第29話 美穂ちゃんとアルちゃん(ビール工場・後編)

「いやぁぁん、可愛いぃぃ。超にあうぅぅ」



「でしょぉ。アルちゃんは何を着ても似合うんだよねぇ」



 ブランドショップに響き渡る店員と美穂ちゃんの声が姦しい。



「えぇぇ! 何言ってるんすかぁ。お姉さんの方もめっちゃ若くてぇ、全然イケてますよぉ。膝下丈のタイトにレオパードって、結構攻め攻めじゃないっすかぁ」



 栗色の髪をツインテにしたすこしぽっちゃり店員さんは、ブルーのカラコンを入れた目を大きく見開き、ちょっと短い両の指を大仰に広げて、無理やり口元を隠しながら驚いてみせます。



「そ~ぉ。やっぱり分かる?! ちょっと気持ち入っちゃってねぇ」



 もうっ! この店員の子、なかなか分かってるわね。特に「お姉さん」って所が気に入ったわぁ。


 私は上機嫌で店員さんとガールズトークです。



「美穂ちゃーん。これもう脱いで良いん?」



 はにかんだ感じで、試着室から顔を出しているアルちゃん。


 ちょっと大人な感じの花柄のノーカラージャケットと、ボタンスカートのコンビは、身長のあるアルちゃんにピッタリです。うふふ。かーわいい。



 でも今日はおとなフェミニンが目的ですから、ちょっと違いますね。


「うーん、そうだねぇ。もうちょっとふんわりした感じが出したいから、こっちのお洋服に着替えてみてくれる?」



 私は、既に用意していたお洋服をアルちゃんに手渡します。



「はぁぁぁい……」



 アルちゃんはちょっと困った様な表情で、私の手渡したお洋服を受け取って着替えはじめます。



「っふぅ……。お洋服を着るのって、意外と大変やねぇ……」



 アルちゃんはブツブツ言いながら、試着室のドアも閉めずに、スカートを脱ぎ始めてしまいました。


 お店には彼女に連れて来られた男の子達も結構いますから、軽く男の子たちは騒然です。



「アルちゃん、これこれ。ちゃんとカーテン閉めて、閉めて」



 ウィンドゥショッピングから始まって、既にブランドショップを十件近く回っています。さすがにアルちゃんも疲れて来たのかな?



 仕方が無いですね。今日はこの辺にしておきますか。



 結局この後、透け感のある可愛いギャザースカートに、トップスは紺色のニットとカーデガン。アウターとしてフォックスファー袖のコートと、同じフォックスファーのティペットをご購入です。


 早速アルちゃんに着せて帰ろうとしましたが、今日はこの後帰るだけなので、お披露目はまた来週ですね。


 お店の大きな紙袋に入れてもらって、意気揚々とお店を後にします。



 ――ドンッ! ガシャン!



『アブねぇなぁ! おい!』



 お店を出て少し歩いた所で、大柄な欧米系の外国人の方とぶつかってしまいました。


 どうも、その拍子に男性の持っていた紙袋が落ちて、中の瓶が割れてしまった様です。



「あぁ、ごめんなさい!」



 私は即座に謝ります。 特にわき見をしていた訳では無いのですが、大柄な外国人の横をすり抜け様とした時に、別の外国人の人とぶつかってしまった様です。



『おいおいおい。何してくれてるんだよ!このチビな日本人。お前のせいでオイラの大事なワインがわれっちまったじゃねぇか? どうしてくれんだよ。弁償だな。弁償してもらうしか無いなぁ!』



 ワインの入っていたらしい袋を落とした男は、スキンヘッドで筋骨隆々。きっとみんなからは海坊主と呼ばれてそうな輩です。



『そうだな兄貴! こいつは弁償してもらうしか無いな。でも本当はさっき買ったばっかりの安物ワインだけどなぁ! HAHAHA』



 もう一人の男はこの海坊主の弟分なのでしょうね。パチモンのヤンキースキャップを被ったのっぽさんです。


 ふたりとも、私達が日本人だと思って英語で捲し立てていますが、全て筒抜けです。のっぽさんの方なんて、『安物のワイン』って言っちゃってましたから。



「すみません。お怪我はありませんか? 大変申し訳ありませんが、何を言っているのかさっぱり?」



 私は少し困った様な顔で謝ってみます。


 ちょっと面倒なので、このまま英語が分からない日本人で通してしまいましょう。



『詫びなんていらねぇんだよ、さっさと金出せよ。金だよ金? 分かるだろ金!』



 ちょっとぶりっ子入ってる私に苛立って来たのか、海坊主兄貴が更に怒鳴り声を上げます。


 駐車場に向かう路地裏ではあるものの、比較的繁華街に近いので人の往来も十分にあります。


 でも大柄な外国人が英語で捲し立てているのに怖気づいて、誰も私達を助けてはくれません。


 本来はとっても親切なはずの日本人ですが、こういう危険な事と、英語の外国人には腰が引けてしまうのでしょうね。



「うーん……パードゥン?」



 私は小首を傾げて、言ってみます。



『んだとこのアマァ大人しくしてりゃ、いい気になりやがって。少し痛い目みないと分からねぇみたいだなぁ』



 海坊主先輩は更にドスの利いた声で私を脅すと、やおらポケットに忍ばせていた折り畳みナイフを持ち出しました。



 ……あらあら。刃物はダメですよ。



 遠巻きに見ていた人達からも、軽い悲鳴の様な声が聞こえて来ます。このまま誰かが警察にでも電話してくれれば一件落着です。もうしばらくの辛抱ですね。



 私は「どうしましょっ」って顔でアルちゃんの方に振り返ると、アルちゃんのこめかみにはものすごい太い血管が浮き出ています。あぁ、これはとっても怒っている感じですね。


 アルちゃんはM-1ジャケットのポケットに両手を入れて帽子を目深に被り、少し俯き加減にしているのでその表情は見えません。


 はたから見ると、お姉さんの後ろで怯えている妹の様にも見えるでしょう。


 でもアルちゃんは素直な良い子なので、私が「良し!」と言うまでは自分から手を出したりしません。



「アルちゃん、大丈夫だよ……」



 私がアルちゃんに声を掛けようとした時でした。



『おい、若作りのくそばばぁ! こっち見ろっ! 何よそ見してやがんだよっ! 今は兄貴が話してる所だろ! なぁ、兄貴!』



 弟分の言葉の中に、残念ながら、聞き捨てならない単語が含まれていました。



 ……はぁぁ? 若作りのくそばばぁぁぁぁ?



 私は半笑いのままアルちゃんに告げます。



「アルちゃん、大丈夫だよ……おしまい!」



 アルちゃんはその一言を聞いた途端、返事もそこそこに、私の目の前からいきなり跳躍します。


 そのまま私の頭上で小さく丸まりながら一回転。にも拘わらずアルちゃんの両手はM-1ジャケットに入ったままです。


 ちょうど私の頭上を越えた後、アルちゃんはそのスラリと長い右足を天空に向け、私の頭上で回転した時の回転モーメントを最大限に生かした状態で、右足の踵を弟分の頭上に振り下ろします。



 ――グォギッツ!



 のっぽな弟分の身長は恐らく2メートル近いのだとは思いますが、アルちゃんの踵落としは確実に脳天にクリーンヒット。


 ちょっと聞くに堪えない様な音が聞こえた後、弟分は白目をむいて鼻血を出しながら崩れ落ちます。



 あぁぁ。アルちゃんは素直な良い子です。私は「やっておしまい」と言いましたが、恐らく「っておしまい」と聞こえたのでしょう。


 失敗しましたぁ。アルちゃんに手加減しろと言うのを忘れてました。


 ――痛恨です。



 私は急いで崩れ落ちたのっぽの弟分に近寄ると、治療魔法による回復を試みます。


 完全に頭蓋骨が陥没していますが、即死ではなさそうです。今ならまだ間に合います。



 ――良かった。



 のっぽの弟分さん、良かったですね。アルちゃんのヨレヨレコンバースに救われましたよ。


 もしこれが私の選んだショートカットの黒ブーツだったら即死確実でした。



『アルちゃん! 殺しちゃだめよ』



 私は英語でアルちゃんに話しかけます。



『美穂様、分かりました。お言いつけの通り』



 アルちゃんは日本語の時は方言丸出しですが、英語の時は綺麗なクィーンズイングリッシュです。



『おい、お前。美穂様に感謝するんだな。殺さないでとの仰せだ。だがものは考え様かもしれん。もうしばらくすると、お前は私に『殺してくれ』と懇願する事になるかもしれんのだからなぁ』



 アルちゃんはとっても怖い脅し文句を浴びせた上で、やはり両手はM-1ジャケットに入れたままで海坊主先輩に駆け寄ります。



『このアマいい気になりやがって!』



 海坊主先輩は、まっすぐ走り寄って来るアルちゃんに向かって、左手に掴んだナイフを横一文字に振り抜きます。



 ――ブンッ!



 むなしく海坊主先輩のナイフは空を切り、そのナイフの稼働限界線ギリギリを迂回する様に、アルちゃんが身をかがめて海坊主先輩の足元に到達。



 ――ガッツッ!



 アルちゃんは海坊主先輩の足元でしゃがみ込むと、左足を軸にして大きく円を描く様に回転しながらキレイに海坊主先輩の足を刈り取ります。


 アルちゃんの足払いにより、恐らく体重は百キロを超えるであろう巨漢が面白い様に宙に浮くのです。


 遠巻きに見ている人達から、「わぁぁ」と言う歓声にもにたどよめきが沸き起こりました。



 ――ゴンッ! 「グエッツ!」



 空中高く舞い上げられた海坊主先輩は、そのまま後頭部から受け身無しでアスファルトの地面に落下。


 やはり聞くに堪えない音を残して気絶しました。



 うーん、やっぱり即死では無いとは思いますが、急いで近寄ってみると、ほぼ虫の息です。


 後頭部を強打した際に自分の舌でも噛んだのでしょう。口からは大量の血泡を吐きながら倒れています。



 確かにアルちゃんは殺してはいないかもしれませんが、このまま放置すれば数分で自分の血液で窒息死です。



「もぉ、面倒くさいなぁ……」



 そう言うと、私は海坊主先輩にも治療魔法を施しました。



「うぉぉぉすげぇぇぇ」



 遠巻きに見ていた見物人たちから歓声と拍手が巻き起こります。


 アルちゃんはちょっと照れくさそうに、やっぱりM-1ジャケットに両手を入れたままで回りの人達にペコリと頭を下げて挨拶をしています。



「アルちゃん逃げよっ!」



 私はアルちゃんの腕を掴むと、見物人の間を押しのける様にして駐車場の方へと走り去りました。



◇◆◇◆◇◆ おまけ ◇◆◇◆◇◆



「ねぇあるちゃん。どうしてさっきから両手をポッケに入れたままなの?」



 何とか駐車場に到着し、荷物を後部座席に置いた所でアルちゃんに尋ねます。



「えへへ。さっきのお店のお姉さんに、後で食べられ! って、天むす二個もらったん」



 アルちゃんはM-1のポッケから天むすおにぎりを二つ出してくれました。



 ――もう、アルちゃんたら。



 帰りの車の中で一つずつ、天むすおにぎりを食べながら急いで帰宅です。


 なにしろ慶一郎さんと、ミーちゃんがお腹を空かせて待ってますからね。


 あぁ、今日も一日楽しかったっ!

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