第20話 北の女帝(中編)母ちゃんの想い
「佐伯さん、本意ではございませんが、この場をお借りして説明させて頂きます」
俺に残された時間は三分。女帝が三分と言ったら三分だ。
この短い時間内に、なぜこの金が必要なのか、いや必要だったのか? を説明するんだ。
いや……違う。
女帝は利に聡いお方だ。この金は近い将来、必ずSAEKIホールディングスのドル箱に成長するだろう。そうさ、この成長戦略なら絶対に分かってもらえるはずだ。
◆◇◆◇◆◇
元々おれは国内第三位の証券会社に勤めるトレーダだった。
自分で言うのも何だが、かなりの業績を残して、会社の成長にも大きく貢献していたはずだ。
当時、俺が有頂天だったのは否定しない。
しかし、俺はまだ若造だったんだ……。
これが外資系の証券会社であれば、実力で成り上がって行く事も出来ただろう。しかしここは日本だ。
会社内のパワーバランスに翻弄され、結果的には俺の所属する派閥ごとBANだ。
そこで回されたのが個人投資家向けの外商担当。
まぁ、俺は腐ってたな。
なんで
そんな時、この佐伯の『ばぁさん』に出会ったんだ。
俺が確信を持って勧める銘柄には、躊躇なく大金を投資し、俺がビジネス繋がりで紹介する銘柄には見向きもしない。
この『ばぁさん』、俺の心を読んでいるんじゃないか? と本気で疑ったものさ。
そんなある時、俺はこう言われたんだ。
「あんた、残りの人生、ここで燻ったまま、生きて行く気かい?」
「あんたに独り立ちするだけの男気があるってんなら、あたしが金主になってやっても構わないよ」
「女神様には前髪しか無い、って言うからねぇ。……本気でやりたいなら、今この場で決めな」
当時はまだ娘も小さかったし、家族も養って行かなければならない。逡巡が無かったかと言えば嘘になる。
ただ、俺にはやり直すだけの力がある! と言う自負と、この『ばぁさん』に付いて行きたいと言う想い……もう『憧れ』と言ってもいいだろう……が、『ばぁさん』との握手を、強力に後押ししてくれたんだ。
きっと、当時の俺の手は、緊張と感動で震えていたはずだ。
◆◇◆◇◆◇
「……佐伯さん、例えばこう考えて見て下さい。今、このタイミングで余剰資金を投資した場合と、来年投資した場合の比較です。そのROEは……」
俺は、自分の手帳を広げ、向こう五年間の投資計画とリターンに付いての説明を始める。
そう、論理的、かつ冷静に。
◆◇◆◇◆◇
確かに、俺は『ばぁさん』から預かっている投資ファンドの金に手を付けた。
何しろ今期は予定よりも多くの
もちろん、その金を稼ぎ出したのは俺だ……。
佐伯の『ばぁさん』には、計画時点の利率に、多少の色を付けて渡せばいいんだ。
俺はそう考えていた。
こうして、『俺は』、『俺が』稼ぎ出した、『俺の金』を、新たな投資先に投入する事に決めたんだ。
それじゃぁ、どこに投資したのかって?
そう、俺の生まれ育った街は、今年の夏の天災で甚大な被害を受けていた。
元々勘当同然で飛び出してきた街だ。何の未練も無いはずだった。
そんな俺が地元の同窓会に出る気になったのも、単なる気まぐれだったんだろうか……。
いや、心のどこかに、天災にうちひしがれた田舎の街を見下ろす事で、その昔、俺を弾き出した街へ復讐し、溜飲を下げたいとの思いがあったのかも知れない。
しかし、同窓会で古い仲間たちに会うと、その思いはものの見事に氷解したんだ。
とにかく仲間たちは、街の復興に向けて懸命に頑張っていたんだ。
一様に疲れた表情を浮かべてはいたけど、決して希望を失ってはいなかった……。
どうして、こんなひどい状況なのに、みんな笑っていられるんだ?
心底そう思った。
そう、この古い街には、俺がこの街に忘れて行った『他人を想いやる気持ち』が残されていたんだ。
当時は、なんて俺に厳しい街なんだっ! と思ったものさ。
でもそれは俺の間違いだった。
当時の俺は、外界から差し出される支援の手を全て無視して、自分の殻に籠っていただけだったんだ……。俺が余りにも幼かっただけ……なの……かな……。
俺にはわかる。今この町を救うには、とにかく
街には人も想いもある。 ただ、ただ、
しかし、今の俺には
俺はその場で資金の提供を約束し、俺の口座に振り込まれていた余剰金の全額を振り込んだんだ。
◆◇◆◇◆◇
「これにより、SAEKIホールディングスの利益は最大限に確保する事をお約束します!」
俺のプレゼンは完璧だ。間違いなく女帝のツボを突いているっ!
経過時間は2分48秒、まだ12秒を残してプレゼンは終了。
俺は満を持して、女帝の顔を見上げたんだ。
しかし、女帝はどことなく不満……と言うのとは少し違う。なぜか、悲し気な表情をしていた……。
「あんたの言いたい事は、それだけかい?」
女帝は俺と視線を合わせる事無く呟いた。
「いっいえ、もちろん利益だけではありません。慈善事業に投資することで、SAEKIホールディングスのイメージ戦略にも大きな貢献が期待できます。例えば、その経済効果は……」
――おいっ! 俺。お前が言いたいのはそんな事なのかっ?!
どこからともなく自分の中の『俺』が囁きかけて来る。
「更にですよ。今回の投資事業を、各マスメディアにリークした場合の効果としては……」
――おい、おいっ! 俺っ、聞けよっ! お前、本当にそんな事が言いたかったのか?!
うるせぇ! 俺っ! 女帝は『金』が大好きなんだ。『金』で『金』を買う様な人なんだよっ! 絶対このプレゼンは間違ってないっ! 俺は絶対に間違えてない!
「……もういいよ」
女帝がぼそりと、もう一度呟く。
「あたしも見くびられたもんだねぇ。年は取りたく無いもんだよ。ねぇダニー」
女帝の呟きで説明を遮られた俺は、半ば呆然とした表情で女帝を見つめる。
なぜだかわからない。
心の奥底から、口惜しさと申し訳無い気持ちが沸き起こり、知らず知らずの内に俺の目から涙がこぼれ落ちた……。
そんな俺の様子を見ながら、諭す様に女帝が口を開く。
「折角だから、良いことを教えてやるよ」
「お前が
「
「……」
「
少し女帝は微笑みながら話を続ける。
「
「自分の子供が悪い事に使うなんて、これっぽっちも思わない」
「他人に迷惑を掛けない、良い子になって欲しいって願っているものなのさぁ……」
そこで一旦話を区切り、ダニーの入れた冷酒を一息に空ける。
「それじゃぁ。盗んだことがばれた時。子供はどうすれば良いかねぇ」
俺は茫然としたまま、首を左右に振る。
「本当にバカな子だねぇ。こう言うんだよ……」
「
「……もう、それで十分さね」
女帝はさらに注いでもらった冷酒を、美味そうに飲み干した。
「さっ佐伯さん……。いやっ、マム……。 ごっごめんな……さい。もう……しません」
俺の言葉を聞いた女帝は、嬉しそうに俺に笑い掛けてくれる。
「最初からこう言ってくれりゃあ、十秒で済んだのにねぇ。ウチの子は本当にバカだねぇ」
「それから、ダニー。例のものを取っておくれ」
後ろからダニーさんが、一枚の紙を女帝に手渡す。
「とりあえず三億。ちなみに私の個人的な金で、きれいな金さね」
俺の目の前には小切手が……。
「ファンドの金を流用したとなっちゃ、会社の中でもあんたの立場が悪くなるだろうからねぇ」
「でも、もうあの金は……」
そこまで話した所でダニーさんが口を挟む。
「大谷さんが振り込まれた余剰金は、既に振り込み先誤りで、キャンセルさせて頂きました」
「その代わり、マムの個人口座から同額を入金済みです」
「また、そちらの小切手は、元々大谷さんへの特別報酬としてご用意したものです」
「もちろん、先に入金した分、振り込みキャンセル分、税金などは、既に天引きされております」
「そのため、小切手上の記載額は、一億二千……」
「もういいよ、ダニー」
面倒臭そうに、ダニーさんの話の腰を折る女帝。
「まぁ、そう言う事だから」
そう言いながら、女帝は涙と鼻水でぐずぐずになった俺の顔を笑いながら、こんな俺に、そっと冷酒を注いでくれたんだ。
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