第45話 少女との約束
「親方っ、おい親方っ!」
夕闇迫るエリトリア港。篝火の明かりの中、静かに浮かび上がるマロネイア家の輸送船は、「幽玄」と言う言葉でしか表現できない趣を醸し出していた。
桟橋の方では既に大方の港湾奴隷達が帰宅を許され、残された者はマロネイア家に所縁のある者や、その関係奴隷のみだ。
長い航海を経て、輸送船が暫くの安寧を得ようとしているその横で、少年はその船の安眠を妨げる様な大声で、目的の男を呼び止めたのだ。
「なんだよ、うるせぇなぁ。一回呼べば聞こえるよ。おれぁ耳は良いんだよ!」
「それに、金はさっき払っただろ? ガキはさっさと帰ってもう寝ろ!」
港湾奴隷を束ねる親方は振り返りもせず、煩いハエでも追い払う様に、自分の尻の前で手をひらひらと振る。
「なぁ親方ぁ、ちょっと教えてくれよ。あのさぁ……そのぉ……」
勢い込んで走っては来たものの、肝心の事を聞く段になって怖気づくルーカス少年。
「なんだよ! 小僧っ! 言いたい事があるなら早く言えよ。おれぁ忙しいんだよ」
親方は仲間の港湾労働者達を何人か引き連れて歩いている。
恐らくマロネイア家の荷下ろしをした事で、ある程度懐も温まったのだろう。手下を連れて繁華街の方へ繰り出そうとしている矢先なのだ。
「いやっ、あのぉ……例の女奴隷達の事なんだけどさぁ……」
ルーカス少年は頭を掻きながら、何か小声でブツブツ言っている。
「あー、じれってーなぁ。何だよ、俺は急いでんの! どうでも良い話だったら、明日にしてくれ!」
親方は少年を一声怒鳴りつけると、そのまま仲間内の方へと歩き出してしまった。
「あぁぁ! 親方。悪かったよ。だからよぉ、あっ、あの女奴隷達って、どこに連れてかれちまったのかな? と思ってよぉ」
ルーカス少年は、顔を真っ赤に染めながら、大声で親方に自分の疑問をぶつけてみる。
◇◆◇◆◇◆
そう、彼は第一船倉から何度かお宝を運んでいる間に、檻の中で捕らわれの身となっている少女に完全に心を奪われていたのだ。
あまり長い時間船倉に入っていたのでは色々と疑われてしまう。
彼は宝の入った箱をいかにも重そうに取り扱いながら、一度に運ぶ個数を少なくし、何度も何度も船倉を往復する度に、少女と二言、三言、会話を交わしていたのだ。
少女の名前はミランダ。南方大陸から連れて来られたそうだ。
残念な事にマロネイア家の兵隊に両親を殺されてしまったそうで、その話を聞いた時には、思わず船に火を掛けてやろうかと思ったほどだ。
そうこうしている内に、運ぶ荷物が無くなってしまったルーカス。
少年は彼女に「必ず迎えに来るから待ってて!」とだけ伝えると、今度は船の外へ持ち出した宝箱を、マロネイア家が用意した荷馬車に詰め込む作業を始めた。
とにかく早く作業を終わらせて、彼女の傍に行かなければ!
ただその一心で、作業を手早く終わらせたルーカスは、急いで船の方へ戻ろうとする。
ちょうどその時、腕を荒縄で縛られた女奴隷達の一団が、船から降りて来る所に出くわしたのだ。
橋げたは、人ひとりがようやく渡れる様な幅しかない。
ルーカスは、奴隷の女達が橋げたを渡り切るまで、その場で待つ事しか出来なかった……。
そして、ついにその瞬間が訪れる。
一旦、女奴隷達の列が途切れ、さぁ、自分が船へと乗り込もうとした、その時。
ルーカスの視線の先、橋げたの降り口に、少年の想い人が、ゆっくりと姿を現したのだ。
いくつもの松明に照らされた彼女のその姿は、薄闇の中にも艶めかしく輝いていて、ゆっくり慎重に橋げたを渡ろうとするその仕草一つを見るだけでも、かれの心臓は自分の胸を突き破ってしまうのでは無いか? との錯覚に襲われる。
そして、橋げたから桟橋に降り立った所で彼女はルーカスを見つけ、無言でゆっくりと口を動かし始めたのだ。
(……待ってるから)
彼女の口元は間違いなく、そう彼に告げていた。
彼は大きく頷くと、同じ様に声に出さずに彼女の目を見ながら話し掛ける。
(かならず迎えに行くから)
彼女も彼の口元を見て、その意味を理解したのだろう。嬉しそうににっこり微笑むと、小さく頷いて見せるのだった。
彼女達は、そのまま宝物が積まれた荷馬車に乗り込むと、完全に夜の帳が降りるエレトリアの街の方へと消え去ってしまった。
◇◆◇◆◇◆
「ほぉぉ?」
親方は急に足を止め、少年の方に向き直る。
「おい、ルーカス。お前いくつになったぁ?」
荷運びが終わった所で、既に軽く一杯引っかけているのだろう。少し酒臭い息を吐きながら親方は自分の顔を少年の顔に近づける。
「おい、親方ぁ、そんなガキ放っておいて、早く行こうぜぇ!」
他の手下連中が、少年の前で足止めをくらっている親方に向かっての催促だ。
「おぉ、
親方は手下たちに、大声で先に行く様伝える。
「うひょぉぉ、さすが親方! 太っ腹だねぇ。それじゃ、先に行って待ってるからよぉ。早く来てくれよぉ」
手下達は既にタダ酒が確定した事への喜びからか、鼻歌を歌いながら繁華街の方へと繰り出して行った。
「……さてとルーカス。さっきの話の続きだが、お前いくつなんだ?」
親方はもう一度少年に確認する。
「俺は、今年十五になったんだよ。だからもう、一人前なんだよ。何か文句あんのかよっ」
少年は親方の目から視線を外さず、精一杯の虚勢を張りながら受け答える。
「ほぉ、そうか。ちょっと右手見せてみろ」
親方は言うが早いか、少年の右手を掴むと甲の部分に顔を近づける。
「おろろっ、太陽の紋章かぁ。お前エレトリア神殿の孤児院にいるんだよなぁ。良いよなぁ神殿孤児院は太陽の紋章がタダで貰えるんだからよぉ」
親方は少しつまらなそうな顔をしながら上体を起こすと、おもむろに掴んでいた少年の手を放した。
「まぁ、大人だって事は認めてやらぁ。だがなぁ……」
親方は下卑た笑いを浮かべながら、もう一度少年の顔の前に自分の顔を近づける。
「本当の大人ってやつになるにゃあ、神殿で洗礼を受けるだけじゃあ……ダメってこった」
「……どっ、どう言う事だよ?」
ルーカスは親方に掴まれた右手首をさすりながら、不満そうに親方を睨み返す。
「まぁ大人になるには、通らなきゃならない『試練』があるってこったなぁ。……まぁ付いて来いよ」
親方はルーカスの疑問にはあやふやな答えをしつつ、繁華街の外れの方へと歩き出した。
「おっ、おい、親方。まだ俺の質問に答えて無いだろぉ! だから、あの奴隷達は何処に行ったのか? って聞いてんだよ!」
先にどんどん進んで行く親方。その後を追う様に、小走りで付いて行くルーカス少年。
「まぁ、付いてくりゃ分かるってもんよぉ。へっへっへ」
親方はいやらしい感じの声で笑いながら、波止場を後にしたのだった。
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