第47話 歓楽街の顔役
「おい、早く食えよ。置いてくぞぉ」
男は串に刺さった最後の肉片を口の中に放り込むと、木製のコップに残ったワインで一気に流し込んだ。
ここは、二人が入ったテルマリウムのほど近く。これから二人が向かう歓楽街の手前に広がる屋台群。その中でも、『串焼きが美味い』と有名な店の前だ。
日中は人の往来も激しい大通り沿いだが、午後から夜半にかけては、歓楽街に出入りする客を目当てに、多くの屋台が軒を連ねている。
実際、歓楽街の中にも路面店の飲食屋は、数多く営業している。しかし、一般の労働者達は、価格の安さに引かれ、ここで軽く腹ごしらえをしてから、歓楽街へと繰り出す事が多いのだ。
「ルーカスゥ……大体おめぇはちょっと『垢すり』してもらうだけで、どんだけ時間かかってんだよ! 大方、アレタのでっかいオッパイでも吸わせてもらってたんだろぉ。あ~ぁ、これだから『おこちゃま』は困るんだよなぁ」
その男は、目の前の少年に向かって、大声で嫌みを一つ。そして、屋台の端に置いてある小さな木の枝を掴むと、自分の歯の間に詰まった肉片をこそげ落とす様に擦りつけ始めた。
「……きったねぇな、親方ぁ。そういう事は、ちゃんと後ろを向いてからやってくれよぉ!」
未だに串に刺さった肉片と格闘中の少年は、眉根にシワを寄せながら、親方と呼ばれた男の下品な行為を非難するのだが、当の親方はどこ吹く風、全く意に介していない。
「大体、親方があんなの頼むから遅くなったんじゃないかぁ。俺ぁ、未だに自分のケツが自分の物じゃ無いみたいにヒリヒリするんだぞぉ!」
そう言う少年も親方と同じ様に、残った肉片を口の中へ放り込むと、一気にワインで流し込む。
その仕草を少し嬉しそうに眺めていた親方は、やおら少年の顎をつまんで持ち上げると、まじまじとその顔を眺め始めた。
「ほぉぉ、ちっとは『男らしい』顔つきになったじゃねぇか。まさか、アレタに『一本』抜いてもらったんじゃねぇだろうなぁ」
親方はニヤニヤとした笑いを浮かべながらも、疑いの目で少年を睨みつける。
「なっなに、バカな事言ってるんだよ。そそそっ、そんな訳無いだろぉ!」
少年は親方の『睨み』にも動ぜず、逆に自分から睨み返しながら反論をする。その時、少年の顔が真っ赤に染まっていたのは、ワインのせいなのか、テルマリウムのせいなのか、それとも後ろめたい何かがあったのか……は定かで無い。
「よし、まぁそんな事はどうだって良いな、それじゃ親父、ごっそさん。また来るよ!」
親方は突然そう言って立ち上がると、少年の襟元を掴んで強引に立ち上がらせる。
「今日は「
親方はニヤリとした顔を少年に見せ付けながら、少し速足で繁華街の方へと歩き出した。
◇◆◇◆◇◆
「きゃぁぁ、親方ぁぁ! 最近はお見限りじゃないかぃ。どこか他の店に良い娘でも囲ってるんだろぉ。たまにはあたしの店にも寄っとくれよぉ!」
「……親方ぁ、ねぇデメトリオスゥ。この前はありがとぉぉ。また帰りにでも寄っとくれよ。あたしはいつでも空いてるからさぁ」
歓楽街に入ってすぐ。
数歩進んだだけで、大通りの左右の店から女性達の黄色い声が飛んでくる。
「おぉキャス、悪ぃなぁ。今日は連れがいるから、また今度なぁ」
「マリー、この前は世話になったなぁ。後で寄るかもしれないから店閉めるんじゃねぇぞぉ」
親方は意外に几帳面なのか、店の女性から声を掛けられる度に、こまめに女性達へと返事をする。
そんな様子を後ろから眺めるルーカス少年は、ちょっと不満気だ。
「……なぁ親方ぁ、俺は、親方はもうちょっと真面目に働いてる人だと思ってたよぉ」
あまりの親方のモテっぷりに、ドン引きのルーカス少年。
「おいルーカス! 何ふざけた事言ってやがんでぇ。真の大人の男ってヤツはだなぁ、昼間はしっかり働いて、……夜もしっかり働くもんなんだよ。なぁ! あははははは。あぁぁ可笑しい、俺って働き者だなぁ。ホンッと働き者。……おおっ!」
自分で言って、自分で笑うと言う暴挙に出た親方は、唐突に通りの向こう側に目的の人物を発見し、嬉しそうに手を振りながら近づいて行った。
「ヨティス! こっちだヨティス!」
ヨティスと呼ばれた男の方も、親方を見つけるなり、嬉しそうに駆け寄って来る。
「やぁやぁやぁ、親方ぁ、ずいぶん久しぶりじゃないかぁ、そうさなぁ、前に会ったのはぁ……」
ヨティスと呼ばれた男は、眉間に皺を寄せながら、暫く考え込む。
「うぅぅん……あぁ、そうそう! ……
ヨティスはさも今思い出した事の様に、自分の手のひらをポンと打って見せる。
「「だぁっはっはっはっはっはっは!」」
二人はくだらない親父ギャグで同時に大爆笑するのだが、横で聞いていたルーカスは全く面白くない。
「……はぁはぁはぁ、ヨティスは本当に面白れぇぇな。なぁ、ルーカスゥ! お前もそう思うだろうぉ?」
親方は笑いすぎで涙目になりながらも、少年の同意を得ようとする。
しかし、ルーカスは、『こんなくだらない会話に俺を巻き込むな!』と言う表情で、逆に親方の方を睨みつけている始末だ。
そんな二人のじゃれあう様子を不思議そうに眺めていたヨティス。
「なぁ親方ぁ、今日はまたえらく『可愛い』のを連れてるじゃ無いかぁ。ついに親方もそっちの方まで手を出す様になったのかぁ。……それなら早く言ってくれよぉ。丁度今日オープンしたばっかりの良い店があるんだよ。早速行くかい?」
ヨティスは振り向きざまに、自分の連れている奴隷の一人を呼びつけて、なにやら指示を出そうとする。
「オイオイオイ、気が早ぇぇよ。こいつは港で荷運び手伝ってるルーカスってんだ。今日から大人の仲間入りするから、たまに目ぇ掛けてやってくれよ」
親方がルーカス少年を紹介すると、ヨティスは満面の笑みを浮かべ、両手でルーカスの手を取りながら自己紹介を始めたのだ。
「お初にお目にかかります、この街で顔役をしておりますヨティスと申します。以後お見知りおきを。もしこの町で何かお困り事があれば、なんなりと私めにご連絡下さいませ。立ちどころに解決させていただきますよ」
ヨティスはそれだけを告げると、そっと握っているルーカス少年の手にキスをした。
「ひいぃっ!」
余りの出来事に、軽く悲鳴を上げてしまうルーカス少年。
そんなルーカスの慌てっぷりを、横でニヤニヤと眺めていた親方は、頃合いを見計らってヨティスに話しかける。
「そんな事より、こいつさぁ、今日港に届いた奴隷の娘に一目惚れしたらしくってよ。いま『その娘』を探してるんだよ。どうだい。お前なら簡単に分かるだろ?」
親方から尋ねられた顔役のヨティスは驚きの表情で親方に言い返す。
「何言ってるんだよ、親方ぁ! そんなの
ヨティスは少し伏し目がちに思案する。
「って事ぁ、フェガロフォトか、アストラプスィテだな」
「マロネイア様の船の女は奴隷市場に出さずに、全部自分の店に直行さ。おかげで、あの店はいつも『新顔』がひしめいているんだ」
ヨティスは物知り顔で話を続ける。
「ただなぁ……、今日入った娘じゃ、すぐには店には並ばんぞぉ。早くても二、三日後になると思うがなぁ……」
ヨティスの話を聞いて、ある程度の覚悟をしていたルーカスではあったが、色々な意味で落胆の色を隠せない。
「……なんだよ。なんだよぉ。そんなに『その娘』が良かったのかぁ。おいヨティス。何とかしてやれよ! お前なら何とかできるだろぉ?」
ガックリと肩を落とすルーカスを見て不憫に思ったのか、さっそく親方は、ヨティスに無茶振りを開始。
振られた方のヨティスも、自分の顔の前で手をヒラヒラと振りながら否定的な表情だ。
「おいおいおい、デメトリオス、無茶を言うなって、だいたい……」
「いやぁ、待てよぉ……」
何か思い当たる節があったのだろう。ヨティスは先ほどの奴隷を再び呼び寄せると、何やら耳打ちをした上で、歓楽街の雑踏の中へと走らせた。
「まぁ、どうなるか分からんが、やるだけはやってみるよ。でもダメだったからって、文句言うのは無しだぜぇ」
ヨティスは少し困惑した顔をしながらも、どことなく自信のある雰囲気だ。
「おぉ、流石はヨティスだな。この分なら大丈夫そうだ!」
「それからなぁ、もう一つ頼みがあるんだけどなぁ……」
親方は、少し申し訳無さそうに手を合わせる。
「おいおい、まだあるのかよ。今度は何だよぉ」
何を言い出されるのかと不安顔のヨティス。
「今日は『
親方は拝んでいる自分の手の後ろから、上目遣いでヨティスの顔を覗き込む。
「はぁ、デメトリオス、何言ってるんだよ。こんな時間から席なんか取れる訳無いだろぅ!」
ヨティスは流石に『それは無理』とでも言いたげな表情で横を向いてしまう。
「なっ、ヨティス。頼むよ。今日は若いヤツも連れて来てるし、俺の顔を立ててくれよぉ」
なおも拝み倒す親方。
しばらくの押し問答の末、結局はヨティスが折れる事に。
「……はぁ。……まぁどうせそんな事だろうとは思ってたよ。ただ、流石にもうVIP席は全て満席だからな。とりあえず貴賓席に入れてやるから、俺の護衛って事で、後ろの予備席で我慢しろよぉ」
ヨティスは両手を広げ、大きく首を振りながら、親方にそう言い放った後で、ようやく少年の方へと視線を移す。
「ルーカス君……だっけ? 君もこんな親方の下で働いて大変だなぁ。もし良ければ俺の下で働かないか? 親方の倍は給料をだすぞ!」
ヨティスはルーカスにそう告げると、軽くウィンクをして見せる。
「いっいやぁぁ、俺は親方の所で働くよ。その方が性に合ってるし……」
ルーカスは少し緊張しながらも、ヨティスの誘いをしっかりと断った。
「おぉ、ルーカス。良く言った! 俺は昔からお前は出来るヤツだと思ってたんだ。って事でヨティス。悪いけど早く行こうぜ、早くしないと始まっちまうぞ!」
さっきまでの殊勝な態度は何処へやら。急に元気になった親方は、二人を残したまま、目的の会場へと歩き出し始めたのだ。
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