■第五章 重婚疑惑(皇子ルート)

第53話 ミルカの憂鬱(前編)

「キャァッ!」



 そこは、太陽神殿奥にある『控えの間』。


 その部屋へと続く大きな扉から、突然の悲鳴が聞こえて来ました。



 ビクッ……



「びくっ……」



「……」



「せっ……先輩……今、悲鳴?……聞こえました……よねっ? 私、思わず『びくっ』って口から出ちゃいましたよ!」



 先輩は何も言いませんが、確かに……確かに『控えの間』から、女性の悲鳴が聞こえて来たんです!


 えぇ、絶対に間違いありません。


 その証拠に、隣にいる先輩侍女のマリレナさんも、私と同じ様に『ビクッ』とされていたのですもの。


 絶対に『ただならぬ』事が部屋の中で起きているに違いありません!



「どっどっ、どうしましょう。どうしましょう!」


「あれ、きっとリーティア様の悲鳴ですよ! はっ早くお助けしないと!」



 どうして良いかわからない私は、隣にいる先輩に、訴えかけます。



「だっ大丈夫よ。 そう、大丈夫。大丈夫……」



 先輩は、ちょっと目が『きょど』ってはいますが、控えの間に続く扉に背を向けた姿勢で、真っすぐ前を向いたまま、微動だにしていません。


 うぅぅむ、流石です。この悲鳴を聞いても動じないとは……。


 ただ、何とか平静を保とうと、何度も深呼吸を繰り返している様です。


 でも、それでは手遅れになるかもしれないと言うのにっ!



「ええっ! ほっ本当に大丈夫ですか?」



 私はどうしても信じられず、もう一度先輩に聞き返してしまいました。



「なっ……何言ってるのっ!」


「大丈夫に決まっているでしょう! 中には皇子様とリーティア様しかいないんだから!」


「すっ、少しぐらい強引じゃないと、盛り上がる物も盛り上がらないのよっ」



 何が『大丈夫』で、何が『盛り上る』のかは、全く分かりませんが、半ば逆切れの感じで、先輩に怒られてしまいました。



 ――少し不本意です。



 私はミルカ。


 今年の春に神官学校を卒業し、初めてこの太陽神殿に神官見習いとしてまだ通い始めたばかり。


 初めてのお仕事が、ハイエルフであるリーティア様の侍女になる事でした。


 エルフ族は魔法特性が高いと言われていて、神官を目指す者が数多くいます。


 私も幼い頃の魔法特性の高さから、神官学校へ通わせてもらっていたのです。


 ただ、神官学校を卒業しても、すぐに神官になれる訳ではありません。


 それぞれが自分の信奉する神殿で更に修行を重ね、初めて一人前の神官になることが出来るのです。


 まだ半人前の私は、司教であるハイエルフ様をお助けする為の侍女として働きつつ、毎日神官になるための修行に勤しんでいる訳なのです。


 そして、隣にいるのは私の先輩侍女であるマリレナさん。


 私よりも三つ年上で、大ベテランの先輩です。


 はとっても優しくて、いつも私を可愛がってくれますが、時々余裕がなくなると、今みたいに逆切れしてきます。



 ――本当に不本意です。



 ただ、先輩マリレナさんの話では、リーティア様の侍女になれたのは、とてもラッキーな事だそうです。


 他にも大司教のダニエラ様をはじめ、多くの司教様がおられますが、その中でも一番若いリーティア様はとても侍女への面倒見も良く、お優しい方との事でした。



 ……それは、ありがたい。



 それに、マリレナさんの話では、一番若くて可愛いリーティア様は、神族様の『お手付き』になる可能性が高いそうです。


 『お手付き』とは何なのか良くわかりませんが、とっても尊い神族様の仲間入りができるかもしれない、と言う事なのだそうです。


 もしリーティア様が神族方の『お手付き』になれば、リーティア様は今でこそ末席の司教様ですけれど、一躍、神族の一員になられるそうなのです。



 ――それはスゴい。『お手付き』制度ルール凄い!



 普通『お手付き』って、遊びの中だと、やっちゃ駄目な印象があるんですけど、これは是非お願いしたい!


 そうなれば、その侍女である私たちも、『大出世できるかもしれないのよ!』と先輩は言います。



 ――まぁ、大出世する前に、まず先輩おまえが神官になれよ、と……



 って思いましたが、もちろんそんな事は口には出来ません。


 更に先輩の話では、神族の侍女になれば、『命』を保ったまま、プロピュライアを通って神界に出入りする事ができる様になるそうです。



 ――まじかー! それは格好良い!



 しかも、神族の世界で、他の神様に見初みそめられる事にでもなったら、あなた! なんとこの私たちですら、神族の末端に列せられるかもしれないのです。


 もしそんな事になれば、私一人の幸せだけでなく、一族郎党、果ては村全体がその恩恵を受ける事、間違いありません。



「むっふぅぅ……」



 俄然やる気が出てきました。


 これは一肌も、二肌も脱いで、リーティア様には早めに『お手付き』になって頂かなければなりません。


 そんな、司教様や神族の情報に、詳しい先輩が、こんなに余裕を無くしているのを初めて目にしました。



「あのぉ、先輩?……」



 更にマレリナさんに質問するため、話しかけようとした時。



「はうはぅ……あぁぁぁぁぁ!」



 また、扉の向こうから、今度は皇子様の声が聞こえて来ました!


 今度は悲鳴ではありません。うーん、なんと言うか、そのぉ……とっても切ない感じの声なのです。


 今度は皇子様に何か起こったに違いありません。さすがにこれは見過ごせないでしょう。



「先輩っ! やっぱり何かあったんですよ。中に入って確かめた方が……むぐっんん?」



 そこまで言った所で。急にマリレナさんの左手が伸びて来て、私の口をふさぎます。



「少し黙ってらっしゃい!」



 先輩はものすごい形相で私を叱ります。



 ――えぇっ、でもぉ……。



「当たり前でしょ。そりゃ、あんなに可愛いリーティア様に『責め』られるんですものっ!」


「皇子様だって、声の一つや二つは出るわよっ!」



 ――えぇぇ、当たり前の事なのですか? まったく知りませんでした!



「むぐぅむぐぅむう……」 



 でも、そんな事はどうでも良いのですが、とにかくこの手を放してもらえませんかね。まず息ができません!



「うぅ、うぅ、うぅ……」



 とにかく一刻も早くこの手をどけてほしいので、私は涙目になりながら何度も頷きます。


 先輩は私の意図を理解したのか、ようやく手をどけてくれました。



「ぷっはぁぁぁ。ぜぇぜぇぇぇっ」



「先輩! 先輩はに手が大きいのですから、口をふさぐ時は、せめて鼻はふさがない様に注意してください!」


「私、マジでこの年で、プロピュライア通る所でしたよ!」



 ――私は精一杯抗議します。



 そんな私の抗議を完全スルーして、先輩は少し得意げに話し始めます。



「私のリーティア様は本当に可愛くおなりだわぁ」



 ――もう一度言いますが、私の『抗議』は完全にスルーで良いんですね?


 ――そうですか。……いいんです。別に。



「そんなリーティア様に本気で責められたら、いくらこの私でも瞬殺ね!」



 ――なにっ! 瞬殺となっ!



 この話題は見過ごせません。私の抗議なんて、もうどうでも良いです。


 私はこう見えても、格闘技フェチです。


 グラディエーター……最高です。


 特にあの上腕二頭筋が大好物です。ウフフフ。


 いつか帝都の格闘技場コロッセオに行ってみたいと思っています。


 なので、神官になった時の配属希望は帝都にしているぐらいなのです。



「せっ先輩ですら……瞬殺ですかっ!」



 それは凄い。 本当に凄すぎる。 あの先輩が瞬殺されるなんて……。


 いやしかし、先輩がどの程度強いのかは知りませんが……。


 それから、『瞬殺』に惑わされてスルーしましたが、リーティア様は、先輩だけのリーティア様では無いですよ。訂正してください。


 そんな私をさらに無視して、先輩は鼻高々で話を進めます。



「まぁ、私だったら、せいぜい持って五分。いいえ、場合によったら三分でプロピュライア天国への門をくぐる事になるわね!」



 先輩……瞬殺される割にはとっても嬉しそうです。


 あぁ、『強者は強者を求める』と言うやつですね。


 ……それならわかります。



 ここで先輩は突然何かに気付いた様です。



「ミルカ。急いでリーティア様の部屋に戻って、リーティア様の新しいお召し物をご用意して来て!」



 先輩はすごい形相で、私に命令します。



「えぇぇぇっ! でもぉぉ……」



 私も扉の向こうの『瞬殺』の現場が知りたくて、うずうずしています。


 ここで、この場を離れてしまっては、大事な場面を聞き逃す恐れがあります。


 ぜひそれは避けなければいけません。


 私の不服そうな様子を見て、先輩はさらに言いつのります。



「大丈夫よ! 本当のは、まだまだこれからなんだから!」


「あなたは、今のうちにお召し物を取ってらっしゃい。きっとお召し替えが必要になるから」



 ――えぇぇっ! さっき先輩は『瞬殺』って言ったじゃないですかぁ。矛盾してまーす。



 さらに不満顔で先輩を見つめる私。


 すると先輩は、この世のものとは思えない形相で私を睨みながら、顎で『早く行け』と急かします。



 ――この顔の先輩は非常に危険です……。



 私はしぶしぶ、リーティア様のお部屋まで、新しいお召し物を取りに駆け出したのでした。

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