第55話 中長期的戦略の崩壊
「皇子様……」
突然舞い降りた『本能さん』の所為で、思わず怪奇な雄たけびを上げてしまった俺だけど、リーティアはそんな事を全く気にする風も無く、俺にしっかりとその身を預けてくれている。
しかも、恥ずかしげな表情はそのままで、あたかも俺の『変な雄叫び』に返事をする様に、そっと俺の事を「皇子様」と呼んでくれたんだ。
はうはうはうぅぅぅ。リーティア、何て良い娘なんだぁ。最高だよ!
まぁ、『身を預けている』とは言え、俺がリーティアに触れているのはまだ両肩だけなんだけど、その手のひらから伝わるリーティアの体温と、その柔らかさに、俺のテンションはすでにMAXを超えている。
あー、ダメだ。もうこの手は離れません。絶対に無理。
俺、このままリーティアの体温と柔らかさだけを糧に、ずぅぅっと生きて行けるかもしれない……。
恐らく『女の娘』には、
おぉ……『恋のブラックホール理論』の完成だ!
特にリーティアが持つ超高重力場を振り切る為には、莫大なエネルギーが必要となるだろう。
とても、俺単独のブースターだけで第一宇宙速度を叩き出す事は、事実上不可能と考えられるな! 間違いない!
悪いことは言わない。童貞の諸君! 一度で良いから、『女の娘』に触れてみるが良い。きっと俺の言った事を理解してもらえるに違い無い。
まぁ、触れる機会も無いから、今頃『童貞』やってるんだろうけどな。ふふん!
ただ、間違っても、見ず知らずの人にそんな事をしてはダメだぞ! 自分の意志では手が離れなくなっても、国家権力と言う、外部ロケットブースターを強制的に装着されて、豚箱という惑星まで一直線に打ち上げられてしまう事になるからな。気を付けたまえよ。
あぁ、俺、いったい誰目線で話してるんだろう? はははっ。
俺が両方の手のひらで、これでもかと彼女の肩を堪能している時、どこからともなく声が聞こえて来たんだ。
――なぁ、俺。そろそろ次の段階に行っても良いんじゃないのぉ?
だっ、誰だ? 誰なんだお前は!
俺は、俺の中の『俺』に問いかえる。
周りを見渡すと、
――俺だよ、俺。 お前の本能だよぉぉ。
おおぉぉ。 お前が『俺』の本能かぁ。
なぜか、ターザンが着る様なトラ柄のパンツをはき、上半身裸で、右手には『
俺の本能、どんだけ原始的なんだよ!
そんな突込みを入れるよりも先に、まず言いたい事が沢山あるんだ。
もぉぉ、とにかく出てくるの遅いよぉぉ。めっちゃ待ちくたびれちゃったよぉ。
しかも微妙なタイミングで出てくるから、思いっきり変な声上げちゃったじゃん。どうしてくれんのぉ。
きっとリーティアが、『あっ、皇子様変な声出して、キモッ!』とか思ったらどうしてくれんの?
なぁ、おい、何とか言ったらどうなんだよぉ。
俺はさっきの変な『声』の責任を、この本能に押し付けつつ、今までの段取りの悪さに対する不満をぶつけてみる。
――なんだよ、なんだよ。ご挨拶だなぁ。
こっちは二十一年間もの間、お前の心の中で幽閉されてたんだから、表に出てくるまで時間が掛かるっつーの。
大体、お前がもっと甲斐性があって、中学校の時とか、高校の時に『チュウ』の一つも経験してくれてれば、俺だってこんなに出てくるのに手間取ったりなんて、しないんだよ。
思い出してみろよ。あの、高校二年生の夏休みにさぁ、あの、真美ちゃんだっけ? 結構良い感じになったじゃん。あぁ、俺の出番かな? って思って、俺、結構舞台袖で待機してたのにさぁ。ヘタレなお前が、あの時、あんな事言うからさぁ、彼女怒っちゃってさぁ。ほらほら、何で言ったっけ、確か……
まっ! 待て! それは、今言うなっ。それを今言われたら、俺の精神が持たん。って、言うか、その時も
あっ! マジかぁ。お前、そんな事言う? そんな事言うなら、俺、もう帰るぞっ!
おおぅ。 俺の本能、結構上から被せて来るなぁ。
まぁ、しかし、ここで本能と切り離されてしまっては、この後の展開に大きく支障が生じるだろう。
致し方無い。ここは下手に出ておくか……。
いやぁ、本能さん、ようこそお越しくださいました。 いやいやいや。待ってたんですよぉ。
――うぉ! 急に態度変えて来やがったなぁ。さっきの話、どこ行ったんだよ!
えっ? さっきの話? ……冗談っ、冗談ですよぉ。やだなぁ、本能さんは冗談が通じなくって。えへへへ。
初めて会う本能さんとのコミュニケーションを密にする為のスパイスっちゅぅか、なんと言うか、まぁそんなんどうでも良くってぇ。
もう、とんとお見掛けしないもんだから、どこかハワイにでもバカンスに行っておられるのでは無いかと、ヒヤヒヤしましたよぉ。
で、早速ですが、本能さん、この後の展開についてご教示いただけると、非常に助かるんですが……。
俺は、精一杯の作り笑顔を浮かべると、揉み手で本能さんに取り入ろうとする。
――はぁ、お前も現金なヤツだなぁ。急に手のひら返しやがって……。
まぁ、この場は俺が出張ってやらないと、上手く進む話も進まなくなる恐れがあるからなぁ、ふふん!
本能は今まで俺が座っていた、脳内の『議長席』に勝手に腰かけると、郷〇ろみ、ばりに、足を高々と上げた後に、足を組む。
――で? 俺に何が聞きたいの?
本能は俺に向かって問いかけつつ、右手の指を二本立てた状態で、自分の口元に持って行く。
あぁ、本能さん、すみません。 俺、たばこは吸わないんで、ライター用意して無いんですよぉ。
俺は申し訳無さそうに、本能さんに謝罪。
――ふぅ。使えないヤツだなぁ……お前はぁ。
ちなみに、お前がたばこを吸わないって事は、当然俺も吸わないから。当たり前だろぅ?
本能は器用に片方の口角だけを上げて、ニヤリとした笑いを向けて来る。
えーっ、じゃぁなんでそんなマネしたんだよ。お前何がしたかったの? ねぇ。『本能さん』ってバカなの?
あまりの仕打ちに、一回『本能さん』をぶん殴ってやろうかとも思ったけど、やっぱりこの先の展開を考えると、そういう訳にも行くまい。
くっ、ここは我慢のし所だっ!
えっ?……まぁ……。そっそんな事はさておき、この後の展開について、ぜひ早めにお教えいただきたいのですが?
俺は今のくだりをそのままスルーして、本題のリーティア攻略に関する段取りについてもう一度尋ねてみる。
――そうだねぇ。ここからは、しょせん頭でっかちのお前じゃあ段取れないよねぇ。仕方が無いなぁ。それじゃあ教えてやろうかぁ!
本能は、議長席からおもむろに立ち上がると、外の状況が分かる脳内の外部スクリーン前まで移動して、両手を組みながら、スクリーンを見上げる。
脳内最大のスクリーンには、先ほどと同じ様に、桜色に頬を染めたリーティアが某ハズ〇ルーペの拡大率の様に、160%拡大の状態で表示されていた。
――現在、俺はリーティアの両肩を捕まえる事で、彼女の自由を奪っている。
ふんふん。そうだね。
――となると、このあと、どういう体勢にでも、持って行くことができる。
ほうほう、なるほど。
そこで、問題になるのは、次の体勢だが……その前に一つ聞いておきたい。おいっ! 俺。今みたいに両手のひらだけの密着で、お前は本当に満足しているのか?
ぬぬっ。ぬあにおぉ?
いや、確かに現状の両手から伝わって来る情報だけで、俺は十分満足している。
しかし、待てよ、この情報だけで『満足』なのか? と問いかけられると言う事は、これを凌駕する『満足』が得られる可能性が残されていると言う事を指し示しているのでは無いのか?
本能さんは、遠回しに俺に、
流石は本能! 伊達に人類が誕生してから七百万年もの間にDNAに刻まれた情報量は計り知れない。
そうさ、人類の英知が今、俺の中のDNAに蓄積され、『本能さん』と言う姿形をもって、俺に話しかけてくれているんだ。
もう『奇跡』としか言いようが無い。
この本能さん、すこし格好は残念だが、この際は衣装の事には目をつぶろう!
――ふっふっふ。青いお前でも、ようやく気が付いた様だなぁ。
そうさ、両手をいったん彼女の肩から離して、その両手を彼女の背中に回し、そのままぎゅっと抱きしめるんだよ!
はぁぁぁ! 何だと! 『抱き寄せる』を通り越して、『抱きしめる』と言ったぞ!
『抱く』はその強度により三段活用される。『抱く』『抱き寄せる』『抱きしめる』の三つだ!
一般の書物では、『抱く』の一言で、三段活用のすべてを包含しているとの見方をする学者もいる様だが、俺は認めない。
そういう意味では、一部の学者の間では、最初の『抱く』は、狭義の『抱く』であるとも言えるのかもしれない。
しかし、ここは俺の世界だ。俺の流儀に従ってもらおう。
現状、俺はリーティアの両肩を『抱いている』状態だ。そういう意味では、ちょうど第一段階といえるだろう。
おそらく彼女に対する負担や恐怖心を考慮しても、現時点で俺の取りうる最大級の『抱く』であると考えらえる。
しかし、本能は、それを遥かに凌駕し、かつ三段活用の最終形態である『抱きしめる』に移行せよと言っているのだ。
もう、
そんな事をすれば、周りで見ている人たちが騒ぎ出し、あっと言う間に俺は国家権力の手に落ちる。
しかも、彼女がそれを同意するとは、とても考えられない。
今の俺にそんな危険な橋を渡る勇気は無いっ!
いや、本能さん……さすがにそれは、ハードルが高いんじゃ……。
俺が言い淀んでいると、本能さんが俺に向かって究極の一言を投げつける。
――馬鹿だなぁ。何言ってるんだよ。だいたい、この部屋には二人しかいないんだぜ?
しかも、だよ?
両手を彼女の後ろに回さないで、どうやってブラのホックを外すんだよ?
ぬぁ、ぬぁ、ぬぁ、ぬあにいぃぃぃ! ブブブ、ブラのホックだって?!
本能さんは、そんなとてつもない『計画』を持っていたと言うのか?
はうはうはう! 童貞の俺には全く気が付かなかった! さすがは本能さん恐るべし。
いや、本能さんの深慮遠謀こそ恐るべし! もう、孔明を超えてるんじゃないか?!
そんな数十手、数百手先を見越した戦略が、その一言に隠されていたとはぁ!!
俺が、本能さんの『中長期的戦略』の全貌を明かされた事で、本能さんに全幅の信頼を置いていた時……。
「もう、皇子様っ……」
少し痺れを切らした様子で、リーティアは自分の右頬を俺の左胸に押し付ける様に預けて来たでは無いか!
しかも、今まで後ろ手で組まれていた両手は、そっと俺の胸に添えられている!
なっ、何が起こったんだ……。
俺の脳内は、あまりの出来事に言葉を失い、恐ろしいまでの静寂が訪れていた……。
そっそうだ! こんな時の本能さんだ!
俺は脳内の外部モニターから目をそらし、急ぎ本能さんを探した。
そこには、俺と同じ様に驚愕の表情で『なんてこった……』とつぶやきながら、腰を抜かしてへたり込む本能さんの姿がそこにあった。
あぁ、やっぱりコイツも使えねぇ……。
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