第19話 北の女帝(前編)大谷マリアナ海溝へ

「よぉ、大谷ぃ。久しぶりだなぁ」



 夜の東京、赤坂。 高級料亭が立ち並ぶその一角。


 この界隈でも一、二位を争う、高級料亭「赤坂よしの」



 この店の特徴は、一見古式ゆかしい和風の店構えに見えるものの、その実、地下には大規模な駐車場が完備されており、お忍びでの利用がどうしても多くなる政治家や企業トップから重宝されている点だ。


 本来は俺も社用車を使って、地下の駐車場から入って行けば良いのだけれど、今回は急な呼び出しでそんな体裁を整えている暇もなく、自宅からタクシーで乗り付けた次第だ。



 ……ちっ。つまらんやつに声を掛けられたな。



 ヤツは確か、2年前に「新生日本銀行東京」本社の戦略企画部長に就任していたはずだ。


 同期の中でもかなりの出世頭になるだろう。利に聡く、他人だけじゃなく、身内にまで徹底して厳しい。どちらかと言えば俺の一番嫌いなタイプだ。



「あぁ、樫村か。久しぶりだな。同窓会以来だな」


「それより、大銀行の戦略企画室長様がこんな所で何の相談だよ」


「また、どこかの代議士連中とつるんでるのか?」



 俺は軽い作り笑いをしながらも、多少の刺をもって会話を続ける。



「おいおい、久しぶりに会ったってのに、そんな挨拶は無いだろう?」


「まぁ、そんな事より、最近はだいぶ羽振りが良いって話じゃないか?」


「俺なんて、しがないサラリーマンだからなぁ。こんな所に来るのも一苦労だぁ」



 学生時代と全く変わらない締まりの無い顔で勝手な事をほざく樫村。



 コイツ、いったい俺の何を知っているのかしらんが、そのニヤニヤした顔は止めろっ!



「いや、俺の商売なんて水泡バブルの様なもんさ。何の安定性も無いその日暮らしだよ」


「それじゃ、ちょっと用事があるんで。またな。メールするから」



 早く会話を切り上げたかった俺は、社交辞令で逃げ切る作戦だ。


 大体、こいつのメールアドレスなんて知らんし、知りたくもない。



「つれないねぇ……」


「まぁ、何の用事でここに来たのかは、おおよそ察しは付いてるけどなぁ……」



 含みを持たせた言い回しに、思わず俺は足を止めた。


 樫村はそんな俺の反応を楽しむ様に、更にニヤニヤの入った顔で俺の方に近づいて来る。



「なぁ、大谷。 今日の目的、当ててやろうかぁ?」



 わざわざ、俺の耳元でささやく様に話し掛けて来やがる。


 自分が知っている情報を元に、常に相手のマウントポジションを取ろうと言うこいつの戦略が見え見えだ。



「何の事だよ。気味が悪いな。ははっ」



 こいつへの嫌悪感よりも、いったいこいつが何の情報を握っているのか?の好奇心が勝った事で、図らずもこいつとの会話を続けてしまう羽目に。



「ずばり言ってやろうか? ……お前の金主」


「あの『北の女帝』なんだろぉ」



 ……なぜコイツがそれを知っている!



 もちろん、俺だってこの業界で長くやって来た経験がある。そんなブラフに動揺するほど甘ちゃんでは無い。



「ふっ、何の事だかなぁ。たまたま、クライアントに呼ばれただけだよ」



 俺は表情一つ変えず、流れる様に返答する。


 俺の反応が思いの他弱かった事で、少し鼻白んだ様子の樫村。



「ふ~ん」


「ま、何にせよ、今日この店には『北の女帝』が来ているって事だ」


「しかも、そこに血相を変えて、最近では『ファンド界の寵児』と呼ばれているお前が入って来た」


「まぁ、何んにも関係が無いなんて思うヤツぁ……いないわなぁ」



 樫村は自分の顎を撫でながら、更にニヤニヤ度合いを強める。



「まぁ、せいぜい週刊誌連中には気を付けるんだな。痛く無い腹探られるぞぉ」



 樫村はそのまま手を振りながら出口の方へ歩き出すと、急にその歩を止めて振り向きざまに言葉を投げかけて来る。



「あぁ、そうそう。それから、今日はダニーちゃんもいるから気を付けな。」



「あぁ、分かった。気を付けるよ。ありがとな、じゃーな」



 俺は急ぎ足で表玄関にしつらえてある大きな暖簾を潜り抜け、店の中に入って行った。



 ◆◇◆◇◆◇



 取り残された樫村は、ぶつぶつと独り言を吐く。



 なんだよ。ダニーちゃん知ってるって事は、やっぱり『北の女帝』がらみじゃねーかぁ。


 さて、つぶされる方か、担がれる方か……。まぁどちらにせよあいつも大変だなぁ。


 でも、担がれる方なら、俺が出馬する時の為に、あいつとパイプを繋いでおいても……損は無いわなぁ……。ふぅぅむ)



「おいっ! 高田ぁ」



 樫村は思案の海から急浮上すると、振り返りざまに、これまで影の様に自分の後ろに張り付いていた男へと声を掛けた。



「いまから本店に戻って、アイツの金の流れを調べておけ」



 高田は俺が引き上げてやった俺の手駒の中で、もっとも優秀な社員だ。こいつの情報収集能力は本店の中でもピカ一だろう。



 まぁ、それでも、こいつはダニーちゃんには、及ばないんだよなぁ。


 ダニーちゃん俺の所の秘書になってくんねーかなぁ。


 まっ、嫁でも構わんわなぁ。……でもその場合は、今の嫁に、いったい幾ら慰謝料請求されるか分かったもんじゃ無ぇな。……止めとこ。



 無謀な願望を持つ事は、自分の今の地位を危うくする。と言う事を十分理解はしてはいる。


 しかし、それを理解してなお、自分の本来の能力が、今の地位で満足できるものでは無い事も事実だ。


 もっと自分を信じて、次のステージに挑戦しようと思う。その程度の野心は人生のスパイスとしては必要不可欠だろう。



 もちろん、細心の注意を払って……。


 樫村は今後の戦略について、再度思案の海に潜る。深く。深く……。



 ◇◆◇◆◇◆



「遅くなりました。大谷入ります」



 襖の前で正座をし、一旦大きく深呼吸した後に、襖の向こうへ声を掛ける。



「お入りください」



 セクシーと言うには、あまりにも透明感のある声が聞こえて来る。


 俺は自分から襖ににじりより、自らの手で襖を開けようとするが、それを一歩先んじて、襖が静かに開いて行く。



「遅かったねぇ。大谷おまえが遅刻たぁ珍しいじゃないか? 五分ほど遅れたねぇ」



 既に年齢は八十歳近くと聞いているが、全くそんな様子は見受けられない。


 黙って座っていれば、四十台後半ぐらいでも通る様な美貌だ。



 ……今時で言う、『美魔女』と言うヤツか……。



 しかし、彼女は違う。


 単純な若作りと言う訳では無く、その肌つや一つとっても全く年齢を感じさせないのだ。


 髪はシルバーの少し長めのボブスタイル。しかも眼光するどく、相手の裏の思惑を看破する、なんらかの魔術でも使っているかの様な視線を感じる。


 身に着けている物も全て一流品。海外セレブのファッション誌からそのまま抜け出して来た様な着こなしをしている。



 まぁ、身に着けているものだけじゃなく、周りの人間も全て一流品だがな。



 先ほど、音も無く襖を開けてくれた女性。 通称ダニーと呼ばれるこの女性は、『北の女帝』と呼ばれる彼女の懐刀だ。



 その切れ味たるや、背筋が凍る。



「マム。恐れながら。正確には五分三十二秒の遅刻です。概算表現であれば六分の遅刻とする方がベターでしょう」



 横合いからダニーと呼ばれる女性が声を掛ける。



「あぁ、そうかい。ありがとう。ダニー」



 笑顔でダニーの指摘を受け入れる女帝。



「イエス。マム」



 ダニーと呼ばれた女性は真顔で返事をすると、そのまま女帝の少し後ろに控えた。


 このダニーが着ている服装も、ビジネス用途と思われるが、恐らくオートクチュールの一点物だ。


 しかも体にぴったりとフィットしたタイトスカートを履いているにも関わらず、惚れ惚れする様な正座をしている。



 完全に欧米系の容姿なんだが、ちゃんと正座できるんだなぁ。いやいや、今はそれどころじゃない。



 余計な雑念を振り払う様に、まずは謝罪の言葉を述べる。



「大変申し訳ございません。少々私用があり、遅れてしまいました。何卒ご容赦願います」



 余計な言い訳で取り繕うのは愚の骨頂だ。まずは素直に謝る事が先決だ。



「そうかい。こっちこそ悪かったねぇ。急に呼び出したりして」



 女帝は優しい笑顔を見せながら、逆に俺に謝る態度を示す。しかし、女帝の優しさはここまでだった。急にその顔にはビジネスの仮面が装着される。



「まぁ、時間も無い事だし、単刀直入に聞こうか」


「あんた、アタシの金で何をしようと企んでいるんだい? 事と次第によっちゃあ、このままマリアナ海溝に沈んでもらう事になるよ」


「言いたい事があるなら聞いてあげるよ」


「ただ、あんた遅刻して来ただろぅ。本当は十分やろうと思っていたけど、遅刻の六分差し引いて三分で説明してみな。」



 おいおいおい、十分引く六分は、四分だろう!?



などと言う突っ込みが言えるはずもなく、俺の背中には滝の様な汗が流れ始める。


あまりの緊張感に多少過呼吸気味になりつつも、俺の全人生を掛けた三分がスタートした。

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