第16話 ねこのみーちゃん(後編)

「……」


 極度の緊張感の中に、静寂の時間が流れる。


 ……白い悪ヤツ魔は動かない……。


 お互いに視線を外すこと無く睨み合い、脳内ではいかにして相手のカウンターを封じるべきかについてのシミュレーションが幾千幾万回と繰り返されて行く。



 恐らく、白い悪魔の武器は、あの体から迸っている“稲妻の様な光”ね。そうに違い無いわ。


 確か昔パパから、北方大陸の西の方では、日常的に多くの魔法が使われていると言う話を聞いた事があるもの。


 実際に魔法を見るのは始めてだけど、ちょっと恐い女神様やご主人様が私の病気や怪我を治してくれた様に、女神様やハイエルフ様は本当に魔法が使える様ね。



 ただ、この白い悪魔の体から放出されてる“稲妻の様な光”が、場合によっては私の方へと、そのまま放たれる可能性も考えておくべきだわ。



 ……そうなると、かなり厄介ね……。



 あの光の速度がどの程度のものなのか、……私には想像する事も出来ない。


 本当の稲妻と同じ速さで私にその力が殺到するのなら、私はそれを回避する事は無理。さすがの私も稲妻の速度を凌駕する事は出来ないわ。


 その力が開放された瞬間、私は消し炭の様に消え去る事になるわね。



 だけど、白い悪魔は私を睨んだままピクリとも動かない。



 いいえ、そうじゃないわ。


 動かないのでは無くて、動けないのよ。



 確かにあの稲妻を私に向かって解き放つ事が出来るのかも知れない。だけど私の体の多くは白い悪魔が大切にしている皇子様に隠れていて直接狙う事は至難の業よ。


 白い悪ヤツ魔にとって大切な皇子様にまで、尋常では無い被害を及ぼす可能性が否定できないはず……。


 とすれば、白い悪魔は接近戦、とりわけ私を皇子様から引き剥がした上で、あの魔法を放つと言う戦術を選択するに違いないわ。



 私の取るべき方法はただ一つ。



 まずは、白い悪ヤツ魔との睨み会いを続けながら、皇子様を盾にして当面の身の安全を確保。


 その後、業を煮やした白い悪ヤツ魔が、私に掴みかかろうと動いて来た所で、そのタイミングにあわせ最大限のスピードで後方に飛び退るのよ。


 恐らく白い悪ヤツ魔は私のスピードに付いて行けず、まるで視界から私が忽然と姿を消した様に見えるはずよ。


 そして、私の後方には、確か、この客間の中で一番大きな柱があったはず。


 後方に飛び退りながら、空中で体勢を整えつつも半ひねりをくわえる。そう、私ならその程度の芸当は容易い事よ。


 そのまま、太い柱に足の方から着柱。その勢いを両足の筋肉で吸収しつつ、バネの様に反動を蓄えた上で、再度ジャンプするのよ。


 そうすれば、私は皇子様の褥に殺到する白い悪ヤツ魔の頭上を飛び越えて、この部屋の出口まで一気に飛び出す事が出来るはずよ。


 一旦部屋を飛び出してしまいさえすれば、そのまま外へ逃げる事も、ご主人様に助けを求める事も出来るはずだわ。


 そう、この戦いは、私が白い悪魔の最初の一撃をかわす事さえ出来れば、勝利は私のものと言うことよ。



 ……よし、作戦は決まった。



 白い悪魔はいまだに私と目を合わせたまま、全く動こうと言う気配は見受けられない。


 その間に、私は自身で考えた戦闘計画を頭の中で反芻することで、その緊張感を徐々に高めて行く。


 私の脳から放出されたアドレナリンは、緊張感から早くなった鼓動により、急速に全身の筋肉へと運ばれ行く。


 血管が拡張され、全身の筋肉へ大量の血液とともに、それにも勝る大量のアドレナリンがこれでもかと過剰供給される。


 極度に大量供給された血液とアドレナリンにより膨張を続ける筋肉が悲鳴を上げ始めた頃、私は自身の全てを制御する脳内のリミッターを静かに外したわ。



 戦闘態勢が整った。準備完了。 ……その時。



「うーん、むにゃむにゃ」



 私の胸でぐっすり眠っていた皇子様が、突然寝言を言いながら、首を振るように私の胸で頬ずりをしたの。



「ぅにゃ~ん」



あぁん、皇子様ったら突然だから、変な声出ちゃったじゃない! もうっ!



「……ぶちっ!」



 ……そう、本当に聞こえた。


 それは恐らく白い悪魔の“堪忍袋の緒”が切れる音だったのね。



 その音を契機に、白い悪魔が床すれすれの低い姿勢のままで、私の方へ殺到して来るのが見えたわ。



マズイ、初動が少し遅れた。もうっ! 皇子様の頬ずりのせいなんだからねっ!



 とは言っても廊下から褥まではゆうに2.5mは離れてる。


 決して長い距離では無いけれど、私が反応するには十分な距離だわ。



「いけっ!」



 計画通り、2本の腕と両足に渾身の力を込めて後ろへ飛び退る。


 そのあまりにも急激な運動とG(重力加速度)により、脳内の血液が一気に体の方へ逆流。


 軽いブラックアウト現象の発生にともない、両目の視力が一時的に奪われるものの、唇を噛んで「ぐっ」と堪える。



「……くっ!」



 私の超絶した平衡感覚と空間認識能力があれば、多少の視覚阻害があったとしても何とか持ちこたえられるはずよ。


 更に体を少し折りたたみつつ、ひねりを加え、後ろの大きな柱に足の方から着柱。


 後でちょっと叱られるかもしれないけれど、柱にはしっかり爪を立て、体重を乗せてジャンプの体勢に推移する。



よし、第一撃をかわした! これで私の勝利は確定よっ!



 体は次の大ジャンプに向けて、背後に飛び退った時の運動エネルギーを、両足の太腿前部大腿四頭筋へ最大限に溜め込み始める。


 勝利を確信した私は、薄く笑みを浮かべながら、ようやく戻りつつある視力によって白い悪魔の位置を探ったわ。



「……んんっ、いない?!」



 本来、私が寝ていたはずの場所には白い悪魔が殺到しつつも、突然私が消えたことに驚いて、呆然としているはずだった。しかし、そこには誰もいない。



いやっ、いない訳じゃ無い!



 なんと、いままで私が寝ていた場所、そう皇子様の両手の中には、この客間に飾られていたはずの“木彫りの熊”が、しっかりと充て込まれていたのよ。


 その“木彫りの熊”は、荒削りながらも口には大きな魚を咥えた堂々たるもので、恐らく北方大陸の更に北の方に生息すると言う、ジャイアントグリズリーに違いないわ。


 しかも、そのなめらかな仕上がりは、確実に有名な彫刻家の作品。



 更に恐るべき事に、皇子様がそのまま“木彫りの熊”を抱くことで、熊の冷たさを感じてしまうのを恐れたのか、皇子様の手の触れる部分は、きっちりとバスタオルでくるまれていると言う念の入れ様。



いったいいつの間に、こんな事を……。



 いや、もう考えている暇は無いわ。両足に蓄積されたエネルギーは既に暴発寸前。


 このエネルギーを一気に開放して、扉の向こう側までジャンプするのよ! そう、もう後戻りは出来ない!



「ぐっ!」



 私は両足に溜め込んだ力を、一気に背後の太い柱にぶつけたわ。


 私の両足の筋肉が断末魔の様な悲鳴を上げるとともに、太い柱の方も「グシッ!」と鈍い音を発して私の叩き込んだ力を受け止めてくれる。



逃げろ、逃げるんだっ! まずは扉の向こうまで!



 私は人生で最大の跳躍を試みる。



 耳に残るすざましいまでの風切り音。 


 あまりのスピードに目を開けているのも辛い。


 総毛立つ体の毛、一本いっぽんが風圧で後ろに流されて行くのが分かる。



 扉まであと2メートル……1メートル。


……あぁ、逃げ切った。私は勝ったんだっ!



「みゃーーーー!」



 私は勝利を確信し、雄たけびを上げた!



「んっがっんん」



 雄叫びを上げたと思ったのは、私の脳内だけだったわ。


 脳が指令を出し、実際に声帯が震え、声を出そうとした次の瞬間っ! “ギシッ”と言う音が聞こえたかと思うと、背後から何者かにチョークスリーパーホールドを完キメされたの。


 高速で飛翔する私を、それも背後からチョークスリーパーホールドの状態に持って行くとはっ!


 私は薄れ行く意識の中、驚きの表情で私を見つめるご主人様に向かってこう告げたわ。



「ごっ、ご主人様っ、お役に立てなくて……ごめんなさ……ぐぇっ」



 もちろん、その言葉はご主人様に届く事は無かったのよ……。

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