第48話 デルフィ特区

「ふわぁぁぁ……」



 ここは、デルフィ地区のメインストリート。


 少年は、その両側に所狭しと立ち並ぶ建物を見て、感嘆の溜息を漏らす。


 なにしろ、建物を構成するレンガは全て、鮮烈な朱色に染められており、その統一感と美しさは目を見張るものがある。


 しかも、その建物群は『摩天楼』と言っても差し支えのない、高層の建物となって林立していた。


 中には宮殿を思わせる様な建造物や、オブジェまでが存在し、この通り沿いだけは、まるで別世界の様相を呈しているのだ。


 更に、建物の辻々には盛大な篝火が焚かれ、あらかじめ申しわせてあるのだろう、建物の壁面には一定の間隔で艶めかしい装飾の施された陶器のランプが据え付けられていて、街全体を昼間の様に明るく照らし出している。


 歓楽街入り口からの眺めは、さながら神が指し示す光の渦の中へ、多くの亡者達が、我先に飲み込まれてでも行くかの様な壮観さがあった。



「どうです? ルーカスさん。素晴らしい眺めでしょ?」



 親方からヨティスと呼ばれていた『顔役』の男は、両手を大きく広げて、とても誇らしそうにその眺めを自慢してくる。



「あぁ、……凄い。本当にすごいよ……」



 少年は、その圧倒的な光景に目を奪われ、うわ言の様に呟く事しかできない。


 ルーカス自身は、太陽神殿のある丘の、そのふもと辺りに建てられた孤児院で生活しており、エレトリアの街自体は彼の庭の様なものだ。


 しかし、このデルフィ地区、別名デルフィ特区と呼ばれるこのエリアは、エレトリアの街の中でも特殊な地域とされており、成人以外は入る事を許されていない。


 実際、デルフィ地区に入る為の門は三つあるのだが、その全てが、この地域を管理する自警団によって守られており、エレトリア侯爵の衛兵ですら許可なく立ち入る事が出来ないのだ。


 その為、ルーカス自身も、このデルフィ地区に入るのは始めての事なのである。



「……ヨティスさん……あれは……?」



 中心部の目抜き通りに差し掛かかった所で、通りの両側に立ち並ぶ人だかりに目を止めたルーカス。



「……あぁ、あれば遊郭の『品見せ』ですねぇ」



 ヨティスは、田舎から初めて都会に出て来た観光客おのぼりさんをもてなす、ベテラン添乗員の様な優しい口調で、説明を始める。



「デルフィ地区の中心部には大小さまざまな遊郭が店を並べているんです。もちろん遊郭では沢山の娘達を囲っているのですが、特にその中でも選りすぐりの『商品』を店の前に陳列しておいて、沢山のお客様を呼び込もうと言う作戦なんですね」


「ただ、以前は店の前に立って『客引き』をしていたものですから、中にはかなり強引な店も出始めましてねぇ。私の采配で現在の様な椅子に座った形に落ち着いたんですよぉ」


「ほら、ご覧なさい、彼女達の椅子の前に小さな衝立ついたてがあるでしょ?」


「彼女達はあの衝立よりも通り側には決して出ては来ません。また、椅子の後ろに立っている娘達も、決して椅子に座る女性より、前に出て来る事はありませんよ。まぁ、もっぱらその方の理由は、『ルール』と言うよりは、『ランク』の問題ですけどねぇ」



 ヨティスは自分で説明しながら、大きく頷いている。



「えっ? 『ランク』って、どう言う事?」



 ヨティスの話ぶりに興味を引かれたルーカスは、新たな疑問を口にする。


 すると、ヨティスはニッコリとほほ笑みながら、店の女性を指さしてこう答えた。



「店の娘には、店での『売上』に合わせて、厳格な『ランク』が付けられているんですよ。ほら、見てご覧なさい。店の入り口に一番近い女性。彼女がこの店のナンバーワン、トップキャストです」



 ヨティスが指さす方向にいる女性は、ただ一人、高級そうな椅子に座りながら、長い柄のついたキセルを口に咥えて、時折、通りを歩く男性に流し目を投げかけている。


 しかも彼女は、色鮮やかなブルーに染め上げられた男性用のトガを体に巻き付けており、そのトガのひだの間からは、はちきれんばかりの胸元がこれでもかと覗いていた。



「……うわぁスゲェ……」



 思わず感嘆の言葉が漏れてしまうルーカス少年。


 その様子を見守るヨティスの瞳は、自分の子供を愛でる親の様に優しい。



「……本当にスゲェなぁ……」



 少し中腰になり、ルーカスと同じ目線で、その女性の胸元をガン見している親方。


 ヨディスはルーカス少年から、この節操の無い中年オヤジに視線を移すと、道端のゴミでも見る様な蔑んだ目で睨みつける。



「デメトリオス、お前まで一緒に見る事は無いんだよ」



 そう言って親方の後頭部を平手で張り飛ばす。



「あたっ! ってぇなぁ。ヨティス何しやがんだよぉ。最近ちょっとしてるんだから止めろよぉ」



 親方は、張り飛ばされた自分の後頭部をさすりながら、ヨティスを不満げに睨み返す。しかしヨティスは、そんな親方の視線を完全にスルーした上で、ルーカス少年に説明を続ける。



「ほら、店の入り口から遠くなるに従って、ランクの低い女性になって行きますよ。更にランクの低い娘は、椅子に座らせてもらう事すらできません。つまり、ランクの低い娘は、前列に座る女性の後ろから、何とか上客を捕まえようと必死なんですね」



 確かに、椅子に座る前列の娘達は通りを歩く男性たちに声を掛けたり、中には手を握ったりしながら話し込んでいる娘もいる。しかし、椅子の後ろに立った女性達は、声を出す事もできず、精々道を行く男性たちに、遠慮がちに手を振る事しかできない様だ。



「ここ遊郭では、公衆の面前でも女性に触れても良いのです。もちろん遊郭の『品見せ』の女性だけですよ。ルーカスさんも注意してくださいね。それ以外の場所だと、すぐに自警団に捕まっちゃいますからね」



 ヨティスはおどけた表情でルーカスに説明を続ける。



「そして、見てみて下さい。女性達に何か変わった所はありませんか?」



 ヨティスに促されるまま娘達の様子を観察するルーカス少年。



「……あっ! みんな男性用のトガを身に付けてる……の、かな?」



 ルーカスは少し自信無げにヨティスに返答してみる。


 その言葉を聞いたヨティスは、とても嬉しそうに頷きながら、説明を続けた。



「そう。その通りです。遊郭の女性は必ず男性用のトガを身に付けなければいけない決まりになっています。まぁ、男性用とは言っても、遊郭の娘に似合う様な色合いに染め上げた物ではありますがね。これは、先帝のお触れによる決まり事なんですよ」


「そして、もう一点。遊郭の女性達の髪は、皆『明るい色』に染め上げる事が決められているのです」



 ヨティスはまるで自分の手柄の様に自慢して来る。


 確かに遊郭の店先に座る女性達は、一様に明るい赤やエメラルドグリーン、そして薄いブルーなど、色鮮やかに自分の髪の色を染め上げている。



「これは、単にオシャレを楽しんでいるだけでなく、夜の薄暗い町中でも、遊女である事が一目で分かる様に、と配慮されたものなんです」



 ヨティスはニッコリとルーカス少年に笑い掛ける。



「へぇぇぇ、色々考えてあるんですねぇ」



 ルーカス少年はヨティスの説明を受けて、関心しきりだ。



「……まぁ、本当の所ぁ、仮に遊女が逃げ出しても、直ぐに見つけられる様にって理由の方が強ぇぇんだけどなぁ」



 横で話を聞いていた親方が、面倒くさそうにチャチャを入れて来る。



「おい、デメトリオス。余計な事言わなくても良いんだよ!」



 話の腰を折られた格好になったヨティスは、恨めし気に親方に文句を言う。



「なぁ、もうそんな『おのぼりさん』ごっこは良いだろう。早く行こうぜぇ。絶対始まってるよぉ。って言うか、顔役のお前が行かないで大丈夫なのかよぉ」



 親方は不満そうにヨティスに詰め寄って行く。



「こらこら、その酒臭い口を俺に近づけるな!」



 ヨティスは心底嫌そうに、親方の口元から顔を背ける。



「今日は次席に替わってやったんだよ。毎回俺ばっかり出てたら他の者が可哀そうだろう?」


「えぇぇ、それじゃあ、さっきの約束は嘘だってぇのかよ?」



 親方は不満そうにヨティスに詰め寄り、更にその酒臭い息を吹きかける。



「かーっぺっぺっ。本当に暑苦しいヤツだなぁ。今から連れてくから、まずは俺から離れろって!」



 ヨティスは、なおもしがみ付いて来る親方を無理やり引き離すと、宮殿と見まごうばかりの大きな建物の中へ入って行こうとする。



「……ねっねぇ、親方、いったい何が始まるって言うんだよ?」



 少し不安な様子で親方に尋ねるルーカス少年。



「へへへ、本当は『見てのお楽しみ!』って言いたい所だが、あんまり焦らすのも興ざめだしなぁ」



 親方はそう言うと、ルーカス少年の横に並んで歩きながら、自身の太い腕を少年の首元に回し、彼の小さな体をぐっと引き寄せる。


 更に親方はその酒臭い口を少年の耳元に持って行くと、わざわざ小声で話し始めた。



「……この建物の中ではなぁ、このエレトリア一の美女を決める大会が開かれてるんだよぉ」


「しかも、しかもだぞぉ、その美女の『素っ裸』を見放題って寸法だぁ」



 親方はそれだけを告げると、いきなり少年を自身の太い腕から開放し、彼の背中を大きく二回、平手で叩く。



「だぁはっはっはっ! どうだ? すげぇだろう?!」



 親方は大声で笑い出したかと思うと、さっさと先に行こうとするヨティスを見つけ。



「おぉっ! ヨティスゥ、置いて行くなよぉぉ、ヨティスちゃぁん……まってぇぇ」



 急にネコ撫で声になる親方。


 ひとり、その場に取り残されたルーカス少年は、小声で独りごちる。



「……そっ、そんな上手い話しなんて、……ある訳無いだろう?」 



 親方が、一体何を考えているのか分からなくなったルーカス少年。彼は、ここで引き返すかどうか? について、真剣に悩み始めていた。

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