第80話 汚れ役の頭領

「テオドロス、お前っ、本当に覚えは無いのか?」



 妾館内のテルマリウム。


 何人かの人足が、血で汚れた浴槽の跡片付けを行っている真っ最中だ。


 忙しげな人足達を後目に、タロスは、その頭領とおぼしきテオドロスへと、もう一度念を押す様に確認する。



「あぁ、今日の人足にそんなヤツはいねぇなぁ」



 話し掛けられた男は、タロスと同等、もしくはそれ以上の体格を持つ巨漢で、縮れた髪の毛と、たっぷりとした髭が非常に特徴的だ。しかし、その毛むくじゃらの厳つい顔の奥には、言いようの無い、愛らしい瞳が覗いており、そのアンバランスさに、思わず吹き出しそうになる。



「おい、ヨルゴス。デオドロスは知らんと言っておるぞ、お前の聞き間違いではあるまいな」



 タロスは、後ろに控える身長二メートルを超える巨漢に、鋭い視線を向ける。



「いいいやっ、まままっ間違い、ねぇ。あれは、ルルルルーカスだったっ」



 ヨルゴスは野太く、くぐもった声で、タロスへと返事を返す。その言葉の様子とは裏腹に、自分の記憶に十分な自信があるのだろう。堂々とした態度は崩さない。



「……ふん、まぁいい」



 ヨルゴスの確信に満ちた言葉を聞いて、少しあきれた様に、タロスはテオドロスの方へと向き直った。


 そんな二人のやり取りを見ていたテオドロス。今度は半笑いの状態で、タロスへと話し掛ける。



「しっかし、タロス、テルマリウムの中とは言え、派手にやったなぁ。これ、しばらくはこの臭いとれねぇぞぉ」



 テオドロスは血まみれになった浴槽を顎で指し示しながら、タロスの方へと怪訝な表情をみせる。


 非常に大きな規模のテルマリウムである上、現在の様に配管の設備が整っている訳でも無い。幸いな事に少ないながらも自噴する泉から水を引き込んでいる為、なんとかその水を使いながら、べっとりとこびり付いた血を洗い流しているのが現状だ。



「まぁな。ちょっとしたイザコザがあってなぁ。毎回、急な呼び出しで悪いなぁ」



 テオドロスと呼ばれる男とは、旧知の間柄なのであろう。タロスはその男の肩に手をやると、半ば申し訳無さそうに、数回肩を叩く。



「まぁな、良いって事よぉ。その代わり、今回は掃除用の人足、多めに雇ったからなぁ。謝礼はたっぷりたのむぞぉ」



 肩を叩かれたテオドロス。毛むくじゃらの顔に隠れるつぶらな瞳で、軽くウィンクを返しながら笑いかけて来る。



「それにしても、お前の所の魔獣、さっき遠吠えしてたぞぉ。ちゃんと躾けておけよぉ。そのうち北の街区から苦情出んぞぉ」



 テオドロスはもう一度怪訝な表情になって、タロスを問いつめてみるが、言われたタロスの方も困惑の表情だ。



「そうだなぁ。俺も来る途中で聞こえたなぁ……後で様子を見に……」



 そう、タロスが返事を返そうとした所で、一人の人足が血相を変えて、テルマリウムへと駆けこんで来た。



「おっ! おかしらっ! 魔獣がっ! 魔獣が出たあっ!」


「んん? 何だって!?」



 駆け込んで来た男は、テルマリウムの入り口で、そう大声で叫ぶと、どうして良いか分からずに、戸口の所でオロオロとたたらを踏んでいる。



「いっ、今、外で、出したばっかりの死体ブツ食ってやがった! それから、人足も一人、首がびゅーんって、びゅーんって、飛んでったぁ! おかしらっ、マズい! 逃げなきゃマズいよぉ!」



 たった今目撃した内容を、何とかテオドロスへ伝えようと、必死な様子のその男。自分の感情が既に制御できなくなっているのか、涙ながらに訴えかけて来る。



「タロスッ!」



「うむっ!」



 その話を聞いた、タロスとテオドロス。お互いに視線を交わすと、小さく頷き合う。



「お前たちはここから動くなっ! 扉を全て閉めておけ、作業はそのまま続けてくれて構わないっ。もう一度言うぞ、決してここから出るんじゃ無いぞっ!」



 テオドロスは大声で、部屋の人足達に指示を出すと、先に裏口へと駆け出して行ったタロスの後を追う。


 先に裏口に到着したのはタロス。


 彼は、その凄惨な現場に眉根を寄せてうなり声を上げていた。



「うぅぅむむっ……」


「しかし、どうして、グレーハウンドが? 血の臭いにでも引き寄せられたか?」



 しばらく遅れて、ヨルゴスと呼ばれていた兵士と、テオドロスが現場に到着する。



「こいつぁ酷いなぁ……。一撃だな。女の方も、肩口から胸にかけて食われてる……」



 冷静に現場を見て回るテオドロス。


 その発した言葉の内容とは裏腹に、恐らく魔獣に良い様に食い散らされたのであろう、変死体を目の当たりにしたにも関わらず、眉尻一つ動かす事無く、状況を正確に分析している。



「こりゃあ、次の被害が出る前に仕留めないとマズいぞぉ」



 テオドロスは、壁にこびり付いている血を指でなぞりながら、タロスへと視線を送る。



「くっ、そんな事、分かっとるっ!」



 逆にこの状況の中、冷静に話し掛けてくるテオドロスに対して、イライラを募らせてしまうタロス。ちょうどその時。



「ピィィィーーーー、ピィィィーーーー」



 庭園の奥の方から、部隊で緊急事態をしらせる笛の音が聞こえて来た。



「んんっ!? 庭園の方かっ!」



 タロスはそう叫ぶと、振り向きざまに、ヨルゴスに向かって指示を出そうとする。



「ヨルゴスッ! お前は、アゲロス様のお部屋に向かい……っいや、アゲロス様の所には、兄者がいる……そっちは大丈夫だっ」



 途中まで言い掛けた所で思い直し、口を噤むタロス。



「それよりっ……」



 と言いかけた所で、館へと続く坂の下の方から、恐ろしいスピードで駆け上がってくる男の姿が目に入った。



「タロスッ!」



「あっ! 兄者ぁ!」



 坂道を駆け上がって来たのは、タロスが全幅の信頼を置く、兄のサロスであった。



「今の笛の音は?」



 サロスは、全力で坂を駆け上がって来たにも関わらず、息一つ乱す事無く、タロスへと状況の説明を要求する。



「どうやら、仲間が魔獣に襲われてるらしいっ! 兄者はどうしてここへ?」


「うむ。アゲロス様からのご指示で、魔獣の様子を見に行っておったのだ。だが、既に檻を抜け出た後であったな」



 手短に状況を説明すると、周りをぐるりと見渡して、おおよその状況を把握するサロス。



「うーむ。どうやら、仲間は本当に魔獣と戦っている様だな。アエティオス将軍へは伝令を飛ばしてある。まずは我々で仲間を助けるぞっ! ヨルゴスッお前も来い!」



 そう言うなり、庭園の方へと駆け出そうとするサロス。しかし、首のない死体の傍に立つ、毛むくじゃらの男の姿を見つけると、いきなりその場に立ち止まった。



「テオドロス、テオドロスか。……久しいな。……タロスに頼まれての汚れ仕事か?」



 サロスは自分の後ろに控えるタロスへと視線を向ける。



「あぁ、兄者っ。実は……テオドロスにはこれまでも、時々こういう仕事を頼んでいてだなぁ……」



 兄の鋭い眼光に、上手く説明できずに口ごもるタロス。



「……まぁ良い」



 サロスは自分の弟から目を逸らすと、もう一度テオドロスを見据える。



「今は緊急事態だ。テオドロスお前も、タロスに金で雇われた身なのだろう。裏口脇の小部屋には、兵士用の詰め所がある。そこから必要な武具を持って来い。できれば、俺とタロス、二人分の盾と槍も頼む」



 サロスはそれだけを言い残すと、足早に庭園の方へと駆け出して行く。



「へっ、俺が雇われた仕事は、死体の跡片付けだけなんだよっ。好き好んで魔獣のお相手なんてやってられっかよぉ」



 テオドロスは不満げに独り言ちると、地面に横たわる男の死体を足でひっくり返してみる。



「おい、テオドロス。そう言うなって。兄者もお前がいてくれたのが、嬉しいんだよ。それに、今は緊急事態だ。後で金は弾むから、頼まれてくれよっ」



 タロスは申し訳無さそうに、テオドロスに向かって一言添えると、既に走り去ってしまった兄を追う様に、駆け出して行った。



「……ちっ」



 一人残されたテオドロスは、全く面白く無さそうに舌打ちを一つ。その後、思い直した様に、館の戸口の方へと走り込んで行く。



「しっかし、俺のサイズの甲冑って、あんのかぁ……」



 本当に嫌そうにグチグチと文句を言いながら、兵士用の詰め所を物色するテオドロス。しかし、その毛むくじゃらの髭に隠された地顔には、これから始まるであろう、命を懸けた大勝負を心待ちにする、妖しい笑いが浮かんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る