第52話 ミラージュ(蜃気楼)
――ダダダン!
「今旬のクィーン オブ デルフィはぁ!……」
――フッ……。
司会者の次の言葉を待ちわびて、シン……と静まり返った会場全体が、突然『
これまで昼間の様に明るく照らし出されていたステージ上の明かりが、全て一斉に消されたのだ。
実際には篝火や照明用のランプに鉄製の蓋を被せただけなのだが、明るいステージに目が慣れていた観客達は、急な暗闇に放り込まれた様な不安感を受けただろう。
「……ゴクリ……」
観客は突然の暗闇に度肝を抜かれ、驚きの声を上げるでも無く、その場で硬直する。
――ダン、ダン、ダダン、ダンダッ、ダン、ダダン!
暗闇に支配されたステージから、ドラムを叩く音が鳴り始める。
――ダン、ダン、ダダン、ダンダッ、ダン、ダダン!
そのドラムの音は、徐々にその数を増やし、終いには会場全体を大きく包み込む大音響となって観客を圧倒し始めた。
「……南方大陸っ!……これは南方大陸の『戦い』の曲だぁ……」
会場全体からはざわめきとともに、これが何の曲であるのかを理解する者たちが、その由来について話し始める。
「おっ親方ぁ。この曲……南方大陸の曲って……どういう事?……」
ルーカスは未だに暗闇に包まれるステージ上を見つめながら、横にいる親方へ不安げに尋ねる。
幸い、貴賓席や、一般席の辻々にある小さな篝火は消されていない為、薄っすらとではあるが、横にいる人の顔ぐらいは見て取れる。
話しかけられた親方の方も、自分のソファーから少し立ち上がりかけた姿勢のままステージ上にくぎ付けになっていたのだが、ようやく我に返ったのか、それでもステージ上を見つめたままで、ルーカスの疑問に答えてくれた。
「あっあぁぁ……これは、南方大陸で、戦いを始める前に鳴らされる曲なんだ……。奴らは戦いの前に必ずこの曲を踊る事で、自分たちの士気を高めてるらしい……」
「ゴクリッ……」
親方が生唾を飲み込む音が聞こえて来る。
「最近は南方大陸の一部とも交易してるから、エレトリアでもたまに聞く事が無い訳じゃあねぇが。これは本物だぁ。俺が南方大陸に従軍した時に聞いたヤツと全く同じだ。……ヤベェ、こいつはヤベェヤツだ」
「うぅぅ……」
――ブルルルッ
ルーカスはその話を聞いて、思わず身震いをする。
険しい顔で暫く考え込んでいた親方だが、何か思い当たる節があったのか、その顔をゆっくりと笑顔に変えて行った。
「……ははぁ。そういう事かぁ」
親方は、それでもステージの方を向いたまま、自分のソファーに深く座り直すと、少し得心のいった様に頷き始めた。
「えぇっ? 親方ぁ……、いったいどう言う事だよ?」
ルーカスがもう一度、親方に向かって尋ねると、親方は嬉しそうに答え始める。
「ルーカス! 来るぜ! 今日は出て来るぜぇ。確かミラージュは元々南方大陸の出身だぁ。これはあいつの戦いの曲に違げぇねぇ」
親方は嬉しそうに、そうつぶやきながら、手元に置いてあったワインを一気に呷る。
そうこうしている内に、ようやく暗闇に目が慣れて来た観客は、ステージ中央に設えてあるせりだし用の階段から、一人の女性がゆっくりとステージ上に登って来るのを見つけた。
「「「ふおぉぉぉぉぉ……」」」
先にその人物を見つけた観客の声が、どよめきの輪となって、順々に会場全体へと広がって行く。
その人物は薄い赤色のストラをヴェールの様に被りながら、深紅に染められたトガを身にまとっていた。
――ダン、ダン、ダダン、ダンダッ、ダン、ダダン!
ドラムの音は既に観客の鼓膜を破らんばかりの大音響となっている。
……パォォォォ……パォォォォ……パォォォォ…………
そんな中、今度はホルンによる甲高い金属音が三度響き渡る。それは南方大陸に生息するエレファントが突然会場に乱入したかの様だ
――ダン、ダダン!!
ホルンの音に示し合わせたかの様にドラムの音が一斉に鳴り止む。
一瞬の静寂の後、ゆっくりとステージ上の女性が透き通る様な声で歌い始めた。
その歌声は哀愁を帯びたものであり、歌詞の中には部分的に異国の言葉が含まれていて、その全てを理解する事は出来ない。しかし、恐らくはこれから戦に向かう戦士たちに対しての、
楽団は、先ほどの勇ましい楽曲とは対照的に、今度は静かに染み渡る様な旋律で、彼女の歌声を支えてくれる。
そして、彼女は自ら歌いながらステージの中央に歩み出ると、目深に被っていたストラをゆっくりと脱ぎ捨てた。
「「「うおぉぉぉぉ……わぁぁぁぁぁ」」」
「「「ピィーーー、ピィーーーー」」」
観客からは大きなどよめきを含む歓声と指笛、更には割れんばかりの拍手が巻き起こる。
ストラの下から現れた彼女の髪は燃える様な
そう、彼女こそ、その存在すら疑われ始めていた
「「「ミラージュ! ミラージュ!」」」
「「「エマヌエラ! エマヌエラー!」」」
観客からは彼女の名前を呼び、叫ぶ声が止まらない。
いつの間にか彼女の歌声は、楽団のコーラスへと受け継がれ、彼女自身はステージの中央で優雅に舞い踊り始めたのだ。
彼女は深紅に染められたトガを脱ぎ捨て、その豊満な胸元を強調する金糸で編み込まれたリボンを紐解くと、そのリボンを観客席へと投げ入れる。
「「わぁぁぁぁぁ……おぉぉぉぉぉ……」」」
ステージ横の観客席では、投げ込まれたリボンを奪い合う為に数人の観客が殴り合いの喧嘩を始める始末だ。しかし、騒ぎを起こした観客は、瞬く間に屈強な自警団のメンバーに拘束され、会場の外へと連れ出されてしまった。
ステージ上の彼女は、その様子を一瞥するも、そんな
更に、曲の盛り上がる場面では、クルクルと回り始めたかと思うと、突然手足を大きく広げて大きく跳躍。その飛び上がる高さは優に二メートルは超えており、常人の技とはとても思えない。
「「「うわぁぁぁぁぁ……」」」
「「「ミラージュ! ミラージュ!」」」
「「「エマヌエラ! エマヌエラー!」」」
観客からはその人間離れしたパフォーマンスに、何度目かの大歓声が巻き起こった。
やがて曲の終盤。
彼女はステージ上で、火照った体をクールダウンさせるかの様に、小さく舞い踊りながら、ゆっくりと彼女の汗の染みついたストラを脱ぎ始めたのだ。
「「「はぁぁぁ……うわぁぁぁ……キャー……」」」
本来、彼女が脱ぐ事を期待していたはずの観客から、悲鳴ともとれる様な歓声が上がる。
彼女はそんな観客の声が全く聞こえていないかの様に、冷静に、かつ大胆に最後のストラを脱ぎ捨てると、その神々しいまでのプロポーションを見せ付けながら、ステージ上でゆっくりと一回りする。
「おっ……親方ぁ! あれっ、あれ見て! あれ!」
ルーカスは驚いた様子で、曲の終わりに合わせてステージ上で優雅に跪く彼女を指さした。
「ルーカスゥ……ようやく気付いたか。……そうさ、彼女は『獣人』さぁ。まぁ獣人の中でも、飛び切り美人の『獣人』って訳だけどなぁ……」
親方はステージ上で跪く彼女に見とれながら、うわ言の様に呟いている。
そんな彼女の背後からは、彼女の髪と同じ色をした細くフワフワとした尻尾が、ゆらゆらと揺蕩って見えた。
暫くして、彼女は静かな伴奏に合わせて舞台袖へと引き上げて行くのだが、彼女の登場を長く待ちわびていた観客達からは、盛大な拍手が送られ、全く収集が付かない状態となってしまった。
親方も貴賓席の手すりから身を乗り出す様にして「ミラージュをもう一度出せ!」と、怒鳴る始末。
全く歓声が鳴り止まぬ中、彼女は真新しい純白のストラに着替え、今度はトガの代わりに赤地の大きな布をマントの様に羽織って、もう一度舞台袖から現れたのだ。
「「「ミラージュ! ミラージュ! エマヌエラァァ!」」」
彼女が笑いながら観客に手を振ると、会場全体からは、彼女の再登場を歓迎する拍手が巻き起こる。
そして、一通り拍手が鳴り止んだ所で、彼女はアカペラで歌い始めた。
『栄光の朝日が昇る
崇め奉らん、慈悲深き太陽の神
祖国を守る偉大なる金獅子よ』
その歌は、エレトリアがまだ国家として独立していた頃の国歌である。そして彼女はマントの様に羽織っていた大きな布を掴むと、自身の目の前で大きく広げて見せる。それは赤地に金獅子の刺繍が施された、エレトリアの国旗であった。
『戦いの準備は整った
勇敢なる戦士たち、さぁ剣を取れ、立ち上がれ
我らが祖国の為に、その血を捧げよ』
先ほどまで笑顔で歓声を送っていた観客は次々に立ち上がり、それぞれが自身の右腕を胸に当て、ミラージュの歌に合わせて歌い始める。中には歌いながら涙ぐむ者や、隣同士で肩を組みながら歌い始めた者もいる。
『愛しき
我らを脅かす暴君に裁きの鉄槌を下すのだ』
ちょうど『
『自由の都、約束された土地
エレトリア、エレトリア、我らが故郷
エレトリア、エレトリア、我らが誇り……』
エマヌエラとともに歌い終わった観客は、一斉に歓声を上げると、太陽神とエレトリア、そしてこの歌を最後に歌ってくれたミラージュことエマヌエラを称え始めた。
その歓声は広い歌劇場にこだまして、とどまる事を知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます