第49話 歌劇場
「あぁ、会頭、お疲れ様です!」
その宮殿の様な建物の入口付近では、木製のコップを手にした数名の男達が、
丁度その中でも年長の一人が、正門から入って来たヨティスに気付くと、驚いた様子で駆け寄って来たのである。
「突然どうされたんです? 今日は確か次席が代表で来られていたはずですが?」
その男の物腰は柔らかで、言葉遣いも丁寧ではあったのだが、腰には刃渡り三十センチは超えるであろう、大型のダガーがこれ見よがしに吊り下げられている。
しかも男たちの衣装は全て白地に赤の縁取りをしたトゥニカに統一されており、恐らくこの町の自警団のメンバーであろう事が見て取れた。
「あぁ、ちょっと急用があってなぁ。とりあえず、貴賓席の方へ案内してくれ」
ヨティスは澄ました顔で自警団の男に返事をしつつも、自分を会場の方へと案内する様、命令する。
「かしこまりました。……ところで、そちらのお二方は?」
自警団の男はヨティスの後ろで隠れる様に佇んでいる二人を見つけ、訝しむ様な目を向けて来た。
「……あぁ、こいつらは俺の護衛だ。身元は俺が保証する」
自警団の男は、いまだ疑っている様ではあるものの、会頭が『保証する』とまで言っているのだから問題は無いだろう、と判断。
「ははぁ……。そう言う事であれば」
「それでは、一応規則でございますので、武器等をお持ちでは無いか、確認させていただきます」
自警団の男はそう言うと、親方とルーカス、二人の体を入念に触りながら武器の所持を確認。
特にルーカスの方は、洗礼の紋章が刻み込まれているのかについても、確認される事となった。
「問題ございません。それではこちらへ……」
自警団の男は目配せをして、更に二人の男を呼び寄せると、自分と二人の自警団の男達とで、ヨティス達を取り囲む様にしながら、建物の最奥へと入って行く。
途中、いくつもの扉の前を通過して、長い長い回廊の突き当りにある扉へと、ようやくたどり着いた。
「会頭、こちらです」
先頭を歩いていた自警団の男は、恭しく礼をすると、後から来た二名の自警団の男達が、ゆっくりとその扉を開けてくれる。
扉の向こうには、人が二人、並んで歩ける程度の細い階段が設えてあり、ヨティス達一行は、その階段をゆっくりと昇って行った。
そして、階段の最上段に差し掛かった所で、そこに掛けられていた豪奢な厚手のカーテンが自動的に左右へと開かれたのだ。
「「「わぁぁぁぁぁ、ピィーーー、ピィーーーー。おぉぉぉぉ」」」
突然の大歓声が三人の耳を襲う。
しかも眼下には、真昼の様に明るい光に照らされた、巨大な円形劇場が広がっていた。
その劇場は中央のステージを取り囲む様に、半円形のすり鉢状の作りになっており、自分たちのいる貴賓席は、ちょうどその中央部分に設けられていた。
円形劇場の座席は全て観衆で埋め尽くされ、観客の視線は一様にステージ上にくぎ付けの様子だ。
「……はぁぁぁ。すっげぇぇぇ……なんなんだぁ、これぇぇ……」
円形劇場のあまりの規模の大きさと、観客の大歓声に圧倒され、全く声の出なかったルーカス少年。
後から入って来たヨティスに、貴賓席の奥の方へと進む様に促され、ようやく我に返った所だ。
「どうです。すごいものでしょう? この催しものは十日に一度開催されているんですよ。もう、毎回、満員御礼の大盛況なんです」
ヨティスはルーカスの驚いた様子がよっぽど嬉しかったのか、本来は自分が座るはずの席へとルーカス少年を案内する。
「ささっ、ルーカスさんはこちらの席に。デメトリオスは……なんだったら後ろで立っとくか?」
「なんでだよっ! 俺にも座らせろよぉ」
親方はルーカスの座る場所の横へ、後ろの方から椅子を勝手に運んでくると、そそくさと座り込んでしまう。
「おいおい、勝手な事はやめてくれよ。後で劇場側から文句を言われるのは俺なんだからな」
ヨティスは自由気ままな行動を取るデメトリオスを窘めては見たものの、どうせ何を言っても全く聞いていないのだと悟ると、諦めた様子で、二人の後ろの座席へと腰かけた。
「おぉ、危なかったぁ。これって『新顔紹介』だろぉ。って事は、この後トップ3の発表に入るって所だなぁ」
明るいステージ上では、色とりどりに染められた薄手のトガ一枚を羽織った美女達が、次々とステージ上の外周を歩いている。
ステージ横には竪琴や笛、打楽器等による楽団が配置され、さらにその伴奏に合わせて歌声を披露する合唱団の美声が、ステージ上をねり歩く美女達の動きに華を添えていた。
「ルーカス見てみろ、彼女達はみんな手に番号札を持ってるだろう? あれを覚えておいて、後で係りの兄ちゃんに確認すれば、どこの店の誰それちゃん! って教えてもらえるんだ。彼女達も自分を売り込む良いチャンスだからなぁ。みんな必死にアピールしてるだろう?」
確かに娘達は何とか自分をアピールしようと、ギコチ無いながらも自分がステージの中央に来た時には、音楽に合わせて踊ってみたり、あるいは露骨にトガをはだけさせる事で、自慢の乳房を観衆に見せ付けたりと、それぞれ思い思いのアピールを行っている様だ。
残念ながら下手な踊りを見せられるよりは、露骨に自身のプロポーションを見せ付けてくる娘の方が、観客の歓声は大きくなっている様ではあるが……。
そうして一通りの娘達の顔見せが終わったあと、司会と思しき男がステージ中央に歩み出て来る。
「……レディース、アーンド、ジェントルマン……」
「今旬のクィーン オブ デルフィを決定するこの大会! いよいよ、トップ3の発表です!」
この円形劇場は、およそ五千人を収容できるだけの広さを誇っている。
また、その音響効果を十分発揮できる様に、設計されているのであろう。ステージ上の司会者の声が、あたかも自分の耳元へと、直接語りかけて来る様に聞こえるから不思議だ。
「それでは、早速参りましょう! 第三位!」
会場にはドラムロールの音が流れ、司会者の方も勿体ぶって、ゆっくりとドラムロールが鳴り止むのを待っている。
「ダダダン! 第三位は、クラブ リリオン所属、ア・リーロ、十九歳!」
「「「おぉぉぉぉ、ピィーーー、ピィーーーー」」」
会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。
「彼女の今旬のお勤めは二十二回! 若さ弾けるアリーロ! あなたにも手の届くトップランカーです! それではア・リーロさん、張り切ってどうぞぉ!」
司会者に紹介されたアリーロは、透ける様な薄さのピンクのトガを身にまとい、同じくピンク色に染めた美しく長い髪をなびかせながら、舞台袖から颯爽と登場する。
そして、若さをアピールする様な明るい音楽に合わせ、舞台中央で優雅に舞い踊り始めたのだ。
「おぉ、おぉ、良いねぇ。まだ十九歳でこの色香たぁ。かぁぁ、たまんないねぇ」
親方は、今にもよだれを垂らしそうな表情で、食い入る様にステージを眺めている。
親方と全く同じポーズで、その娘の『踊り』にくぎ付けになっていたルーカス少年。視線を動かす事なく、親方に質問をする。
「ねっねぇ、親方ぁ。さっき司会の人が言ってた『お勤め』の回数って、何なの?」
質問された当の親方は、残念ながらルーカスの質問など全く聞いていない様だ。
何しろ、娘が踊りの途中で大きくターンすると、その薄手のトガが大きくはだけ、彼女の肢体が露わになるのである。その度に、力いっぱいの指笛を吹き鳴らす事に集中してしまっているのだ。
そんな二人の様子を伺っていたヨティスは、とても
「ルーカスさん、それはですね。この十日間のあいだで、何回お店でお仕事をしたか? と言う回数です。大体、トップランカーの第三位ぐらいになりますと、十日間での売上は大体金貨二十~三十枚程度。となると、彼女の働いた回数が二十二回との事ですので、まぁ彼女を一回呼ぶだけで、金貨一、二枚あればなんとか呼べるかもしれない? と言う事になりますね」
「まぁ、まだ若いですから。まずは回数でトップランカーの地位をつかみ取ったと言う事でしょうかねぇ?」
ヨティスが説明を終わっても、最初に質問したはずのルーカス少年自身がステージ上の娘にくぎ付けで、どうやらヨティスの話を全く聞いていない様だ。
ヨティスは、肩をすくめて、元の自分の椅子へと座り直す。
ステージ上ではア・リーロが、最終的に身にまとっていた全ての衣装を脱ぎ捨てて、その若く躍動感のある体を観客全員に見せ付けた所で、伴奏の音楽が静かにフェードアウト。
彼女自身も音楽に合わせる様に、静かに舞台袖へと退いて行く。
観客からはため息交じりの歓声とともに、惜しみない拍手が彼女へと送られていた。
「……ふわぁぁ、キレイだったぁぁ……」
ルーカス少年は上気した顔で、まだ茫然としている様だ。
そして、突然我に返ったかと思うと、振り向きざまにヨティスに向かって次の質問を投げかけて来た。
「ヨティスさん、第三位でこんなにキレイな人が出て来るなんて! しかも、まだその上がいるって事なんですよね! うぁぁぁ、楽しみだなぁぁ」
期待に胸を膨らませているルーカス少年。
そんなルーカスの喜び様を見ていた親方は、少し苦笑いの表情だ。
「ルーカスゥ、確かにこの上に二人、いるにはいるんだが、まぁ、あんまり期待しない方が良いぞぉ」
親方はそう言うと、後方に控えているメイド風の娘を手招きで呼びつける。
「あぁ、
「かしこまりました。ただ、こちらは貴賓席になりますので、お飲み物は全て無料でございますよ」
娘はくすくす笑いながらも、貴賓席に併設されたカウンターの方へと、飲み物を取りに行ってくれる。
「おっなんだよ。売り子の
全く節操の無い発言を繰り返す親方。そんな親方を完全に
「そうですね。デメトリオスの言っている事はあながち間違いでは無いのですが……」
そうこう言っている内に、司会者がステージ中央に進み出て来た様だ。
ルーカス少年は大人二人の歯切れの悪い言い方に、少し不思議そうな顔をすると、改めてステージの方へと視線を向けるのであった。
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