第28話 美穂ちゃんとアルちゃん(ビール工場・中編)

「ついたぁぁ!」



 私とアルちゃんは、ほぼ予定時刻通りにビール工場に到着しました。



 結局朝のゴタゴタで遅れた分は、アルちゃんの運転技術で全て取り返す事が出来たのです。


 途中、高速でBMが追いかけて来ましたが、直線勝負で軽く置いてけぼりです。


 恐らく彼のプライドはズタズタでしょう。ご愁傷様な事です。



 さて、よっぽど楽しみにしてたのでしょうね。アルちゃんは駐車場に車を停めるなり、受付へ向かってダッシュです。



「あぁ、アルちゃん! 帽子、帽子っ!」



 あまり目立たないとは言え、結構な存在感のある立派なお耳です。やっぱり隠しておいた方が良いでしょう。


 アルちゃんは、もう駐車場の半分ぐらいまで走ってましたが、急いで戻って来て私に帽子を被せてもらってます。



 今日の帽子はM-1ジャケットに合わせて、ミリタリーっぽいベレー帽を合わせてみました。


 しかもちょっと大きめで耳まですっぽり。ガーリーな感じに仕上がってます。



 ……うん、可愛い、かわいい。



 さて、工場はすっごく大きくて、森の中にいるみたい。何気に気分も上がって来ます。


 事前予約で見学ツアーへの申し込みをしていたので、どこかの団体さんや、若い家族連れの方達と一緒に回る事になりました。



「美穂ちゃん、見てみて! きゃ、でっかいタンクやねぇ。すごいちゃ! マムのお釜より大きいよぉ」

(翻訳:美穂ちゃん、みてみて、これ、大きいタンクだね。すごいよ! マムおばあちゃんのお釜より大きいよ)



 アルちゃんは方言丸出しで大はしゃぎです。ガイドさんも苦笑い。まぁ、アルちゃんが喜んでいるので、良しとしましょう。


 それから、お母さん慶太のおばあちゃんは、地元で地酒の酒蔵にも出資しています。


 地酒や地ビールなんかを作っていますが、アルちゃんの夢は自分が監修したお酒を作る事だそうで、こっそり蔵元さんと仲良くなっているのを知っています。



 一通り工場内を見学した後は、お楽しみの試飲コーナーへ。


 工場内のゲストホールは広くてとっても綺麗。天井も高くて、ヨーロッパの有名なバルの様な作りです。


 ここでは、出来立てのビールを一人タンブラーで三杯まで無料で飲む事が出来ます。


 もちろん、私は帰りの運転がありますから、ソフトドリンクで。



 アルちゃんはさっそくお弁当を広げて近くの団体さんや家族連れに振舞いながら、出来立てのビールを次々と飲み干しています。



「んく、んくっくっ。ぷはー、生き返るぅー」



 アルちゃんのいつものセリフです。


 いつの間に仲良くなったのでしょう、となりのおじさんや、家族連れのパパさんと意気投合していました。



「おぉ、あんた良い飲みっぷりだねぇ」



 アルちゃんの横に座ったおじさんは、アルちゃんのお重のおつまみを食べながら、話し掛けて来ました。


 おじさん、ちょっと禿げ散らかしてますね。これはちょっとどうでしょう。こういうおじさんに限って、セクハラを仕掛けて来ます。保護者としては、アルちゃんを守らないといけませんね。



「あんたも美人さんだけど、あんたのお姉さんも美人だねぇ。美人姉妹でビール工場見学かい?」



 ……んん? お姉さん?



「えぇ、ちょっと。たまのお休みなので、でお散歩に」



 私は人差し指をちょっと顎に付けながら笑顔で返答します。


 えぇ、分かっていますよ。分かっていますとも。このおじさん、ちょっと禿げ散らかしていますけど、人を見る目はありそうですね。こういう人に悪い人はいません。



「えぇ、美穂ちゃんはお姉さんじゃ……ぐっ! ……痛っ!」



 アルちゃんはとっても素直な子なのですが、大人の会話が分かっていない場合があります。


 そんな時は、私の黒ブーツのピンヒールが容赦なくアルちゃんのコンバースを貫きます。コンバースはほとんど防御力はありませんので、効果は絶大です。



「美穂ちゃん……ちょ直撃っ……これダメなヤツやよ。」



 アルちゃんは涙目で訴えかけて来ますが、私のほほ笑みは微動だにしません。



「おねぇさん、僕もこれ食べて良い?」



 左隣にいる家族連れの男の子がソフトドリンクを飲みながら、お重の中に入っているチョコレート菓子の様なものを指さしています。



「あぁ、すみません。急にそんな事……」



 家族連れのお父さんとお母さんが、ちょっと申し訳無さそうに話しかけて来ました。



「なーん、いいがやよぉ。ぼくちゃんこっちこられ、お姉さんのお膝で食べさせてあげっちゃ」

(翻訳:ううん、いいのよ。ぼくちゃんこっちに来なさい。お姉さんのお膝で食べさせてあげるね)


 アルちゃんは小学生ぐらいの男の子をヒョィと持ち上げると、自分のお膝に乗せてあげます。



 アルちゃんは既に割り当てられた三杯のビールを飲みほしているのですが、他の団体さんの奥様達にお重のおつまみを分ける事で、ちゃっかり余ったビールをもらっています。


 ……なるほど、お重の意味がようやく分かりました。



 しかもちょっと暑くなったのか、既に羽織っていたジャケットは椅子に掛けていて、下に来ているのはシンプルな薄手のニットだけ。


 もともとダニエラさんにもらったものなので、胸元はかなり攻めた感じな上に、スレンダーなダニエラさん仕様なので、アルちゃんの場合は、はちきれんばかりの暴力的なシルエットになっています。



 もちろん、そんな事は全くお構い無しのアルちゃんです。



 男の子を膝に乗せると、アルちゃん自らチョコレート菓子を手に取って、男の子に食べさせてあげています。


 しかも、アルちゃんの向かい側に座っている私から見ると、男の子の両肩にアルちゃんの胸が乗っているので、男の子の顔が三つあるみたいに見えます。ふふっ。ちょっと面白い。



 さっきまで元気いっぱいだった男の子も、アルちゃんの膝の上では、頬を染めながら、少し俯き加減で嬉しそうにお菓子を食べさせてもらっています。



 うーん、小学生でもやっぱり男の子ですねぇ。この歳でアルちゃんの良さが分かるとは。……侮れません。


 もちろん、両隣のおじさんと、お父さんの視線は、男の子の様子にくぎ付けです。 



「おぉ、なんだなんだ、いいなぁ。おじさんも食べさせて欲しいなぁ」



 やっぱり、このおじさん、典型的なセクハラおやじでした。



「おじさんはチョコじゃ無いやろ? はい、こっちのイカの辛子みそ和えならいいよぉ」


「はい、あーん」



 アルちゃんは、異世界で取って来たイカの辛子みそ和えをつまむと、おじさんに食べさせてあげます。



「おっおおぅ、……あーん」



 おじさんは柄にもなく、照れてれの顔をしながら、アルちゃんに食べさせてもらっています。


 自分で言い出したのですから、最後まで責任は取ってもらいましょう。


 おじさんは団体のほかのおじさん達から『やいのやいの』と文句を言われています。


 ……まぁ仕方がありませんね。



 今度は反対側の若いパパさんが、いつの間にかアルちゃんの方を見ながら「あーん」をしています。



「もうっ! あなたっ!」



 結局ママに叱られています。こちらも仕方がありませんね。



「姉さん気に入った! 名前は何って言うんだい?」



 おじさんも酔っぱらって聞いて来ます。



「えぇ、アルテミシアやよぉ。ちょっと難しい名前ながやちゃ?」



 アルちゃんは素直な良い子なので、ちゃんと本名で答えます。



「おぉ、難しい名前の店だなぁ。それ『錦』のどのへんにあるんだい?」



 おじさんは、完全にお店の名前と勘違いしています。


 ふっと横を見ると、若いパパさんが携帯で『アルテミシア』を検索している様です。



 ……パパさん。検索しても出て来ませんよ。本名です。



「じゃあ、名刺か何か持って無いの?」



 おじさんがしつこく聞いて来ます。



「えー、持って無いよぉ。私シスターはアルバイトやしぃ。近くまで来たら、近所の人に聞いたら案内してくれるよぉ」



 そうです。アルちゃんはお母さんの教会で、シスターのアルバイトをしています。



「おぉ、そうかぁ。シスターコスプレのお店かぁ。それは珍しいから直ぐに分かるかもなぁ。って事は、錦の無料案内所で聞けば良いんだな?」



「そうやよぉ。また、遊びん来られぇ」

(翻訳:そうだよ。また、遊びに来てね)



 ちなみに、地元から殆ど出歩かないアルちゃんは、『錦』が何処なのか知りません。



「おぉ、分かったぞぉ。次はいつ出勤なんだい?」



 おじさんはうれしそうに問いかけて来ます。



「うーん、月曜、水曜、金曜は出とるかなぁ。それ以外は保育所が忙しいがやちゃ」



 アルちゃんは、軽く顎をトントンと人差し指で叩きながら答えます。



「おぉ、そうか、そうか」


「保母さんしながら働いてるんだなぁ。若いのに苦労してるんだな。よし、おじさんに任せておけ、おじさんが行った時にはピンドン入れてやるからな!」



 おじさんはものすごい勢いて断言しています。なぜだか、おじさんの後ろから大勢の別のおじさん達も大きく頷きながら、「俺も行くぞ!」「任せておけ!」だのの声が聞こえて来ます。



「えぇ! ピンドンって、ドンペリィ? 私飲んだこと無いがん。すごーい。初めてやちゃ!」



 アルちゃんは、お酒が大好き。初めてドンペリが飲めると言う事で、大はしゃぎです。



「おぉぉ、任せとけっ! 十本でも二十本でも飲ませてやるぞぉ。俺ぁ、こういう頑張ってる若い子が大好きなんだぁ」



 セクハラおじさんが叫ぶと、後ろから。



「何言ってんだ、単にキレイな若い子が好きなだけだろう?」



 と混ぜっ返えされて、嬉しそうです。



「げはははは、そうかぁ、ははは。」



 試飲コーナーでの制限時間は二十分なのに、結局一時間ぐらいお邪魔してしまいました。


 ビール工場の方々、本当にすみません。

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