第七章 大披露宴・前編(皇子ルート)

第72話 誰が花嫁?

「あなたっ、あなたぁ!」



 エルフの村に、甲高い女性の声が響き渡る。



 エルフの村は村長の家に面する大きな広場を中心として、放心円状におよそ二百世帯ほどの家々が軒を連ねている。


 さすがに、エレトリアの街の様な三階建て以上の建物はほとんど無いのだが、おおよその建物が二階建ての比較的大きな家々で構成されていた。


 それは、エルフの家系が女系家族で構成され、親子三世代がともに暮らすスタイルが一般的であり、一つの家に大家族が暮らしている事もその理由の一つだが、それ以外にも、同じ家、もしくは近隣の小屋に労働力としての奴隷達が暮らしていると言う事も大きな理由の一つと言えるだろう。



 その家々の中でも、ひときわ大きな屋敷の中から、その女性の声が聞こえて来たのだ。


 近所の家々からは何事が起ったのか? と訝しむ住人達が、ぞろぞろと声の聞こえた屋敷の周りに集まりつつあった。



「あなた! 大変、大変な事が起きたのよ! 大変な事が起きてしまったの!」



 その女性は、屋敷の玄関ドアを開け放ったまま、広い屋敷の中を目当ての人物を探すべく、大声をあげながら走り回る。



「はーい、はい、はい」


「マイハニー。僕はここだよ!? いったい、どうしたと言うんだい?」



 おそらく屋根裏部屋で片付けでもしていたのだろう。階段奥の小さな梯子からその目当ての人物がゆっくり降りてきたのだ。


 その男性は、満面の笑みでその女性に話しかける。



「シッ、シルビア? まさか?! まさか君よりも美しい人を見つけた? なーんて言う冗談は僕には通用しないよ!」


「何しろ、君は世界一美しいんだからねぇ。あぁっはっはっは!」



 男性は小さな梯子の途中で、サムズアップをしながらにこやかにウィンクして見せる。



「あぁ、あなた。そんな所にいたの?」


「もう、大変な事が起きたの。すぐに私の部屋まで来てちょうだい!」



 女性は男性の決めポーズを完全スルーしたまま、彼女の部屋へ走り去ってしまった。



「はっはっはっ。マイハニーは“慌てん坊さん”だなぁ。何が大変なのか、全く言わないで行ってしまったよ!」


「まぁ、“慌てん坊さん”は、“慌てん坊さん”でも、世界一キュートな“慌てん坊さん”だがね!」


「あぁっはっはっは!」



 この男性は、鋼のメンタルを持った人物の様だ。



 男性が体に付いた埃を払いながら、ゆっくりと彼女の部屋に入って行くと、彼女はいつの間にか数多くのドレスを引っ張り出して来て、ベッドの上に広げ放っていた。



「あなた! あなた! 私のウェディングドレス知らない? そう、あなたと結婚した時に着ていたやつよ!」


「あのドレスは私のママから頂いたとっても大切な物なの。そう、我が家に代々伝わるとっても大切なものなの。どうしても見つからないのよ!」



 シルビアマイハニーと呼ばれた女性は、自分のウェディングドレスが見つからず、癇癪を起していた様だ。



「なんだいマイハニー。もう一度僕と結婚式でも挙げようって趣向かい?」


「君は世界一の美人さんなんだから、ウェディングドレスなんて無くたって、僕はいつでも、何度でも、君と結婚式を挙げてあげるよ! そう、何度でもさ!」


「あぁっはっはっは!」



 残念ながら彼は彼女の期待する答えを返す事が出来なかった様だ。



「そんな事はどうでも良いのよ! 早く私のウェディングドレスを探してちょうだい!」



 彼の返しがよほど気に入らなかったのか、彼の言葉は彼女の怒りに更に油を注ぐ結果となってしまった。



「はっはっは、全く困ったマイハニーだねぇ」



 彼は彼女から頼まれたウェディングドレスを探すべく、二階の端にある衣裳部屋へ行こうとする。


 そして、ちょうど部屋のドアを出ようとした時に『はた』と気づく事が。



「……そう言えば、シルビア」


「君のウェディングドレスは、ソフィの結婚式に使うからって、譲ってあげたんじゃなかったのかい?」



 男性は振り返りながら女性にそう告げると、女性の顔がみるみるうちに紫色に変色して行くのがわかった。



「ああっ! そう、そうだったわ!」


「そうそう、そうよ。そうなのよ! あのドレスはソフィーに譲ってしまったんだったわ!」



「はああああぁぁぁ! あなたっどうすれば良いの! 私の、私のウェディングドレスが無いのよ!」



 彼女は絶望に打ちひしがれてベッドの上へと倒れ込む……と、思ったら、突然跳ね起きて。



「はっ! と言う事は、ソフィに返してもらえば良いんだわ!」



 それだけを告げると、男性を押し退けて部屋を出て行こうとする彼女。



「ソフィ! ソフィ! 何処にいるの? 急いで私のウェディングド……」



 そこまで言いかけて部屋を出ようとすると、なんと当のソフィが部屋の前に立っているではないか。



「もぅお母様ったら、何を大騒ぎしているの? ご近所迷惑ですよ!」



 ソフィと呼ばれた女性は、少し困り顔で部屋から飛び出して来た自分の母親をたしなめる



「あっがっっ、あっ、あなた! そっそれは私の……私のウェディングドレスなのよっ!」



 ソフィと呼ばれた彼女は、母親が探していたウェディングドレスをちゃっかり着込んだ上に、どこから持ってきたのか白い小さな花で作られた、おしゃれなブーケを両手で大事そうに持っているではないか。



「私も久しぶりに着たから、ちょっと胸のあたりが窮屈だけど……、まぁ何とかなったわね」



 ソフィは自分の胸のあたりを少し持ち上げる様にして、はみ出た胸の一部を無理やり奥にしまい込もうとする。



「ソフィ……悪い事は言わないわ。そのウェディングドレスを私に返しなさい!」



 母親は鬼の様な形相で、実の娘ソフィを脅迫。



「お母様、何を言っているの。私が皇子様の正妻に選ばれたのですから、私がウェディングドレスを着るのは当然でしょ?」



 母親の脅迫を全く意に介さず、自分の持論を堂々と主張するソフィ。



「なっ何を言っているのソフィ。私の方が年長なのですから、ここは私に正妻の座は譲りなさい!」


「それに、そのウェディングドレスも私があなたに譲ったものなのよ! さっさと返しなさーい!」



 母親のボルテージは最高潮に達している。



 その時、ドアの向こうからもう一人の男性が現れ、母親シルビアに向かって、涙ながらに訴えかけて来たではないか。



「おぉぉ。お義父様、お義母様、聞いて下さい! ソフィが、ソフィが僕と別れるって言うんです!」



 後から現れたこの男性は、ソフィの夫なのだろう。


 ソフィから突然切り出された別れ話に気が動転してしまい、遅れてようやくこの部屋にたどり着いた様だ。



「あぁ、ソフィ、こんな所にいたのかい!」


「ソフィ、僕のソフィ。僕の何がいけなかったんだい!」


「僕に悪い所があるのなら、何でも言っておくれ。きっと君好みの夫になってみせるよ!」


「本当だよソフィ。君を、君を愛しているんだ! だから、だから僕を捨てないでくれ!」



 ソフィの夫は涙ながらに訴えかけてくる。



「あぁ、ルキアノス。ルキアノス。あなたに悪い所なんて何一つ無いの。そう、ついさっきまで、私はあなたの事を世界中の誰よりも愛していたわ」


「だけど……私にはもうあなたを愛する事ができなくなってしまったの! そう、あえて何が悪いのかと言えば、私のが悪いのよ!」


「こればかりは本当にどうしようも無い事なの。だって、私は選ばれてしまったのですもの!」



 夫に泣きつかれたソフィーは、夫と同じく涙を見せながら何度も何度も夫は悪く無いと告げる。



「ソフィ、ソフィ。僕の大切なソフィ」


「君とは太陽の神殿で、全能神様に永遠の愛を誓ったはずじゃないか? あの誓いを忘れてしまったとでも言うのかい?」



 どうしても納得できない夫は、妻に結婚式での誓いの言葉を思い出してもらう事で、なんとか思い留まってもらえないかと考えた様だ。しかし。



「あぁ、ルキアノス。あの日の誓いは今でも覚えているわ」


「でも、でも、もうダメなの。その誓いを立てた太陽神様として、将来ご即位される皇子様からの求婚なのよ! 私なんかに断れる訳が無いわ!」


「あぁぁ、何て事なの。本当に、本当に私のこのが恨めしいわ。運命って、運命って何て残酷なのぉ」



 ソフィは本当に心苦しそうに言い訳しつつも、その目元は完全に笑っていた。



「……と言う事だから、本当に申し訳無いけど、私と別れてちょうだい!」



 いい加減、言い合いが面倒になったのか、ソフィは早々に話を切り上げる。



「ソッ、ソフィ! ……はぁぁっぁぁぁ。」



 完全に別れを告げられたルキアノスは、そのまま廊下の端に蹲ったまま泣き崩れてしまった。



「ソフィ! より、早くドレスを脱ぎなさーい!」



 その一部始終を見ていたはずのシルビアは、そんな三文芝居に全く興味を示す事なく、もう一度娘を叱り飛ばす。



「あぁっはっはっは! いったい何が起こったと言うんだい。もう大騒ぎだなぁ あぁっはっはっは!」



 呑気に笑い声をあげるお父さん。



「さぁ、これから忙しくなるわよ!!」


「まずは、セレナに連絡して、さっさとパパルキアノスと別れる手続きをお願いしないと」


「それから、お母様よりも先に神殿に駆け付けないと、正妻の座が危うくなるわね」


「何しろ、今日ご降臨になったばかりなのに、いきなり二人に求婚するぐらいですもの、いったい何人の娘に手を出しているのかすら、全く見当もつかないわっ!」



 もともと、頭の回転の速いソフィは、自分の小指の爪を噛みながら、今後の自分の人生設計と戦略に思いを巡らせるのであった。

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