第44話 君がくれたもの ☆Side東亮太/高橋鈴加
告白後――
高橋さんからの連絡待ちだった僕は、落ち着かない気持ちで何度も携帯を確認していた。ついに『会いたい』と連絡があった時は、返事を待ち遠しく感じていた反面、情けないことに不安で胸が騒いだ。
想いを告げた瞬間、彼女は真っ赤になって狼狽えていた。が、これまでの付き合いから推察する限り、迷惑がっているとは思えなかったので、つい、感情が昂ぶるまま抱き寄せた。そして反射的に僕を突き放した彼女が――なぜか自分自身の行動にひどくショックを受けたようで、その理由が分からず心が靄がかって晴れない。『考える時間が欲しい』と頼んだ彼女の表情は苦しげで、風向きは良くなさそうだ。
結局、いつも通り大学で待ち合わせることになり、当日、早めに家を出た。逸る気持ちを抑えたつもりだったが、それでも待ち合わせ時間よりかなり前に到着してしまったことに内心苦笑する。
『東くん!』
僕を校内で見つける度、はにかんだ笑顔で手を振ってくる高橋さん。頬を染めて駆け寄る彼女のことが愛しくてたまらない。いつのまにかすくすく育った想いは、もはや胸の中に収まりきらないほど膨らんでいた。
(頼む、間に合ってくれ……)
祈るような気持ちで空を見上げ、壁に寄りかかって小さく息を零す。自惚れでなければ、少なからず彼女は自分に好意を抱いてくれている。それともたった数日の間に事情が変わるほど大きな事態が起きたのだろうか。
(いずれにしても、受け入れるしかない)
弱気になりそうな自分を叱責し、頭を振った。
大学はたくさんの学生で溢れかえっていて、正門前は特に混雑していた。人間観察をしているうちにあっという間に待ち合わせの時間になり、高橋さんを見落とさないよう視線を凝らした。だけどすぐにそんなことは無意味だと自覚する。
(ああ、いた……)
雑踏の中でくっきりと浮かび上がって見える彼女の姿に、どれほど自分が彼女に焦がれているのか思い知る。ほぼ同時に僕を見つけたらしい彼女が、慌てて走って来る。こちらに辿り着くまでの間、人にぶつかって謝ったり、危うくこけそうになったりして肝が冷えたが、その度にオロオロする様子が可愛くて、不謹慎ながら笑みが零れた。
「ごっごめんね遅くなって!! だいぶ待った?」
はぁはぁと軽く息を切らし、見上げる鈴加にトクンと心臓が跳ねる。
「いや、さっき来たところだよ。それより、走ってきたから暑いだろう? 何か飲むといい」
「ありがとう。走ったらさすがに喉渇いちゃった」
乱れた髪を手櫛で整えながら、自然と隣に並んだ。出会った頃は2、3人分距離を空けて後ろをついてきていたことが懐かしくて頰が緩む。俯き、ボソボソと自信がなさそうに話していた鈴加が――堂々と肩を並べて歩いてくれることがとても嬉しかった。会話の最中に視線を合わせてくれるようになったことも、好ましい変化だ。
「このあたりでいいか」
「うん、ゆっくり話せそう」
足を運んだのは旧校舎付近の飲食スペース――オープンエアで簡易なテーブルと椅子が設置された場所――は奥まった位置のせいか、ほとんど人がいなかった。ここなら静かに、落ち着いて話ができるだろうと予め目をつけていた東は、先に鈴加を座らせて側にある自販機でお茶を購入した。ガチャン、と音を立てて転がり落ちたペットボトルを鈴加に掲げて見せる。
「緑茶でよかった?」
「え! 私の分? それなら今お金を、」
「いいよこれくらい。僕もバイトしてるから、気にしないで受け取ってもらえると嬉しい」
東が軽やかに微笑んだので、鈴加は遠慮がちに「ありがとう」とペットボトルを受け取った。受け渡しの際に触れた指先に、ビクリと鈴加の体が反応する。東はゆっくり手を引き、鈴加を驚かせないよう気を配った。
「あの……ね、この間の返事をする前に、話しておきたいことがあるんだ。聞いてもらえるかな?」
「うん、もちろんだよ」
鈴加の向かいに着席すると、鈴加は勇気を奮い立たせるように深呼吸し、背筋を伸ばし東を見つめた。
「私ね、小学生の時に初恋の人に振られて以来、誰にも恋ができなかったの。もちろん振られたのがショックだったからっていうのもあるけど、元々すごく鈍くさくて、すぐいじめっこに目をつけられちゃう自分に自信が持てなかったんだ。恋人以前に友達もろくにいなかった。だんだん外に出るのが嫌になって、学校とか最低限の用事がある時以外は家に引きこもってゲームしてた。そしたら『こんなお姉ちゃんは恥ずかしいから嫌だ!』って弟にまで嫌われて、さらに『自分には価値がないんだ』って思い込んで余計に内向的な性格になっちゃったんだよね。でも……」
鈴加は瞼を閉じて、以前東に告げた言葉を思い出す。
「東くんがあたしを『変わったね』って褒めてくれた時、『変わるきっかけをくれた人がいる』って話したこと、東くんは覚えてないかもしれないけど、その人がね……あたしの初恋の人で、幼馴染なの」
「再会したのか?」
「うん。半年くらい前にね、千晴が同窓会で彼と会って、それをきっかけにあたしとも繋がりを持つようになったんだ。それからわりとすぐに彼の知り合いのスタイリストさんにお願いして外見をプロデュースしてもらったり、就活対策のために色々指導してもらったりしてた」
「振った割にはずいぶんなお人好しだな」
「あたしも初めは警戒してたよ。目的が分からなくて身構えてた。彼、すごく口が悪くてね、事あるごとに意地悪されて、やっぱり嫌われるんだって思ってたの。だけど……」
鈴加の知らないところで弓弦が動いてくれていたこと――それに関して順を追って、要点をかいつまんで説明すると、静かに耳を傾けていた東は最後に、合点がいったように頷いた。
「図書館事件を収めた人物はその人だったのか。なるほど西岡さんが言っていた『信頼できる人物』というのは君の幼馴染だったんだな」
『さっき、事件は解決したと言ったな。情報源……提供者は信頼できる人物なのか?』
『信頼できる人よ。鈴加の親友として保障するわ』
厳しい顔つきで答えた千晴を思い出し、東はふっと浮かんだ疑問を口にした。
「君を大切に思うならなぜ彼は黙っていたんだ? 事件のことにしても、君の信頼できる人物だとあの時点で分かっていればあれほど僕らは気を揉む必要なかったじゃないか」
「それは……」
弓弦の活躍を知れば当然、恩義を感じるだろう鈴加が、弓弦に心を傾けないためという千晴の思惑が第一の理由だが――おそらく弓弦自身、期限付きでしか日本にいられないことを踏まえ――初めから鈴加の元を去るつもりでプロジェクトNに加担していただろうと想像がつく。
『あんたへの被害を最小限に留める、あんたが気兼ねなく幸せに大学生活を送ること、それ以上に優先することなんてない』
千晴から聞いた弓弦の想いをそのまま口にするのは躊躇われ、告げることができなかった。だけどここで曖昧な態度を取れば、東は納得できないだろう。自分が蒔いた種が原因で東に迷惑をかけた以上、その責任を取るべきだと鈴加は自分に言い聞かせた。そして、身を切る思いで――目の前にいる大切な人を傷付けてしまう――できれば永遠に先延ばしにしたい一言を、告げた。
「ごめんなさい。……あたし、東くんの気持ちには答えられない」
――おそらく出逢った瞬間、東に恋をした。枯れ果てた心に潤いを与えてくれた、もう一度人を好きになる気持ちを教えてくれたのは、他でもない、東だ。
『その手を離せ』
今も鮮明に焼き付いた、凛とした声音。電車で痴漢に遭った鈴加を颯爽と助けに現れた姿は、本物の王子様みたいだった。それまで男性に疎ましがられていた鈴加は、突然現れた東というヒーローに戸惑いながら、彼の人柄に触れ、少しずつ心を開いていった。
「東くんはいつもあたしを助けてくれたよね。痴漢から助けてくれたお礼を言いたくて声をかけた時、彩葉さんが割り込んできたから「あぁもう絶対ダメだ」ってあたし諦めちゃったんだ。だけど東くんはまっすぐにわたしだけを見て――手を引いて、講義室から連れ出してくれた」
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