第51話 バジルとの約束

「ねぇ、キミも彼女がキレイだと思うのかい?」



 隣の桟敷席から、突然少しぽっちゃりした少年が、嬉しそうにルーカスに話しかけて来た。


 この黄金のマスクを被っている少年、素性こそ知れはしないが、彼のマスクには大小様々な宝石がちりばめられており、相当の資産家である事が一目瞭然だ。



「あぁ、突然悪かった。僕は……ちょっと名前は明かす事は出来ないんだが、彼女のファンの一人なんだよ。……えぇぇっとぉ、キミは……?」



 マスクを被ったぽっちゃり少年は、自分は名乗らないにも関わらず、ルーカスには名乗る様に仕向けて来る。


 すこし困り顔のルーカス少年の後ろから、慌ててヨティスが急に割り込んで来て、間を取り持ち始めた。



「あぁ、旦那様。こちらの少年はルーカス様と申します。帝都の方のとあるご貴族様の御舎弟で、本日はエレトリアへのお忍び旅行との事でございまして、身なりの方もそれに合わせて、ご変装遊ばされているのでございます」



 ヨティスは、いかにも嘘くさい言い訳で取り繕おうとしてるのだが、ぽっちゃり少年の方はすっかりその話を信じ切った様だ。世間知らずのお坊ちゃまと言う事なのだろうか、案外ちょろい性格の少年らしい。



「おぉ、そうでしたか。これは大変失礼をした、ルーカス殿。私は、ヴァシ……うぅぅん、そうそう、バジル……バジルと呼んで欲しい。私も近々帝都の方に行く予定もある。今後はよしなに」



 バジル少年は趣味の合う歳の近い友人が出来た事を、非常に喜んでいる様だ。



「……しかし、ルーカス殿も驚かれませんでしたか?、あのママンが第二位とは。あの美しいママンがですよ?」



 自分のソファーのひじ掛けに身を乗り出す様にして、なおも嬉しそうにルーカスに話しかけて来るバジル少年。



「えっえぇ。バジルさんはママンを大層お気に入りのご様子ですね」



 ルーカスは、お金持ちの友人がいる訳でも無く、自分の知る精一杯の敬語で話を合わせてみる。



「はっはっは。もちろん! 私の一推イチおししですよ!……いや、いや実はですな……」



 バジル少年はそう言うと、おもむろにルーカス少年の耳元に顔を寄せ、小声で話始めた。



「私、半年ほど前に、とある女性と結婚の約束をする事になりましてなぁ」


「その娘、家柄も容姿……も素晴らしいのだが、何分にもまだ十三歳と成人してもおらん。と言う事で現在はフィアンセと言う事になっておりまして……ふぅ」



 バジルは困った様な様子で溜息を付く。



「これが、まだ結婚もしていないと言うのに、独占欲……と言うか、嫉妬心の強い娘でしてなぁ。今まで私の周りにいた侍女達を、全て自分の連れて来た侍女達に入れ替えてしまったのですよ!」


「しかも、しかもだ!その侍女たち、全員がぜんいん、幼女に醜女と言う徹底ぶり。もう、息の詰まる事、詰まる事!」



 ここまで話て、バジルは綺麗に整えられたブロンドに輝く自分の髪をくしゃくしゃと掻きむしる。



「そんな時、ひょんな事から知人の紹介であのママンに知り合う事になったのだけれども、……これがこれが。何とも良い女性でしてねぇ……」



「特に何と言うか……そのぉ……」



 バジル少年は何だか言いにくそうに、もじもじとしている。



「……あの優しい様子や、ふくよかな体……特にあの胸は特に素晴らしそうですからねっ」



 見かねたルーカスは、バジル少年が言いたそうな事を代わりに言ってあげる。



「そそそ、そうなんだよ。さすがはルーカス殿。全てお見通しとは感服する。そう……あのふくよかな胸に抱かれている時は、この世のものとも思えない心地になるんだぁ……」


「あぁ、このままママンと一緒にプロピュライアを通って天界に召されるのではと、何度も思ったものだよぉ」



 バジル少年はマスク越しなのでその表情は良く分からないのだが、の事を思い出しているのだろう、両腕で自分の体を抱きしめると、体を左右に振りながら身もだえしている。



「もちろん、が悪い訳じゃないんだ。彼女は綺麗だし頭もキレる。きっと私の代わりに色々なまつりごとにも携わってくれる事だろう。ただ、何と言うか……そのぉ……」



 またもや言いにくそうなバジル少年。ルーカスは仕方なくもう一度助け船を出す。



「「胸が小さいちっぱい!」」



 ちょうど、意を決して話始めたバジル少年の声と、ルーカスの声が重なる。



「「あははっあははははっ!」」



 二人とも、声を合わせる様に大声で笑い合う。



「あぁはっはっ、はぁはぁ……。いやぁ、ルーカス殿とは本当に気が合う。十年来の友人でもこうは行かないだろう」


「どうだい。もしこの後、予定が無いのであれば、私の屋敷……、いや、ナルキソスの方にでも、宴席の場を設けよう。しかもだ。君だったらママンを呼んでも構わないよ」



 バジル少年は少しだけマスクをずらして直接ルーカス少年を見ながら、いたずらっ子の様な笑顔を見せる。



「えっ? あぁ。でも、今日はそのぉ……」



 ルーカスが少し困った様子で言葉を濁していると、バジル少年は『はっ』と何かを思い出した様だ。



「あぁ、しまった! 本当に申し訳無い。実は今日この後、クリスティアナと約束があるんだった。どうも彼女は私がこの大会に出席した後に、来るのでは無いかと疑っていてねぇ。今日は彼女が眠る時の絵本を、私が読んであげる事になっているんだよ」


「もちろん、まだ成人もしていない娘に手を出す訳にも行かず、本当に蛇の生殺し状態さぁ」



 バジル少年はやれやれと言った様子で、自分の両手を広げて見せる。


 ルーカスの方はと言うと、ちょっとホッとした半面、少し残念そうな面持ちだ。



「いやぁ、それは残念でした。フィアンセとのお約束と言う事であれば、仕方がありませんね。私も一度で良いから、ママンにお会いしてみたかったですよ」



 ルーカスとしては社交辞令として言ってみただけだったのだが、素直なバジルは、そうは受け取らなかった様だ。



「うぅぅん、それはしかり。……ここまで息の合う友人は、早々手に入れられるものでは無い。昔から真の友人は金の馬車で迎えに行けと言いますからなぁ……」



 バジル少年は真剣に考え始める。



「あぁ、バジルさん、そんなに気を使わなくても……」



 ルーカスは、このバジル少年を騙している事に、少なからずの罪悪感を感じ、申し訳無い気分に陥ってしまう。



「よし! こうしましょう。ルーカス殿がこのエレトリアに滞在している間に、私の方で宴席を設けさせて頂きたい。必ずや、帝都の洗練された宴にも勝るとも劣らない宴席にしてみせましょう!」


「あぁその前に、ルーカス殿はいつ頃までこのエレトリアにご滞留されるのかな?」



 バジル少年は興奮気味に、ルーカスの予定を確認して来る。



「いえっ、あのぉ……しばらくは滞在しようかなぁ……なぁんて」



 ルーカスは少し歯切れの悪い言い方をするのだが、バジル少年はそれをルーカスの奥ゆかしさであると判断。



「いやいや、流石は帝国貴族のご舎弟。社交界のマナーと言うヤツですかな。そんなお気遣いはご無用です。ご安心下さい。できるだけ早くその場を設けさせていただきますよ」



 バジルはそう言うと、後ろを振り向いて、年配の執事の様な男性に話しかける。



ぃ。今の話、聞いておっただろう。ルーカス殿を持て成す宴席を設ける。急ぎナルキソスを貸し切りにできる日取りを調整してくれ」


「あぁ、それからルーカス殿へも案内状を渡さねばなるまい。と言いつつ、ルーカス殿が宿泊されている宿の方へ赴くのも無粋。そうだ! 会頭がルーカス殿の旅のお世話をしているとの事だから、些事を含めて会頭の方と取り決めするとよかろう。なぁ会頭、良いであろう?」



 バジル少年にそこまで言われて、断る術の無いヨティスは、満面の笑みで『もちろんでございます』と答える。



「よぉし、忙しくなって来たぞぉ。会頭、どうせこの後のミラージュは欠席なのであろう? もし欠席なのであれば、私はもう帰る」



 そう言うが早いか、バジル少年は席を立ち上がりかける。



「あぁ、ヴァシレイオス様、少々お待ち下さいませ。ただいま馬車の手配を行いますので……」



 先ほど少年から「ぃ」と呼ばれた年配の執事は、立ち上がりかけている少年を何とかその場で宥めながら、他の使用人に目配せを行う。



 ちょうどその時、ステージ中央の方から司会者の声が聞こえて来た。



「……レディース、アーンド、ジェントルメン……」



「いやぁぁ毎回、我々の期待を上回る『踊り』を披露してくれるママン。もぅ私もママンの一挙手一投足にくぎ付けでした!」


「しかし、しかぁぁぁし。今回は大番狂わせ! 私もママンの第二位には本当に驚かされましたね!」


「と言う事はぁ……、なんと! なんと! 十九大会ぶりに新女王が誕生するのです!」



 司会者がそこまで話した所で、客先からはブーイングとヤジが飛ぶ。



「どうせ一位はミラージュなんだろう!」


「また不参加かよぉ!」


「そうだ! そうだ!」


「「「ブーーーーーーー!」」」「「「ブーーーーーーー!」」」



 司会者は会場からのブーイングの嵐を一身で受け止めつつも、余裕の表情でゆっくりと頷くばかりだ。


 その余裕の表情に『おや?』と思った観衆が、少しずつブーイングを止め、会場全体が徐々に静かになって行く。



 ようやく落ち着いて来た会場を、一度だけ大きく見渡した司会者は、更に大きな声を張り上げた。



「私、この五旬もの間、遊んでいた訳ではございません!」


「……しかも、本日は新女王の誕生する記念すべき日でございます!」



 その司会者の言葉を聞いて、会場全体が無言ながらも、次第に期待の込められた熱気に包まれて行く。



「それでは、今旬のクィーン オブ デルフィを発表させていただきましょう!」



 再び会場にはドラムロールの音が流れ始める。



「ダダダン! 今旬のクィーン オブ デルフィはぁ!……」



 歌劇場全体が水を打ったような静けさに包まれた。

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