第58話 延髄蹴り

「あなた達は、そこで何をしているのかしら?」



 ――グキッ!



 控えの間に続く扉の前。神に祈りを捧げる格好をして、小声で会話する二人。


 どこからどう見ても、怪しい二人……としか言いようがありません。


 しかも、先輩は立ち上がりかけた所で突然声を掛けられたので、驚きのあまり、力いっぱい振り向いたみたい。


 おかげで、先輩の首からは、信じられない様な『グキッ』っと言う変な音が聞こえました。



「くっ! あたたたっ……」



 先輩は首を押さえたまま、倒れ込んでしまいました。



「せっ先輩! 大丈夫ですか?」



「くっ首がっ……いっった……」



 先輩は首が変な方向を向いたまま、のたうち回っています。



先輩っせんぱーいっ!……ぷぷっ」



 先輩を心配して声を掛けようとしたのですが、あまりにもその動きが可笑しくて、思わず吹き出してしまいました。


 先輩、笑って……ごめんなさ…… ぷぷっ。



「いいかげん、何をしているのか答えてもらってもよろしいかしら!?」



 どうしても笑いを止められない私を後目に、その『お方』はとても不機嫌な様子で質問を繰り返します。



「たっ大変申し訳ございません! ダニエラ大司教様」


「先輩が、先輩が大変な事になっておりまして! ぷぷっ」



 先輩の大変な状況にかこつけて、何とかこの場を丸く収められないものか? と考えてみたけど……やっぱり無理っ! 結局笑ってしまいました。


 だって、先輩の『のたうち回る』姿が、本当に可笑しいのですもの。



「はぁ……」


「あなた達は確か、リーティアの侍女のマリレナと……あなたは?」



 大司教様は怪訝な表情で私を見つめます。



「あぁ、はい!」


わたくしっ! いつも元気いっぱい、太陽神殿の元気印。みるみるミルカ、あなたのミルカ、超大型新人侍女のミルカですっ!」


「何卒、よろしくお願いいたします!」



 大司教様に名前を覚えて頂く機会なんて、ほとんどありません!


 せっかくの機会なので、しっかりご挨拶すべきですね!


 私は大きな声で、元気良くご挨拶をします。



「あぁそう、ミルカね……」


「マリレナは……どうやら使にならない様だから、あなたがこの状況を説明なさい」


 大司教様は眉根にシワを寄せて、不機嫌そうに私に尋ねて来ます。



 さぁ! ここは私の腕の見せ所です。


 きっちりご報告して、大司教様にミルカの仕事っぶりを覚えて頂かないと!


 私は最大限の笑顔で大司教様にこれまでの経緯を説明します。



「まず、リーティア様が皇子様と二人っきりでぇ……ごふっ!」



 私が説明を始めようとした途端、私は鈍器の様なもので延髄を殴り飛ばされました。


 一瞬記憶が飛びかけましたが、私も伊達に格闘技フェチではありません。


 前方に一回転ころがる事で、受けた衝撃を最低限にし、かつその反動を利用して、自分の延髄を左手で防御する姿勢を保ったまま起き上がり、右腕は第二撃を受け止めるべく、『みえざる敵』の方へ差し出しました。


 そこで目にしたのは、何と! 自分の首を抑えつつも私の延髄を蹴り飛ばしたマリレナ先輩でした。



 せっ先ぱぁぁい! なんでこんな酷い仕打ちをするんですかぁ? ちょっと記憶が飛びかけましたよっ!



 ――本当に不本意です。



 先輩はもの凄い形相で私を睨みつけています。


 あっ! ヤバいです。あの顔は、かなり『ヤバい時』の顔です。これは

られかねませんっ!


 私は追撃を回避する為の防御姿勢を解き、即座に恭順の態度どげざを示します。



「大司教様、お見苦しい所をお見せしました。何卒ご容赦ねがいます」



 先輩はまだ自分の首を押さえたままですが、大司教様の前でカーテシーでのご挨拶をなさいました。



「あぁ、そう。マリレナ。大丈夫なの?」



 大司教様は蹴り飛ばされた私と先輩を交互に見ながら、先輩に問いかけます。



「はい、は大丈夫でございます。少々寝違えただけでございます」



 先輩は、自分の首を摩りながら、大司教様に笑顔で答えます。


 先輩……。多分、大司教様はを心配されたのでは無く、延髄蹴りを食らって一回転した気遣って下さったのだと思いますよ。



 ――本当に不本意です。って言うか、ちょっと殺意を感じます。えぇ、ちょっとです。ちょっとですとも……。



「そう、それならば良いのです。それよりマレリナ、皇子様とリーティアはどうしたのですか?」


「もう、昼食のお時間です。お召し替えにしては、少々時間が掛かっている様ですが」



 『それならば良い』のですね。大司教様も大概たいがいです。ちょっと恐ろしくなりました。



「はい。大司教様 このミルカに少々手違いがあり、お召し物の準備が遅れた事が原因でございます」


「先ほど、リーティア様のお部屋までお召し物を取りに行っていた為、遅くなってしまいました。」


「ミルカのミスは私のミス。謝罪の言葉もございません」



 せっ先輩! どこからその発想が浮かんで来るのですか? 恐ろしいです。恐ろし過ぎます。



「そうでしたか。なるほど」


「確かに先ほど、そのミルカらしい侍女が、リーティアの部屋からこちらの方へ騒がしく駆けているとの話を聞きました」



 大司教様は恭順の態度どげざを示している私に向かって、諭すようにお言葉をくだされました。



「ミルカ。失敗は誰にでもある事です。次は失敗しない様、注意するのですよ」


「また、廊下は走らない様に!」



 私をお叱りになった大司教様は、もう一度先輩に向き直ります。



「それでは、皇子様には、早めにダイニングの方へお越し下さる様に伝えてください」



 大司教様は、そこまでお話しになると、ゆっくりとダイニングの方へ去って行かれました。



「……ふぅぅっ、助かったわ」



 先輩は額の汗を拭いながら、安堵のため息を付きます。


 静かに恭順の態度どげざを示していた私は、大司教様が見えなくなった所で、先輩に向かって猛然と抗議開始です!



「先ぱぁぁぁい! 本当にひどいじゃないですかぁ!? 私、延髄蹴りくらった上に悪者ですよぉ。ちょっとあんまりですっ!」



 さすがにこれは言っておかなければいけません。


 これを放置しておいたら、次はどんな仕打ちを受けるか、わかったものではありませんからねっ!


 私は精一杯の不満顔で、先輩を問い詰めます。



「だからあんたは、甘ちゃんだって言うのよ!」



 あれ? 私が問い詰めているはずなのに、逆に怒られてしまいました。はて?



 ――本当に不本意です。



 と言うか、不本意を通り越して、先輩はいったい何を言っているの?



「ミルカ。あんたあのまま、部屋の中であった事を大司教様にご報告しようとしたわよねっ!」



 はいその通りです。だって、大司教様が報告しろって言うのですもの。


 私は涙目のまま、何度も頷きます。



「もし、そんな事してみなさい!」


「あなたもこの部屋に来た時の、リーティア様と大司教様の『龍虎決戦』見たでしょ!」


「ただでさえ、皇子様の事を『取り合って』いる二人なのに、既に部屋の中でリーティア様が『お手付き』になっている事がバレてみなさいっ! 今頃、貴方は大司教様の煉獄地獄ヘルファイヤで真っ黒焦げよっ!」


「まだ『真っ黒焦げ』なら良い方かも……。なんだったら灰も残らない事になっていたのよっ!」



 えぇぇぇっマジですかっ? 私、あのまま正直に話していたら、消し炭になってたんですか!


 うわぁ。それはヤバかったです。本当にヤバかった。


 マジでこの年で、プロピュライアをくぐる所でした。


 あれ、って言うか、いつのまにか、リーティア様、『お手付き』になってたんですね。それはめでたいっ!



「だから私は、あなたをどうしても止める必要があったのよ」


「あなたの為を思ってやった事なの」


「ミルカ。私はいつもあなたの事を考えているのよ」



 そう言うと、先輩は私をそっと抱き寄せて、私の頭と、痛みの残る延髄を撫でてくれました。



「あぁ、でも間違えないで、もちろん一番はリーティア様よ。そこは間違えちゃダメ」


「その上で、私はあなたの事を大切に、大切に思っているの……」



 先輩は天使の様な微笑みで、私に語りかけてくれます。



「うぅぅぅ、先ぱぁぁい! そんな、そんな深い思いがあったとは……」


「このミルカ、まったく気が付きませんでした」


「私の方こそごめんなさい。一瞬でも先輩に殺意を覚えてしまいました」


「もう、絶対そんな事思いません」


「先輩! 命を助けてくれて、本当にありがとうございました。うぅうう……グズッ」



 私は先輩の腕の中で抱かれながら、涙が止まらなくなりました。


 私は本当に、本当に良い先輩を持ちました。


 私は絶対にリーティア様と先輩にご迷惑をお掛けしない様、立派な神官になってみせます。


 私は先輩の胸の中で、涙と鼻水に濡れながら、自分の将来を誓いました。



「ところでミルカ、あなたのせいで、私の衣装も台無しになったの。ちょっと急いで私の部屋まで行って、私の着替えと……えぇぇっと、で良いから下着もいっしょに持ってきて」



「すぐによっ!」


「はい、急いでっ!」



 先輩はまた、いつもの冷たい顔で、私を顎で使います。


 うぅぅん、これって、なんだか腑に落ちませんねぇ。



 ――やっぱり、なんだか不本意です。



 私は、すでにヤバめの顔つきになった先輩から逃げる様に、先輩の部屋に向かって駆け出したのでした。

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