第四章 少年ルーカス(ルーカス/ミランダルート)

第43話 輸送船

「帆を仕舞えぇぇぇ」


「オールを下ろせぇぇぇ」



 水夫長の怒鳴り声が、ガレー船の中に響き渡る。



「「「ぅおぉぉえぇぇぇすぅぅぅ」」」



 漕ぎ手を指揮する漕手頭そうしゅがしらの合図に合わせて櫓の中から一斉にオールが下ろされた。



「おらぁ、もたもたすんなぁぁ。七番遅れてるぞぉ。お前今日は飯抜きだからなぁ覚悟しろぉぉ」



 漕手頭から、まだ年若い漕ぎ手へと罵声が飛んだ。若者は首を竦めながらも、他のベテラン漕手に合わせてゆっくりとオールを下ろして行く。



「……両舷……、微速前進っ!」



 再び、水夫長からの指示が飛んだ。



 船の両舷から下ろされた八十本のオールが一斉に着水し、一分の狂いも無く海面を漕ぎ始める。


 船尾の方からは、漕ぎ手のタイミングを取る為の太鼓が打ち鳴らされ、漕手はこの太鼓に合わせてオールを漕ぐのだ。


 この船は普通の輸送船では無い。この規模の輸送船ではあまり見られない、左右二段ずつの櫓座を持つ高速輸送船だ。


 しかも船首には衝角を保持し、その帆先や船尾には、金銀で装飾された軍神アレクシアの艶めかしい姿が形取られている。


 通常、この手の輸送船には、この様な華美な装飾を施す事は無い。


 つまり、その一点を取ってみても、この船の所有者マロネイア家が、その地位や財力を見せ付けているのだと言う事が伺い知れる。



「完全に凪いだなぁ……。チッ! おい、水夫長を呼んで来いっ!」



 その男は、船尾に設えてある日よけ用のテントの中で、二人掛けのソファーに寝そべりながら、面白くも無さそうに、水で薄めたワインを飲み始めた。


 男の足元にはまだ年若い二人の娘が、一糸まとわぬ姿で肩で息をしながら臥せっている。



「お呼びでございますか、タロス様」



 テントの入り口付近から、水夫長のものと思われるダミ声が聞こえて来た。


 水夫長は、テントの中で事を理解している為か、入り口からテントの中へは入って来ない。



「おい。今日中にエレトリアには到着できるんだろうなぁ……」



 タロスと呼ばれた男は、自身の裸の上半身を別の女奴隷に拭わせながら、己の不満をテントの外の男へとぶつける。


 彼の体の汗を拭っていた女奴隷は、その男が発する半ば恐喝に近い声音に接し、自身とは全く関係が無い……とはわかっていても、恐怖の為にその手が一瞬止まる。



「予定よりは多少遅れてはおりますが、ここからは漕ぎ手により船を進めて参ります。ですので、夕刻までにはエレトリアの街に到着するでしょう」



 水夫長は慣れたもので、タロスの脅しに屈する事無く、平然と到着の予定を口にした。



「それなら良いが、もし遅れてみろ。お前の首はエレトリア近海のサメの餌になると思えよ」



 水夫長が即答した事で多少機嫌が直ったのか、言っている内容はめちゃくちゃではあるが、冗談めかした口調で水夫長を激励するタロス。



「へぇ。かしこまりました」



 水夫長もそれだけを言い残して、何事も無かった様に持ち場に帰って行った。



「まぁ、もし遅れでもしようものなら、水夫長の首と一緒に、俺の首もサメの餌になるんだがなぁ」



 タロスは苦笑いを浮かべながら、残ったワインを一気に口の中に放り込む。


 そして、やおら自分の背後にいた女奴隷の腕を掴んだかと思うと、長ソファーの上に引きずり込み、その衣服を剥ぎ取り始めたのだ。



「いい加減こいつらにも飽きたなぁ。さすがに上玉に手を出す訳にも行かんしなぁ。まぁ、もうすぐ陸だ。それまでは、これで我慢する事としようか」



 タロスは下卑た笑いを浮かべながら、女奴隷の首元に舌を這わせ始める。


 ちょうど同じ頃、船室の一角に設えた木製格子の中には、五人の女が捕らわれの身となっていた。



 ◇◆◇◆◇◆



「ねぇお姉ちゃん、いつになったら港に着くのかなぁ?」



 私はもう、何百回目になるかもわからない質問をお姉ちゃんにしてみます。



「そうだねぇ。いつになるんだろうねぇ」



 お姉ちゃんの答えも毎回いっしょ。

 

 船がザパスの港町を出港してから、既に二十日近くが経過しました。毎日二回、パンとお水をもらう事ができるので、蒸し暑い以外は意外と快適な生活です。


 もちろん、食べるものを食べれば、出るものも出ます。


 出たものは檻の中にある桶に集めて、食事を持ってきてくれるおじさんに渡すのです。


 はじめの頃は女の人が取りに来てくれていたんだけど、最近では毎回同じおじさんが来て、なぜか嬉しそうに糞尿の入った桶を抱えて帰って行きます。


 うぇーっ。私は自分の出したものも一緒に入っているとは言え、あの桶を抱えて持って行く気はもうとうありません。ちょっとあのおじさんオカシイです。



 流石にこんな狭い所にずーっと閉じ込められていては体がなまります。


 二日に一度ぐらい、船は知らない港に到着して食料などの積み込みを行ってるみたい。その時ばかりは、水夫の人達はみんな、港町の方へと繰り出して行きます。


 その僅かな時間だけ、私達は檻から解放されて、甲板の上に出る事を許されるんです。


 もちろん、船から港へ渡る橋げたは取り外されていて、船の中には何人かの兵士達が警戒の為に残っているので逃げ出す事も出来ません。


 ただ、本当の事を言うと私とお姉ちゃんだけであれば、五人ぐらいの兵士なんてやっつけちゃって、そのまま海に飛び込んで逃げてしまう事も出来たかもしれません。


 でも、お姉ちゃんが『今はその時じゃない』って言って、結局そのまま捕らわれの身です。


 まぁ、確かにかたきとなるタロスと言う男が乗っている船です。このまま逃げしまっては復讐のしようも無くなります。まずはヤツのねぐらを押さえる必要があると言う事なのでしょうね。


 さすがの私でもそのぐらいの事はわかります。えへへ。



 それからもう一つサプライズ!


 ザパスの港町の娼館で、私達にとっても優しくしてくれたヴァンナさんが、同じ檻の中に入ってました。


 まぁ、良い事なのか、悪い事なのかはわかりませんが。



 ――あははは。



 ヴァンナさんを落札したのも、どうやら私達と同じペトロスさんだったみたいです。


 ヴァンナさんはとっても物知りで、色々な事を教えてくれました。


 この船はマロネイア様と言う、帝国でも有名なお金持ちの船だそうです。


 普通貴族でも、こういう戦闘艇を持っている家はほとんど無いそうで、ものすごくお金を持っていると言う事なのだそうです。



 ――へぇぇ。



 私達の住んでいた南方大陸では貴族と言う人達がいないので、ちょっとどう言う事かわかりませんが、まぁすんごいお金持ちって事なのでしょうね。


 でも、後でお姉ちゃんに聞いたら、南方大陸にも貴族の人はいるそうです。



 ――ごめんなさい。



 それから、これもヴァンナさんに聞いた話なのですが、トマスおじさんは、本当は、私達をあのタロスに売る約束をしていたらしいです。しかも、既に前金を受け取っていたみたいですね。


 にも関わらず、私達を奴隷市で売り払った挙句、あのタロスからもらった前金まで持ち逃げしようとして捕まったみたいですね。



 ――なんて悪いヤツなんでしょう!



 あの日も約束の時間に来なかったトマスおじさんを探して、マロネイアの兵隊たちが町中を探していたそうです。


 きっと、誰かが娼館に忍び込むトマスおじさんを見かけて、通報したのでしょう。


 悪い事をする人は、必ず見つかっちゃうものです。悪い事はできないものですね。



 もう一つ教えてもらいました。この檻なのですが、私達を閉じ込めておくと言うよりは、私達を他の水夫の人達から守る為にあるのだそうです。


 確かに広い海の上です。どこにも逃げようもありません。わざわざこんな狭い檻の中に入れておく必要はありませんものね。


 どうやら、ヴァンナを含む五人の女の子は「上玉」と呼ばれていて、これから向かう、エレトリアと言う街で高く売れるのだそうです。


 だから、丁寧に扱ってもらえるのですねぇ。まぁ、トイレぐらいは自由にさせてもらっても罰は当たらない様な気もしますけどね。私は意外と早く慣れましたが、お姉ちゃんやヴァンナさん以外の女の子は、未だに、かなり嫌そうに用を足してました。ははは。


 確かに船倉の奥の方には、更に三十名ぐらいの女奴隷がヒモに繋がれていて、時々連れて行かれます。


 まぁ、炊事洗濯、やる事は多いのでしょうね。


 でも連れて行かれるのはほとんど夜ばかりです。たまにその中でも比較的可愛い娘が昼間から連れて行かれる事もありますが、昼は可愛い娘、夜はそれ以外の娘と言う決まりでもあるのでしょうか? ……はて?


 まぁ、昼間は水夫の人達も忙しいのでしょうから、夜にならないとお掃除もできないのでしょう。


 

「ねぇお姉ちゃん、いつになったら港に着くのかなぁ?」



 私はまた同じ質問をお姉ちゃんにしてしまいました。

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