第66話 ルーカス侵入

「おぉいぃ、おっおっおっお前っ、そこで何してる?」



 低く、野太く、くぐもった様なその男の声は、吃音である事も相まって、非常に聞き取り辛い。



「おぃぃ、おっおっお前だよっ、おぃぃ……」



 その大柄な男は、庭園奥の闇の中から、ゆっくりとその姿を現して来た。


 始めてこの男を見る者は、最初は冗談かとも思う事だろう。門の両側にある篝火に照らし出されたその体は、ゆうに2メートルを超えている。


 しかも、その身には、戦時でも無いのに、篝火によりゆらゆらと妖しく輝く、銀の甲冑が纏われていた。



「……えっ? 俺の事かい?」



 その少年は、思わず周りを見渡してから、もう一度、鉄格子で作られた重厚な門の奥から現れた男へと返答する。



「そそそっ、そこには、おっおっお前しか、いねぇだろぉ?」



 なおも、巨大な体躯をもつ兵士は、少年に強い口調で問い詰めて来る。



「……いやぁ、俺、別に怪しい者じゃ……」



 少年は、鉄格子から少しづつ後退る様にしながら、要領を得ない返事を返すが、こんな夜更けに、他人の邸宅の鉄格子の中を覗き込む人間が、怪しく無い訳がない。



「ちょちょちょっと、お前っ、そこを動くなぁ」



 その兵士は、鉄格子で作られた門の所までゆっくりとやって来た。


 改めて門から少し離れて、近づいて来たその兵士を見上げると、鉄格子で作られた門よりも、ちょうど頭一つ分、兵士の方が大きい様だ。


 そのまま、門を開ける事なく、鉄格子で作られた門の上から無言で少年を睨みつけて来る。



「…………」



 ついにその無言に耐えられなくなった少年は、自分の方から兵士へと質問を投げかけてみた。



「……あぁ、こっここって、マロネイア様のお屋敷なんだろう?……」



 少年は恐るおそる、門の奥に佇む兵士に向かって話かけるが、兵士の方は何の返答もせず、更に少年を睨み続ける。



「……あっ! そっそうそう! 俺っ、マロネイア様から呼ばれて来たんだよ!」



 兵士の無言の圧力に屈した少年は、思わず口から出まかせを言ってしまうのだが、もし、このまま兵士が全く返事をせず、更に睨み付けられる様であれば、一旦全力でこの場から逃げ去るつもりで、彼の下半身は今にも駆け出せる様に、準備に入っていた。



「……おおおっ、お前っ「汚れ役」にぃなったのかぁ?……」



「……はえっ?」



 少年は、この兵士の言っている意味が全く理解できていなかったのだが、兵士からの初めての返答に、少年の野生の勘は『ここは乗っておくべきだ!』との判断を瞬時に下した。



「そそそ、そうだよっ。そうなんだよ。俺っ、その「汚れ役」の人間なんだっ!……でも、他の連中ぅ遅ぇなぁぁ。本当に困っちゃうよなぁ。へへへ。ちょっと俺、早く着きすぎたのかなぁ」



 少年は、愛想笑いを浮かべながら、とりあえず思いつくまま、話を合わせてみると、巨躯を持つ兵士は、鉄格子で作られた門の上から、怪訝そうな表情で少年に教えてくれる。



「……はぁぁ? もう、お前の仲間は、なっなっ中で、仕事中だぞぉ……」



 ――しめたっ! この兵士、ちょっと残念なヤツだっ!



 少年は、勝機を掴んだかの如く、急に元気を取り戻すと、自信満々に兵士に向き直った。



「あぁ、悪ぃワリィィ。そうかぁ、俺が時間、間違えちゃったのかぁ」


「でもよぉ、俺ぁ、この時間だと聞いてたんだよぉ。……きっと親方が俺に時間を間違えて言っちゃったんだろうなぁ。本当に困った親方だよなぁ」



 少年は一人納得した様に頷きながら、横目で兵士の様子を探る。


 兵士の方も、暫くアホの子の様に口を開けて何やら考えていたのだが、先ほどまでの険しい表情は収まって来た様子だ。



「まままぁ、あの親方ならぁ、仕方ねぇやなぁ。……アイツはぁ、ちょっとココが足りねぇからなぁ」



 巨躯を持つ兵士は、自身の鉄兜の上から自分の頭を『ココッ』と指さしながら、意外と温和な笑顔を少年に見せる。



「……そっ! そうだよなぁ。流石はマロネイア様の家の門番様だなぁ。良く分かってるよっ。やっぱり俺たちとはココが違うんだろうなぁ」



 少年も門番に合わせて邪気の無い笑顔を見せると、自分の頭を『ココ』と指さしてみる。



「はははははっ。そうだろう、そうだろう。おおおっ、お前たちとは『ココ』の出来が違うからなぁ」



 すっかり上機嫌になった兵士は、もう一度自分の頭を指さしている。



 ――やべぇ、こいつ本当に残念なヤツだ。このまま朝まで、これの繰り返しになるぞぉ。



 少年は少し焦り気味に、話題を変える方向へ決断を下した。



「なぁ、あんた……そういえば名前は何って言うんだい?」



 少年はフランクな感じを醸し出しながら、門番の兵士に話し掛ける。


 すると、先ほどまで温和な笑顔をたたえていた兵士の表情が一瞬で曇ってしまった。



 ――あっヤベっ! 俺、何かマズい事言ったのか?



 少年は内心の焦りを出来るだけ表面に出さない様、愛想笑いの分量を20%程度増してはみたものの、彼の背中には大量の冷や汗が滝の様に流れ始める。



「はぁぁぁ。何言ってるんだよぉ。お前はぁ、せっせっ1,018日前に来た、ルーカスだろうぉ?」


「すっすっすっかり大きくなって、俺も最初は誰だか分らなかったよぉ……」



 門番の兵士は、さも当然のごとくルーカスの名前を挙げるが、ルーカスの方は全く記憶にない。



「そっそうでしたっけ? 俺、前に門番様にお会いしてましたっけ? ……でも俺、千日前ぐらいになると、まだ小さかったから、覚えて無いのかもっ! ……そうそう、だいたい俺の「ココ」なんて、門番様の足元にも及ば無いんだから、仕方無いですよぉ」



 ルーカスは何とか過去の記憶からこの男の情報を引っ張り出そうとするのだが、全くの徒労に終わる。仕方なく、今度は門番を持ち上げる方向に作戦を変更。


 ルーカスの言い訳にもならない言い訳を聞いた門番は、再度アホの子の様に口を開いて暫く思案した後に、もう一度温和な表情に戻ってくれた。



「そそそ、そうだなぁ。おおおっお前は、まだ小さかったからなぁ。それじゃぁ仕方がねぇ。俺の名前をもう一度教えておいてやるよぉ。俺はぁ、『ヨルゴス』って言うんだぁ。今度は忘れるんじゃねぇぞぉ」



 ヨルゴスはそう言うと、鉄格子で作られた大きな門の横に併設されてる、使用人用の小さな扉の鍵を開けて、そこから自分の手だけだして、ルーカス少年を招き入れてくれたのだ。



「はっはっはっ早く行かねぇと、親方に叱られるぞぉ」



 ルーカス少年は、ヨルゴスに手招きされるままに、使用人用の扉をくぐると、そのままの勢いて、奥に見える屋敷の明かりの方を目指して駆け出して行こうとする。



「あぁ、ヨルゴスさん。ありがとうっ!」



 ルーカスがお礼もそこそこにヨルゴスの脇を走り抜けると、それを追う様に後ろからヨルゴスの声が聞こえて来た。



「おおおっおぉい。そっちじゃなくて、右の使用人用のお屋敷の方だからなぁ……それから、前にも言ったけど、俺の事はヨルゴスで良いよぉ。『さん』はいらねぇからなぁ……」



 ルーカス少年はヨルゴスのその声に片手を上げて応えただけで、全く後ろを振り向く事もせず、言われた屋敷に向かって一目散に駆けて行った。



「……ふーむ」



 使用人屋敷の方へと駆けて行くルーカスの様子を後ろから眺めていたヨルゴスは、使用人用の扉の施錠をもう一度確認してから独り言ちる。



「……ルルル、ルーカスかぁ。アイツ、昔は港で働くって言ってたはずだけど、よよよっ『汚れ役』になるとはなぁ。……あぁ、そうだ。何かあったら隊長に報告しろって言われてたなぁ。報告しに行くかぁ」



 ヨルゴスはこの門からさほど遠くない、隊長のいる詰め所の方へとゆっくりと歩き出した。

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