第44話 少年ルーカス

「カァン、カァン……カァン、カァン……」



 夕暮れのエレトリア港に大型船の到着を知らせる鐘の音がこだまする。



「っつはぁ、はぁ、はぁ……」



 既に日は傾き、多くの港湾労働者が帰り支度を始める中、人混みをすり抜ける様にその少年は走り抜けて行く。



「船が入ったぞぉぉぉ」


「舫をつなげぇぇぇ」



 少年が到着する前に、桟橋の方からは大型船の到着を知らせる水夫達の声が聞こえて来た。



「はぁ、はぁ、はぁ……おっ、親方ぁ……まだっ、まだ仕事あるかな?」



 少年は、大型船の傍で腕を組みながら、荷下ろしの指揮を取る男に声を掛ける。



「あぁん? なんだぁ? ……おぉルーカスか」



 親方と呼ばれた男は、一瞬どこから声がしたものかと周りを見渡した後、自分の肩口ほどしか無い身長の少年を、ようやく見つける事に成功。



「そうだなぁ。マロネイア様の大型輸送船だ。お前の運べる様な荷もあるだろうなぁ」


「……それじゃあ、ひと船、五クランなら雇ってやっても良いが……どうだ?」



 親方は思案顔で少年に話を持ち掛けてみる。


 逆に少年は親方からのその提案を受けて、驚きの表情だ。



「はぁ?! 親方、冗談はやめてくれよ。俺はもう一人前なんだよ! 二十クランはもらわないとやってられないよ」



 ルーカス少年は親方の右足を小突きながら不満を訴える。


 しかし、そんな少年の訴えなどどこ吹く風の親方。



「何言ってやがる。俺の半分しか無い体でいったいどれだけの仕事ができるってんだよ。それにもう日暮れだ。この時間から一日分の賃金を払うバカがどこにいる。用が無ぇなら帰ったかえった」



 親方は冷たく言い放つと、少年を置き去りにして船の方へと歩き出した。



「はぁっ……これだから、親方はダメだってんだよ!」



 これ見よがしの溜息をついた上で、親方を背にしたまま大きな声で独り言を続けるルーカス少年。



「この船はマロネイア様の船なんだろう。貴重な品だって沢山あるはずだ。そんな大切なものを奴隷達に運ばせて大丈夫なのかい?」


「まだ海に落とすだけならまだしも、持ち逃げでもした日にゃぁ……親方ぁ。親方の首が飛ぶのは間違い無いよなぁ……」



 ルーカス少年は幼さの残る顔にも関わらず、振り向きざまに大人びた狡猾な表情で親方を見上げる。



「残念だなぁ。親方と話すのもこれが最後かぁ。短い付き合いだったな。墓の前にはリリアの花の一つも供えてやるよ。じゃーな!」



 少年は踵を返すと、親方を背にしたまま片手を上げてゆっくりと歩き出した。



「ふはっ……、はあっはっはっは」



 少年の背の方から、親方の大きな笑い声が聞こえて来る。



「おめぇも言う様になったなぁルーカス。まぁ、昔からのよしみだ。十クラン出してやるよ。その代わり、最後まで手ぇ抜くんじゃねぇぞ!」



 親方は腰にぶら下げた大きな革袋の中に手を突っ込むと、じゃらじゃらと数を数え始めた。



「親方ぁ。やっぱりあんたは話が分かるね! さすが親方になるだけの男だ! 見る目が違うよ」



 少年はそう言うと、跳ねる様に親方の前に戻って来て、両手を親方に差し出した。



「ひぃ、ふぅ、みぃ……ほれ、銅貨五枚だ。残りは仕事が終わったら俺の所まで取りに来い!」



「親方サンキュー! 愛してるよぉ!」



 少年は親方の手から銅貨を攫う様に奪い取ると、大型船の方へと駆け出して行った。



 ◇◆◇◆◇◆



「よぉ、ルーカス。お前も来たのか?」



 船の上で積み荷を確認しつつ、羊皮紙に数量を書き込んでいる男が少年に声を掛ける。



「あぁ、何とか親方に頼んで入れてもらったよ。早速だけど何を運べばいい?」



 少年はあどけない笑顔を見せながら、この場を取り仕切る男に返事を返す。



「まぁ、お前はまだまだ力は足りないが、いつもこうやって真面目に仕事をしてくれるから、こっちは大助かりだ。……はぁ親方ももっと、こういう若いやつを入れてくれってんだよ、本当に。いつもいつも使えないヤツばっかりで本当に参るよなぁ」



 その男は羽ペンで頭を掻きながら、困り顔だ。



「それじゃルーカス。早速で悪いけど、第一船倉の方に行ったら女奴隷の入っている檻があるから、その横に積んである貴重品関連の宝箱をここに持ってきてくれ。俺が数量を確認した後に、桟橋に留めてあるマロネイア家の専用馬車の方に積み込むからな」


「くれぐれも注意してくれよ。落っことしたりしたら、お前も俺も、一生掛かっても弁償できない様な品ばかりだからな。それから入り口は兵士が守ってるから、この札を持って行け。毎回札合わせしてから中に入るんだぞぉ」



 その男は親方への愚痴をこぼしながらも、ルーカスに荷運びの指示を出し、通行証の代わりとなる割符を手渡してくれた。



「承知っ! すぐに済ませるから、後で追加を払う様に、親方に口添えしてくれよ!」



 ルーカスはその男に一声掛けると、急ぎ足で大型船後方にある第一船倉の方へと駆け出して行った。



 ◇◆◇◆◇◆



 第一船倉の方には貴重品ばかりが仕舞い込まれているのだろう。荷運び専門の奴隷達が来ている気配も無く、そこは気味が悪いぐらいに静まり返っていた。



「しっかし不用心だよなぁ。こんな簡単に入れちゃうんじゃ、宝物取り放題だぜ」 



 第一船倉の前にいた兵士は、割符を見せると札合わせもせずに中に入れてくれたのだ。


 ルーカス少年は不謹慎な事をつぶやきながら、小さなランタンで中を照らしてみる。



「ひぃっ!」



 薄暗いランタンの火に照らされた倉庫の奥からは、いくつもの瞳がルーカス少年を見つめていたのだ。



「おっ脅かすなよ。女奴隷達かぁ……」



 女奴隷達は高値で売れる高額商品だ。だから他の宝物と一緒に第一倉庫の方に入れられていたのだろう。


 しかし、倉庫奥に繋がれている女たちは特に檻に入れられている様子も無く、その手だけを鎖で数珠繋ぎに縛り付けられているだけだ。



「あれ? おかしいなぁ。女奴隷が入っている檻って言うのは……」



 ルーカス少年が更にランタンの灯で壁際の方を照らした時、檻の中からアクアブルーに輝く二つの瞳が、静かに自分を見つめている事に、ようやく気が付いた。


 その『魅惑的な瞳』を持つ少女は、両手で檻の柱を掴んだまま、無言で自分を不思議そうに眺めている。



「あなたは、だぁれ?」



 少女は愛らしい笑顔を振りまきながら、少年に尋ねて来る。


 少年は驚きのあまり、自分以外に誰か声を掛ける相手がいるのでは? と思って周りを見渡してみるが、もちろん誰もいるはずが無い。



「ふふっ、あなたしかいないわよ。私の名前はミランダ。あなたは?」



 少女は天使の様な微笑みで少年に話しかけて来る。



「えっいやぁ……そのぉ……」



 少年は少女の問いに答える事ができないばかりか、少女の無垢な瞳に耐えられず、思わず赤面しながら彼女の視線を避ける様に俯いてしまった。



「……ねぇ、お名前を教えて?」



 少女のその可憐な声が、少年のうぶな心にグサグサと突き刺さるとでも言うのか、少年は自分の胸をギュッと掴んで身動きが取れない。



「……どうしたの? お腹でも痛いの?」



 今度は心配そうな声で少年に問いかけてくる少女。


 少年は少女の『その声』を聞くだけで、得も言われぬ快感が背筋を駆け上がって行くのを感じた。



「はうっ……えっ……とぉ……俺の名前はぁ……そのぉ……ルーカスって言うんだ」



 やっとの想いで、自分の名前を絞り出すルーカス少年。



「へぇ、ルーカスって言うんだぁ格好良い名前だねっ」



 その少女は、ルーカスと会話出来た事がよほど嬉しかったのだろう。こぼれる様な笑顔で少年の名前を誉めてくれる。



「かっ格好いいって言うか……、そうそう、ルーカスのスペルは、『Cas』じゃなくて、『Kas』なんだ」


「そう! 『Lukas』って書いて、ルーカスって読むんだよ。俺を拾ってくれた教会の神官様が付けてくれたありがたい名前なんだって。昔、ルーカスって言う名前の有名な人がいて、その人の名前をもらって付けてくれたらしいんだよ。だから俺、この名前をとっても気に入ってるんだ!」



 一度、少女との会話を始めてしまうと、今までなかなか出てこなかった言葉が、堰を切った様に溢れ出て来るから不思議だ。



「うふふ。面白い人っ」



「えぇっ! 俺、面白いって言うかぁそのぉ……」



 少女に褒められてよほど嬉しかったのか、また黙って俯いてしまうルーカス少年。


 そんな少年の行動を、静かに見つめる少女。



「ねぇ。私、あなたの事ルーカスって呼んでも良い?」



 ルーカス少年は少女からの思わぬ申し出に、緊張のあまり直立不動の体勢に移行。



「うっ、うん。……良いよ。もちろん大丈夫だよ。……ミッ、ミランダ……さん……」



 少年はやっとの想いで少女の質問に返答するが、少女はその『返し』が不満だったのか、少し困惑した表情に。



「ねぇ、私の事も『ミランダ』で良いよ。『さん』なんていらないから」



 少女の想いを察した少年は、なぜだか急激な焦りを覚える。



「あぁっ……ごっ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくって、その、俺、その、こんな可愛い子と話した事なくって、って言うか、名前を呼び捨てにした事なんて無くって……そのっ……そのっ」



 ルーカスは、もう次の言葉が出て来ない。


 そんなルーカスの慌てふためく様子を、優しく見守るミランダ。



「うふふ、だって私達、もう友達でしょ?」



「はうっ!」



 少年は、少女からの予想外の言葉に、緊張の面持ちでうなずく事しかできなかった。


 ルーカス少年十五歳の春……。


 彼は生まれて初めて『恋』と言うものを知る。

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