら、隣に座る少年の肩叩き始めたのだ。



「おっ! 流石は俺の『心の友』であるヨティスだな。いつも仕事が早いぜっ! さぁルーカス、その坊ちゃんに挨拶を済ませて、サッサと行くぞっ!」


 デメトリオスは、グラスに残ったワインを一気に喉へ流し込むと、空になったグラスを近くにいたメイドの女性に手渡した。



「姉ちゃん、良いケツだったぜっ!」


「俺ぁデメトリオスってんだ。店に並ぶんだったら一声俺に声を掛けてくれよ。贔屓にしてやるからよぉ!」



 デメトリオスは、苦笑いする彼女の手を無理やり引き寄せると、その手のひらにエレトリア銀貨を一枚握らせる。



「これぁ迷惑料だ。取っといてくれ。はっはっはっ!」



 メイドの女性は、自分の手のひらの中で輝くエレトリア銀貨に驚いて、声も出ない様子だ。普通メイドへのチップなど、良くて銅貨1枚、場合によっては銭貨数枚程度が相場なのである。


 そんな親方のやりとりを他所に、ルーカスは、隣に座る豪華な仮面を被ったバジル少年との別れの挨拶の途中だ。



「……あぁ、バジルさん、色々お話しできて本当に楽しかったです」



 ルーカスのはにかんだ笑顔での挨拶を受け、バジルと呼ばれた少年もにこやかに返答する。



「いやいや、こちらこそ有意義な時間を過ごさせて頂いたよ。それにルーカス殿にお会いしたその日に、幻のミラージュを見る事も出来た。これも何かの縁だろう。もしかしたら、ルーカス殿は私へ『幸運』を運んで来てくれたのやもしれん。それからの話、是非ご参集くだされよっ。では、話も尽きぬが、これにて」



 バジルの方も優雅な仕草で別れの挨拶を交わすと、後ろに控える執事を呼んで何やら帰り支度を始めた様だ。


 ヨティス、デメトリオス、ルーカスの三人は、先ほど走り込んで来たヨティスの手下の男に導かれ、貴賓室後ろの専用階段から会場を後にするのであった。



 ◆◇◆◇◆◇



 ――ピチョン……。



 暗闇に沈む洞窟の様な地下の通路を、先導する男の持つランプの光だけを頼りにあゆみを進める四人の男達。


 岩肌から滲みだした水が、通路の端の方に小さな水たまりを作っているのだろう。雫の弾ける音が。暗闇の中で響き渡っている。


 地下水の影響なのだろうか。多少ジメジメとしてはいるものの、外の気温に比べて涼やかなその通路は、意外に快適な様にも感じてしまう。



 一口に通路とは言っても、岩レンガで部分的に補強されている部分を除くと、基本的に岩肌が剥き出しの状態となっており、急場凌ぎに作った感が否めない。


 ただ、人が歩く通路や壁面等、人がれる部分にトゲトゲしい所は無く、それは、この通路がかなり昔に造られ、十分に使い込まれている事を示唆していた。



「会頭、この地下通路の事は内密なのでは? ……」



 先導する男がヨティスの方へと振り返りながら、訝し気に小声で確認をして来るのだが、ヨティスの方は全くそんな事を気にする素振りも見せない。



「気にする事は無い。デメトリオスとはエレトリア攻城戦を共に戦った仲間だ。何だったらお前よりもこの地下通路の事に詳しいだろうよ」



 ヨティスは自分の後ろから、能天気に鼻歌を歌いながら付いて来る男の顔を見て、苦笑いをする。


 暫く暗闇の中を歩いて行くと、レンガで組まれた天井の穴の中から、一本の縄梯子が吊るされているのが見えて来た。



「会頭、こちらでございます」



 先導する男は、縄梯子の下段を己が足で押さえつけると、準備が整った事を頷きをもって知らせて来る。



「ルーカスさん、気を付けて下さい。縄梯子は意外に滑りますので。それからデメトリオス。お前は一回ぐらい滑り落ちても構わんぞ」



 そう言い残すと、ヨティスは身軽にも縄梯子をスルスルと昇って行く。


 あまりの手際の良さに少々驚きはしたものの、ヨティスに続いて縄梯子を上って行くルーカス少年。


 結構な長さの縄梯子を上りきった後に出た場所は、大きな庭園の端にある古ぼけた井戸であった。



「ヨティスさん、ここは?」



 井戸の出口で待ち構えていたヨティスに引き上げてもらったルーカスは、周りを見渡しながら、なにやらいたずら小僧の様に笑っているヨティスに問いかける。



「こちらは、デルフィ自治ギルドの庭園なのですよ。歌劇場の出入り口は大変込み合いますのでね。少々ズルをさせていただきました。さぁ、急ぎましょうか。目的の館はここからすぐですので」


 ヨティスはルーカスにそう告げると、今度は彼自分が庭園の中を先導して行くのであった。

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