第43話 想いは根雪のように
「ええ――――!!?」
「想像通りのリアクションね……。まぁ聞いて。シナリオはこうよ」
プロジェクトN――N様という鈴加の理想を凝縮させた架空のアイドルを仕立て上げ、彼を『飴』として鈴加が成長するために必要な『鞭』を振るう。弓弦の鬼コーチぶりが凄まじかったのは、N様との対比を際立たせることでN様への信頼を培い、必要以上に弓弦へ心が傾くことを阻止するため。
千晴の話を聞きながら、信じられないと目を丸くして口元を手で覆った。
「じゃあ、N様は最初から存在しない人だったってこと!? それなら一体誰がN様の役をしてくれてたの?」
話が核心に近付き、千晴はついに――一生明かすことがないと思っていた真実を口にした。
「N様は鈴加がよく知っている人よ」
そう告げて、千晴は腰を上げる。クローゼットの奥にしまった段ボール箱、その底を漁り、一冊の本を引き抜く。
「これを見れば分かるわ」
目前に差し出された本には、『ときめき☆初彼コレクション ~幻のドラマCD~ 君と紡ぐセレナーデ』とタイトルが書かれている。
「あっ! これご褒美として渡されたCDのタイトルだ! まさかファンブックじゃないよね? それにしては厚すぎるし……」
好奇心のままパラパラとページを捲り、すぐにそれが声優の台本であることに気付いた。台詞やシチュエーションがファンディスクの中身そのままだったからだ。これはものすごいお宝なんじゃ、と鈴加は鋭く息を呑んだ。
「すごいよ千晴! どうしてこんなの持ってるの? 懸賞か何か? それとも――」
不意に台本を捲る手を止め、鈴加は目を疑った。書き込みがある。それも1つや2つじゃない。かなり演技にこだわって、研究した跡だ。そしてその文字に――鈴加は見覚えがあった。
「何……これ……?」
過労で倒れそうになった弓弦。仕事をしながら、鈴加の就活対策だけでなく、水面下では採用の根回しまでしていた。たくさんの会社に自分の足で訪れ、頭を下げて回った。その上――鈴加の心の支えとなり、励まし続けたN様――その正体に思い当たって、ぶわっと視界が滲む。
「何やってるのよぉー……!」
涙が溢れ滴って、文字が滲んだ。くしゃくしゃになった顔を台本に押しつけ、鈴加は子供のように声をあげて泣いた。
――君がさっきくれた『脇役でも主役になれる』って言葉、まさに僕が込めていたメッセージなんだ。
『はじめから……』
『……?』
『自分次第で未来を変えられるって、僕は君に証明したかっただけかもしれないな』
N様が――弓弦が伝えたかったメッセージがいま、痛いほど胸を突き刺す。
『どこかで誰かがお前のために動いたとして、それはそいつの意志だ。勝手にやってることなんだし、気負う必要はない。むしろせいぜいこき使ってやればいい』
『僕は遠くから応援することしかできないけれど、君が共にありたいと望む大切な人と幸せになれることを願っています』
ああ、そうだ――どうして気付かなかったんだろう? 口調を、声色を、人柄を変えてみせても、結局根っこの部分は変わらない。その証拠に、さよならと告げたNの声音は、またなと笑った弓弦のそれと変わらず愛しげで、ひどく胸を掻き乱した。
「空港にいるN様から電話があったの。あれは弓弦くんだったんだね……」
ぐす、と鼻をすする鈴加の背を撫でながら千晴は目を丸くした。
「日本を発つ前に連絡があったの? それは指示してない」
「そうなの? 最後に聞きたいことがあるって言ってたよ。すごく驚いたけど、あたし嬉しかった」
N様――ずっと憧れていた手の届かない存在を、身近に感じることができた唯一の瞬間だった。
「でも、なんで弓弦くんはわざわざN様のふりしてかけてきたのかなぁ?」
「『弓弦』としては聞きにくいことだったんじゃないの?」
「あ……」
なるほど、と合点がいく。
「あたしは今、幸せかどうか聞かれた」
「……それで、あんたはなんて答えたの?」
「もちろん、幸せだって答えたよ」
目を真っ赤に充血させて、鼻声で、それでも笑顔を浮かべる鈴加に、千晴の胸がひどく痛んだ。
「ごめん。ごめんね。謝って許されることじゃないけど、私のせいで……」
「どうして謝るの? 千晴は悪くないよ。だって全部あたしのためを思ってやってくれたんでしょ? わざと悪役を買うのだって勇気がいったはずだよ。それより、千晴が悩んでたこと、すぐに気付いてあげられなくてごめんね」
「……! 鈴加」
千晴が言葉に詰まったので、鈴加は親友の華奢な体をそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ。まだ間に合う。あたし、今度は簡単に諦めないから」
友達じゃないと――たった一度背を向けられたくらいでその言葉を鵜呑みにし、離れることを選んだ過去の自分。確かにショックは大きかった。だけど冷静になってみれば、他に道はいくらでもあったんじゃないかと悔しくなる。卑屈で、自分に自信が持てないからこそ、素直になれなかった。もしもあの時「待って」と本心を打ち明けていれば、これほど複雑に思惑が絡み合うことはなかっただろう。ただ、そう思えるようになったのはごく最近で、少しは成長できた証拠かもしれない。
「それからもう1つ、言っておくことがあるわ」
「うん?」
「図書館での一件、収めてくれたのは弓弦よ」
「え……っ」
「掲示板の書き込みを頼りに犯人を割り出したみたい。その後どう落とし前をつけたかまでは教えてもらえなかったけど、あれ以来、アゲハ蝶からの攻撃はやんだんだよね?」
「う、うん。そういえばあれから一度も彩葉さんに絡まれてないよ」
あれほど振り回されて困っていたのに、今は嘘みたいに平和だ。彩葉の存在をすっかり忘れてしまうくらいに。
「じゃあ、警察に行くのやめようって千晴が言ったのは……」
「弓弦が裏で手を回してくれたから。でもそれだけじゃない。事件が表沙汰になればあんたが辛い思いをするし、就活の大事な時期に万一情報が外に漏れないとも限らないって止められたの」
思い出せば苛立たしさがこみ上げ、千晴は顔をしかめた。弓弦に指図されるのだけは我慢ならない。それでも従ったのは、どんな難題でも嫌みなほど淡々とこなしてきた弓弦が、事件の報せに柄にもなく取り乱し――どんな手を使っても必ず助け出すと宣言したから。
「『たとえ犯人が誰であったとしても関係ない。顔も名前も知らない人間が複数狙われているかもしれない、そんな不確かな情報のために振り回されてたまるか』って怒られたわ。あんたへの被害を最小限に留める、あんたが気兼ねなく幸せに大学生活を送ること、それ以上に優先することなんてないってね」
開き直り過ぎて呆れたわ、とため息を零し、千晴は鈴加の両肩に手を置いた。
「あいつのやり方は乱暴で、けして褒められたもんじゃない。けど、あんたを大事に思う気持ちだけは本物だと思うから……。だから、鈴加がもしあいつを追いかけたいっていうなら止めない。周りに気を遣って、自分の気持ちに嘘つかないでね」
「わたしが隠してたのはこれで全部」。話し終えた千晴は改めて鈴加をじっと見つめる。
「ごめんね。鈴加のためっていうのを免罪符にして、たくさん勝手なことして。……嘘も、たくさん吐いて。もう隠し事はないから」
「千晴……」
再びじんわり浮かんだ涙をゴシゴシ袖でこすって、鈴加は真摯な表情で正座した。
「あたしも千晴に謝らないといけない」
「ん?」
「図書館事件の後、実は彩葉さんに脅されたんだ。東くんから離れないともっとひどいことをするって。でも、千晴を危険に巻き込むかもしれないと思ったら、どうしても言えなくて。黙っててごめんなさい」
結果的に東を含めて余計に心配をかけてしまった。反省して項垂れる鈴加を前に、千晴はふっと笑みを零す。
「嫌になるわね……」
「ガーン!!」
「バカ、あんたのことじゃないわよ。何もかもあいつの言うとおりだったなと思って」
「へ?」
鈴加が相談しないのは、自分が頼りないからだと歯がゆく思っていた千晴に、弓弦はそうじゃないと――大切だからこそ、危険な目にあわせたくないのだと諭してきた。今更ながらこんな形で鈴加の想いを知ることになろうとは、皮肉なものだ。
「どうかしたの?」
「ううん。なんでもない」
きっとこれも話せば鈴加は喜ぶでしょうね、と思案しつつ、(イヤさすがにそこまで魔王にお膳立てする義理はないでしょ)と考え直し、千晴は言葉を濁した。
「そうそう、鈴加に送ったはつコレのファンディスク、あれ完全オリジナル製作なのよ。再生するのにパスワードがかかってたでしょ?」
「うん。えっ、オリジナル製作って、あたしのためだけに作ってくれたの?」
「そうよー。さすがに長い付き合いだけあってあんたの萌えるツボよーく心得てたでしょ。脚本はわたしなんだから、まぁ当然っちゃ当然よね」
「千晴がシナリオ書いていたの!? うわーっすごい、千晴はほんとになんでもできちゃうんだね!」
「どーも。ほとんどはあんたが熱く語ってた脳内和馬エンドを糖度5割増しくらいで再現しただけ。あー、でも台本見た魔王が青い顔で鳥肌立ててたのは超笑えたわ」
「ひゃーっ」
底意地の悪いことを恐ろしく爽やかに言い放つところが千晴らしい。N様の正体が弓弦だったのは衝撃の事実だったが、それほど違和感なく受け入れられたのは、まるで正反対に思える二人に共通点を感じたからだろう。それも、とても深い部分で。
「でもさ、王子様はどうすんの? わたしの見立てだと脈アリアリだけど」
「うっ!」
ギクリとして尻ごと後退した鈴加は、背後の本棚に頭をぶつけた。しかも運悪く飛び出していた本の角に脳天が直撃し、痛みで呻く。
「ちょっと何やってんのよ! 大丈夫?」
「大丈夫、じゃ、ない」
「えぇ? そのくらいでたんこぶにはなんないでしょ」
「そっちじゃないよぅ。……あたし、東くんに告白された」
「ブッ!!」
豆乳を口に含み、危うく吹き出しかけた千晴はゲホゲホ咳き込んだ。
「ヘタレ魔王と違って正統派王子様は安定のヒーローっぷりを発揮してくれるわね。どーすんの?」
「願ってもないありがたい話だと思う。これを逃したら二度とこんな奇跡は起きないっていうのも分かる」
「ふーん。そう言うってことは……お断りしちゃうんだ」
否定も肯定もせず、鈴加は両膝を抱えた。
「ずっと東くんに憧れてた。だから好きだって言われて本当に嬉しかったよ。でも弓弦くんがあたしの知らないところで色々してくれてたことを知ったら……」
「迷いが生まれた?」
こくりと首を縦に振り、頷く。
「ずっと悩んでた。だって弓弦くんはあたしのこと嫌ってると思ってたから。でも夕べ律に怒られて、気付いたんだ。あたしは弓弦くんの気持ちが知りたいんだって。それが答えだと思うから……」
10年越しの両片思い。千晴には手に取るように弓弦の気持ち――後半はだだ漏れだった鈴加への想いが分かる。だがここであえて口にはせず、代わりに最大のエールを送ることにした。
「東王子には気の毒だけど、鈴加を応援するわ。自信持ちなさい。あんたは弓弦を動かすことのできる唯一の弱点で、かつ最大の原動力なんだから」
「千晴ぅ~~~!!」
「はいはい、とりあえず朝ご飯食べようね? 鼻水拭いて」
ひしッ! とコアラのようにすがりついてきた鈴加の背をさすり、千晴はすっかり冷め切ったトーストを、それでも――幸せそうに、囓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます