第46話 大人への階段

「よぉぉっし! まずはここだぁ」



 二人は波止場から歓楽街に続く大通りを足早に通り抜けると、交差点の向こう側にある大きな建物の中へと入って行こうとする。


 その建物はレンガと簡易セメントにより構築された重厚な造りで、入り口には等身大の男性と女性の裸像が複数の篝火で照らし出されていた。



「なんだよ親方ぁ、俺は孤児院うちに帰って体を拭くから、いいよぉ……」



 ルーカスは不満そうに建物の入り口で受付の女性と話し込んでいる親方に文句を言うのだが……。



 そこは、テルマリウムと呼ばれる大型の公衆浴場施設。


 エレトリアの街中には複数のテルマリウムが建てられており、街に住む市民の憩いの場所となっているのだ。


 帝国二級市民であれば、入浴料はわずか一クラン。 帝国一級市民の場合は無料で利用できる。


 テルマリウムの中には複数の浴場や、ゲーム場、マッサージ施設などが併設されており、大人の社交場としての地位を確立していた。


 その中でも、このデルフィ地区のテルマリウムは規模が大きく、かつ繁華街に最も近い事から、エレトリアの街の中でも一番の人気のスポットとなっているのだ。



「だぁかぁらぁぁ、お前はいつまでたっても『おこちゃま』だって言うんだよ」


「これから夜遊びに行くってのに、そんな汗臭い体で行けるもんかい! まずはその汚いつらの汚れを落として来るんだよ! 話はそれからだ!」



 親方はとっても嬉しそうに受付嬢の耳元で何かを囁き掛けながら、彼女の手に数枚の銅貨を握らせている様だ。



「おい、ルーカス! こっち来て紋章を見せろ!」



「チッ!」



 ルーカス少年は舌打ちをしつつも、親方に言われた通り受付の女性に自分の右手の甲を見せた。



「はい、拝見しました。あなたがルーカスさんね。私はアレタって言うの、よろしくね」



 にっこりとほほ笑むその女性は、少々馴れ々々しい感じで少年に挨拶をする。


 エレトリアは初夏に近くなり、確かに気温も上がっては来てはいるのだが、それ以上にテルマリウムの方から流れ出て来る熱気によって、入り口のこの辺りに居ても少し汗ばむぐらいの暑さだ。


 そうなると、自然と受付の女性が身に付けるストラは薄手のものとなり、特に彼女の様に少し着崩した様な着こなしでは、見るものに何某かの性的興奮を覚えさせるものに映る。


 ルーカスはそんな自分の『やましい』心を受付の女性に悟られまいと、わざと女性の視線を避ける様に俯いてしまう。しかし、そこには暑さの為に少し汗ばんだ、彼女の暴力的な双丘がその存在感を『これでもか!』と主張していた。



「うっ……」



 ルーカスは急いで彼女の胸元から視線を逸らすと、自分の手の甲を見つめて、その紋章を反対の手でさすってみる。



「うふふっ、お代はデメトリオスさんに頂いてるから、そのまま左側の門からお入り下さいな」



 そんなルーカス少年の気持ちを知ってか知らずか、受付の女性アレタは、少年を男性用の更衣室の方へと入る様に促して来た。



 ◇◆◇◆◇◆



「おぃ、ルーカス。お前テルマリウムは初めてなのか?」



 親方が自分の服を脱いで手近な木製の棚に入れて行くと、最後に残った革袋だけを不格好なネックレスの様に自分の首に掛ける。



「そっそんな事無いよ。俺だってテルマリウムの一回や二回、入った事があるさ……」



 実はルーカス少年、公衆浴場としてのテルマリウムに入るのは初めてであった。


 通常、子供はテルマリウムに出入りする事はできない。ここは紳士淑女が集う大人の社交場である。その様な場所に子供が入れる訳もない。


 しかも、ルーカス少年は今年成人して洗礼を受けたばかりであり、当然テルマリウムになど、来た事も入った事も無いのである。



「そぉかぁ。これはお見逸れしたなぁ。俺がお前ぐらいの頃には、テルマリウムなんて入った事も無かったなぁ」



 親方は少しニヤニヤしながら、ルーカス少年の頭をゴシゴシとかき混ぜる。



「それじゃあ、当然知ってるとは思うけど、浴場の入り口では大きな声で名前を名乗らないとダメなんだよなぁ。俺はあれが一番苦手でよぉ。だからあんまりテルマリウムには来なかったんだが、若けぇお前なら大丈夫だろう。いっちょ俺に大人のテルマリウムへの入り方ってやつを見せてくれよ」



 親方は申し訳無さそうな表情で、ルーカスへと先に浴場の方へ入って行く様、勧めて来る。



「そっそうかい? 親方もなんだかんだ言って、頼りねぇなぁ。それじゃあ俺が手本を見せてやるよ!」



 ルーカス少年は頬を紅潮させながら、少し得意気に浴場へと続く門の前まで来ると、大きく息を吸い込んでから、大音声で自分の名前を叫んだ。



「ルルル、ルーカス、入りまーす!」



「……」



 大浴場の大人達は、一斉にルーカスの方へ振り向くと、一体何が起きたのか? とばかりに、唖然とした表情をしている。



「……あれ?!」



 自分の想定していたものとは異なる反応に、その場で固まってしまうルーカス少年。



「……」



「……うぷぷっ、だぁあっはっはっはっはぁぁぁ」



 ルーカスの背後から、親方の大きな笑い声が聞こえてくる。それにつられて浴場の方からも、半分呆れた様な苦笑交じりの笑い声が聞こえて来た。



「おーいっ、デメトリオスゥ、これで今年は何人目だぁ?」



 浴場の手前にある賭博場で、サイコロゲームに興じている『毛むくじゃら』のおっさんが、親方に向かって大声で問い掛けて来る。



「だぁあっはっはっはっ、ひぃぃ、可笑しいぃぃ。はぁはぁはぁ……」


「あぁ、テオドロスかぁ。そうだなぁ……今年に入って四人目だなぁ。あと二人で新記録達成だよ!」



 親方は腹を抱えて大笑いしながら、無邪気な笑顔で今年の成績を報告。


 毛むくじゃらのおっさんテオドロスは、苦笑しながら片手を上げた後、何事も無かった様にサイコロゲームに戻って行った。



「あぁ面白かった。って言う事で、テルマリウムは初めてのルーカス君、早速汗を流しに行こうじゃないか」



 親方は、赤面したまま硬直しているルーカス少年の頭をもう一度クシャクシャとかき混ぜると、今度は少年の頭をガッチリ鷲掴んだ状態で、引きずる様に、浴場の中へと連れて行ってしまった。



 ◇◆◇◆◇◆



「おぃ、ルーカス……あんまりジロジロ見んなよ。横にいる俺が恥ずかしいだろぉ」



 テルマリウムの中央に設えてある大浴場の一角。そこに陣取って、肩までお湯の中に浸かっている親方とルーカス少年。



「何言ってるんだよ。俺は『前』しか向いて無いよ。親方こそ『目』だけ、そっちの方を向くのは反則だよ」



 ルーカスは、遠くに見える人影から目を逸らす事なく、親方に返事をする。


 それもそのはず、多くのテルマリウムは混浴で、男性も女性もお互いに全裸で浴場に入るのが基本だ。


 ただし、賭博場や休憩室、食事場などは、男性も女性も、薄手のチュニックを着ているので、多少目のやり場に困る事はあるにしても、普段通りに過ごす事が出来る。


 やはり問題は浴場の部分。 あくまでも大人の社交場である訳だから、お互いの裸をジロジロ見るのはマナー違反だ。ただし、あくまでも『さりげなく』目に入る分には、致し方無い部分はもちろんある。



「おぃルーカス。見てみろ。あの二本目の柱の所にいる娘……すげぇぇなぁ、おい」



「おっ……おっおぅ……」



 そんな、大人のマナーもへったくれも無い二人は、結局若くキレイな女性を見つける度に、浴槽の中からガン見している始末だ。



「……ルーカスさん、ルーカスさーん」



 そんな中、入り口の方からルーカスの事を呼ぶ声がした。



「おい、ルーカス、お呼びだよ。早く行って来いよ」



 親方はニヤニヤ笑いながら、ルーカスに早く行く様に促して来る。



「えぇ、何処に行けば良いってんだよ。また俺を担ごうとしてるんじゃ無いだろうなぁ」



 先の件が後を引いているルーカス少年は、親方の言葉が信じられず、更に湯の中に口元まで沈み込みながらブー垂れている。



「良いから行って来いって。でもなるべく早く来いよ。本番はこれからだからな。それに俺は先に休憩室の方で待ってるから、終わったら顔を出してくれ」



 親方はそれだけを言い残し、ルーカスを呼びに来た女性の所まで歩いて行くと、浴槽に口元まで浸かっているいる少年の方を指さして、笑いながら彼の居場所を伝えた様だ。


 少年を探しに来てくれた人は、先ほど受付にいたアレタと言う女性であった。 



「もぅ、ルーカスさん、居たんならちゃんと返事してくださいな。それから、そのままの格好で良いので付いて来て下さい」



 ちょっと困った顔で湯に浸かっているルーカスを窘めると、自分に付いて来る様に指示をするアレタ。



「はっはい!」



 この少年。女性に言われた事に対しては素直に応じる様だ。


 ルーカスは結局何も身に付けず、少し洞窟の様に奥まった部屋の中へと入って行く。


 そこには、籐で編まれた簡易なベッドが置かれており、彼女はルーカスにそのベッドに寝そべる様に指示をしたのだ。



「えっ、このまんま――の格好で――ですか?」



 なぜか女性には敬語のルーカス少年。



「えぇ、そのままで大丈夫ですよ」



 女性アレタは少し笑いながらも即答だ。


 仕方なくルーカスは、籐で編まれた簡易ベッドにうつ伏せに寝転がる。



「あぁ。ルーカスさん、『仰向け』でお願いします」



 女性は笑顔のままでルーカスの行動にダメ出しをする。



「えぇっ! ……はっはい」



 もう、声まで裏返った状態で返事をするルーカス少年。とにかく大事な所を両手で隠したままで、仰向けに寝転がる。



「それじゃあ始めますね」



 アレタは自身が着ていたストラの上半身を脱いで諸肌をあらわすと、解放された彼女の大きなバストがランプの光に照らされて怪しく輝いて見えた。


 ルーカスは思わず両目をギュっと閉じると、全身を硬直させる。



「はい、それじゃあ、そのまま、ばんざーい」



「えぇぇ!?」



 この期に及んで、両手までも上げろと言って来る彼女。



「……はいっ」



 覚悟を決めたルーカス少年は、両目を固くつむりながら、ゆっくりと両手をバンザイのポーズに。



「あら、あら……うふふっ。はーい。それじゃあ行きますよぉ」



 聖母の様な微笑みで、少年を見つめる彼女アレタ



「はうはうはうぅぅ……」



 ルーカスが半ば悲鳴に近い声を上げた所で、彼への濃厚な『サービス』がスタートした。



「……い痛いってててててっ」



 ――人生初の『垢すり』は……結構痛い……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る