第81話 たった三名の増援

「頼むっ……、もう来るなっ……」



 その時トビーは、震える手で短槍を握りしめた。


 つい、数分前に受けた魔獣からの一撃で、今年一緒に入隊した仲間バルテがあっさりと死んだ。


 魔獣に簡単に咥え上げられたかと思うと、そのまま胴を真っ二つに噛み千切られたんだ。


 あの時はまだ、意識があったはずだ。


 魔獣に咥え直された時、間違いなくバルテアイツは、俺の事を見ていたんだ。


 目を大きく見開き、鼻水を垂らし、歯を食いしばり。声にならない声を、俺へと届けようとしていたに違いない。


 だけど……、次にバルテアイツの口からあふれ出たものは、……大量の血液だった。


 バルテアイツの口から噴出ふきだされる大量の血。


 月の光に照らされて、キラキラと輝きながら地面へとまき散らされる……。



「……ヴォエェェェッ」



 急激な吐き気に襲われ、夜食の黒パンとヤギのミルク物を、全て地面へとぶちまける。


 そんな俺の状況を知っているはずなのに、仲間の誰一人として、見向きする者もいない……。



 誰に、そんな余裕があるのか。



 魔獣に襲われ、バルテを失った俺たちは、ファランクスホライゾン/水平陣を諦め、ファランクスサークル/円陣へと移行。


 亀がその首を引っ込めて、外敵が去るのをじっと待つかの様に、俺たちは盾の甲羅の中へと逃げ込んだんだ。



 その後も魔獣ヤツは、俺たちの様子を伺う様に、円陣の周りをゆっくりと回っている。


 それは、ファランクスを恐れて仕掛けて来ない……と言う訳じゃ決して無い。次はどこから順番に殺そうか? と、俺達の事を値踏みしているに違いない。


 魔獣ヤツにとって、これは戦いなんかじゃ無い。単なるジェノサイドお遊びなんだ。



 俺は、このマロネイア軍に今年入隊したばかり。


 腕に自信のあるヤツで、マロネイア軍を目指さない男はいない。


 同じように、エレトリア侯爵軍に入ると言う手もあるが、エレトリア侯爵はここ数年、外征をした事が無い。出世したとしても、せいぜい街を守る衛兵になるのが関の山だ。


 しかし、マロネイア軍は違う。昨年の帝国軍の東征に加え、今年は既に南方大陸への単独外征も行っている。


 去年の東征に参加した隣村の若者は、大量の財宝を持ち帰って、今では隣村の大地主になっていると聞いた。 


 俺がマロネイア様の軍に採用されたと聞いた時、おとうと、おかぁは、涙を流して喜んでくれたものだ。



 だけど……、こんな所で死ぬなんて……。



「……うっ!」



 魔獣が俺の目の前で止まった……。


 その琥珀色の瞳が、間違いなく俺の事を狙っている。


 魔獣コイツは分かってる。


 この中で一番弱いのは、この俺だと。


 ファランクスにより、どれだけ衝突の力を分散しようとも、正面切ってぶつかられたら、まず崩れるのはこの俺だ。


 しかも、ファランクスは、一度崩れると脆い。本当は、背後に何枚ものファランクスが控え、渋皮を何層にも蓄える果物の様に、一枚ずつはがされて行く毎に、敵の力を削いで行くのがセオリーなんだそうだ。


 しかし、俺達のファランクスは一枚限り……。


 俺が破られれば、仲間を含めて全員が魔獣コイツの餌食だ。



 魔獣は、俺に狙いを定めると、ゆっくりとその頭を下げ、体当たりの準備を始める。



 ――万事休す。



 俺は、盾を持つ手に精一杯の力を籠め、来るべき衝撃に備えた。



 と、その時……。



 ――ヒュッ……トスッ!



「グォアァァァッ!」



 魔獣は突然雄たけびを上げると、後方へと飛び退った。



「えっ?!」



 俺は、盾の間から覗き込むと、魔獣の首筋に、一本の黒い鉄矢が突き刺さっていたんだ。



「……クロスボウだ。クロスボウの矢だっ!」



 隣にいる仲間が、急に元気を取り戻した様に叫ぶ。


 後ろを振り向くと、館の方から二人の大柄な兵士がこちらの方へと駆け寄って来るじゃないか。



「仲間だっ! 仲間が助けに来てくれたぞぉ!」


「魔獣に向けて、ファランクスッ!ホライゾン構えっ!」



 リーダの掛け声に従い、円陣を水平陣へと展開。後方から駆けて来た仲間をファランクスの中へと収納する。



「……遅くなって悪かったな」



 話しかけてくれた兵士は、右手にはクロスボウを、腰には大柄なダガーを装備しただけの簡易兵装だ。 もう一人の兵士も、同じ様な兵装なんだけど、その手には得物の一つすら握られていない。


 恐らく、俺達の緊急の笛を聞きつけて、取るものもとりあえず、駆けつけてくれたんだろう。


 非常にありがたい話ではあるけれど、この分では大した戦力強化は望めない。


 俺は、期待と不安が入り混じった表情で、その大柄な兵士を見上げたんだ。



「誰が、この部隊のリーダか?」



 最初の男が俺達全員を見回して誰何する。すると、一番端にいたリーダのバウルさんが、緊張した面持ちで返答を始めたのさ。



「サッ、サロス様。この様な所でお会いできるとは光栄です。わっ私が現在、この隊を指揮しているバウルと申します」


「十人隊長は現在、館正面の方へと巡回中。副隊長は隊長の指示により、不審者捜索の為に、グレーハウンドを連れ出しに行かれました」


「我々は、庭園側で不審者捜索を続行しつつも、途中でグレーハウンドに遭遇。そのまま戦闘状態に突入しました」


「隊のメンバーは六名。但し一名はグレーハウンドとの戦闘により戦闘不能。現存メンバーは五名であります」



 バウルリーダは、そこまでを一気に捲し立てると、サロスと呼ばれた兵士からの指示を待つ。



「うーむ。十人隊長の指示で、魔獣を開放したと言う事か……」



 その兵士は、自身の唇に手を当てて、しばらく考え込んだかと思うと、突然柔和な笑顔を浮かべて、バウルリーダの肩に手を乗せてきた。



「うむ。よく隊を維持してくれたな。礼を言おう」


「これから、この隊は私の指揮下に入る。現在、アエティオス将軍へ増援の連絡を行っている。将軍であれば、数刻と待たぬ内に、大部隊をここへ展開してくれる事だろう」



 その話を聞いた仲間達からは、安堵のため息が漏れる。



「よって、本隊の作戦目標は、これ以上の犠牲を出さず、魔獣をこの場にくぎ付けにし、本隊の到着を待つ事とするっ」



 隊の仲間たちは、一様に緊張した面持で、大きく頷いている。



「……なぁ、このまま全く戦わねぇつもりかぁ?」



 サロスさん新リーダの後ろに控える兵士が、のんびりした口調で横やりを入れて来る。


 恐らく、バウルリーダの緊張具合から見て、このサロスと言う人は、かなりの偉い兵士なんだろう。その人に、こんな口の利き方をするとは、いったいこの後ろの兵士は何者なんだろうか。



「はっはっはっ、タロス。お前はあんな魔獣とも、戦ってみたいのか?」



 サロスさん新リーダは、後ろを振り向きながら、タロスと言う人に向かって、軽く笑いかけた。



「あぁ、折角の機会だからなぁ」



タロスと呼ばれた方の男も、余裕の笑みを浮かべている。



 いやいやいや、魔獣の本当の恐ろしさを知らないから、そんな事が言ってられるんだ。あの魔獣に直面して、そんな軽口が叩けるもんかっ!



 俺は大声でそう叫びたい気持ちを、ぐっと堪えつつ、サロスさんの指示を待った。



「ふふっ、まぁ、後でその様な機会が訪れるやもしれん。それ迄は、一緒にこの甲羅の中で一休みしようぞ」



 サロスさん新リーダは、不満そうなタロスさんを一瞥すると、今来た屋敷に続く暗がりの道の方を凝視する。すると、その暗闇の向こう側から、やはり大柄な兵士が、両手いっぱいに盾やら槍やらを抱えながら、こちらの方へと走って来るのが見えたんだ。



「ふぃぃ。警備用とは言え、三人分の槍や盾は重いのなんのって。タロスぅ、お前の大切な兄上様は、人使いが荒くて困る。こりゃ、給金は二倍、いや、三倍は払ってもらわないと割があわんぞぉ」



 遅れて来た毛むくじゃらの兵士は、楽しそうに笑いながら、持ってきた盾や短槍を、サロスさんとタロスさんに手渡して行く。



「うむ。ご苦労であったなテオドロス。今宵は途中で裏切る事無く、最後まで共に戦おうぞっ」



 盾と槍を受け取った、サロスさんは、そう言い残すと、バウルさんと何やら相談を始めた様だ。



「ちっ! お前の兄貴は、いつも一言多いんだよっ。だから、どうしても俺はこの男が気に入らねぇ」



 完全にサロスさんに聞こえる様な声で、文句をまき散らすテオドロス……さん。サロスさんとタメ口を利くと言う事は、この人も偉い兵士なんだろう。



「で、右端の位置特等席は、俺で良いんだよなぁ。まさか、その栄誉を弟に譲ろうって言う魂胆じゃあるまいな」



 テオドロスさんは、そう言うと、勝手にバウルさんを押しのけて、ちゃっかりファランクスの右端へと陣取り始めた。



 バウルさんと話し込んでいたサロスさんは、苦笑いしつつも、全員に聞こえる様に指示を出し始める。



「残念だがテオドロス。その席は、タロスに譲ってもらおう。お前は、最弱の左端に入れ。そして、後衛は俺一人が行う。それ以外の順列は、今までと同じで良い」



「ファランクス! ……構えぇぇっ」



 サロスさんは、突然まじめな口調で、命令となる掛け声を発したんだ。



「……チッ!」



 口では舌打ちをしつつも、迅速に指示された位置へと収まるテオドロスさん。当然配置された位置は、俺の左隣だ。



「よぉ、俺ぁ、テオドロスって言うんだ。先輩っ! 俺の右半身は、お前の盾で守ってもらわないといけねぇんだからなぁ。死ぬ気でたのむぜぇ」



 毛むくじゃらの顔の、その奥に隠れるつぶらな瞳。


 愛らしく感じるはずの、その瞳を覗き込むと、魔獣と目が合った時以上の恐怖を感じてしまうのは、なぜなのだろうか……。

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