第42話 解かれる謎
榊の厚意で自宅まで送ってもらった鈴加は、足音を立てないよう注意しながら二階へ向かった。自分の部屋に入ると、着替えるのさえ面倒でそのままベッドに倒れ込む。
深夜の住宅街は静まり返っている。寝相の悪い律が壁を蹴る音がして、隣の部屋で眠る弟の気配に少しだけ気持ちが緩んだ。
東の告白。弓弦の真意。
どちらも天秤にかけて重さを推し量れるようなものじゃない。ただ、曖昧になってしまった自分の気持ち――その輪郭が見えてきた以上、気付かない振りはできない。
(弓弦くんに会いに行く。それはもう決めた。でも、その前に東くんと会って話をしなきゃ)
――君を困らせてでも僕を意識して欲しかったんだと思う。君の中に少しでも居場所が欲しくて……
東を思い出す度、胸がじくじく痛んだ。
どんな言葉でも東への想いを伝えきることはできないだろう。東と出会ってから、彼を大切に思う気持ちに変わりはない。素直で優しい東のまっすぐな想いに応えたいと思った、それも偽りない。だけど……
魔王ってあだ名がぴったりの、意地悪で、ひねくれ者で、どうしようもない天邪鬼。それでいて触れる手が、名前を呼ぶ声が、ひどく慈しみに満ちた弓弦が頭に浮かんでは消えていく。
ごろりと寝返りをうち、ため息混じりにデスクを見遣った。千晴に預かったタイムカプセルが2つ、スノードーム型のガラスケースの中に転がっている。
――このタイムカプセルを開けたら、色んなことが変わってしまうかもしれない。
千晴の言葉を思い出し、心臓が嫌な音を立てた。
ふと、弓弦が書いたタイムカプセルの中身を想像する。『お前のこと、友達と思ったことなんて一度もない』とひどく突き放されて以降、まともな会話もないまま卒業し、海外へ渡ってしまった。
このタイムカプセルを埋めた時はまだ、弓弦は鈴加のヒーローだった。救いの手を差し伸べながら、幼い彼が何を思っていたのか……伝えられることのなかった本心が書かれているかもしれないという期待に胸が膨らむ。
肘をついてゆっくり上体を起こし、デスクに近付いた。薄暗い部屋の中、テーブルライトのスイッチを押す。オレンジの蛍光色に照らされたタイムカプセルは鈍い輝きを放っていた。ごくりと生唾を飲み、手を伸ばす。
まずは自分のタイムカプセルを開けた。中身は手紙だ。小さく折り畳まれたそれを広げると、『弓弦くんとずっと一緒にいられますように』と照れ臭そうに綴ってある。友達なら変わらず側にいられるなんて、どうして信じていたんだろう。これからも友達でいてねと弓弦に願った浅はかな、子どもだった自分。
苦々しさがこみ上げ、鈴加は紙を再び畳んでタイムカプセルに押し込んだ。そしてガラスケースに残ったもう1つの、弓弦のタイムカプセルを掴み取る。緊張と興奮がない交ぜになり、鼓動がありえないほど早鐘を打つ。
(ごめんね弓弦くん)
他人の日記を盗み見るような罪悪感を覚えながら、意を決してカプセルを開けた。中に入っていた紙を広げて、子供とは思えない流麗な――それでいて意思の強そうな文字をなぞる。
『僕の夢は高橋鈴加ちゃんをお嫁さんにすることです』
「……!?」
短く書かれた一文に、息が詰まる。
あまりの衝撃に腰を抜かしてしまったのだと気付くまで、数秒かかった。咄嗟に椅子の背もたれを掴んだせいで、巻き添えとなった椅子が大きな音を立てて倒れた。
家中に響いた騒音。いち早く反応したのは律だった。隣の部屋から超絶不機嫌な足音がして、マナーもへったくれもなく乱暴にドアが開かれる。
「おいバカ姉貴! いま何時だと思って――……」
怒り心頭の律は硬直した。倒れた椅子の横でうずくまる鈴加が、ぴくりとも動かなかったからだ。
「お、おい。姉貴?」
さすがに心配になって駆け寄り、半身を抱き起こせば今にも泣きだしそうな顔を見てギクリとした。尋常でないと察し、普段なら絶対にしないような優しい手つきで肩をさすってやる。
「どうしたんだよ。何があった?」
「……弓弦くんがうちに来たって本当?」
答える前に律の腕が反応したので、榊の言うとおり、高橋家に寄ったのだと鈴加は悟った。
「やっぱりそうなんだ……」
「なんで姉貴が知ってんだよ。弓弦兄ちゃんから聞いたのか?」
「ううん別な人。でも、どうして教えてくれなかったの?」
「知りたかったのか?」
思いがけない返事に戸惑う。要領を得ない鈴加に苛立ち、律は舌打ちした。
「姉貴は弓弦兄ちゃんのこと嫌いだろ? 喧嘩別れして以来、ずっと目の敵にしてたじゃん」
「でもそれは昔の話で、」
「今は違うって言うのか? てっきり弓弦兄ちゃんを利用してるだけだと思ってたけど」
律の非難めいた口調に、鈴加は二重の衝撃を受けて瞬きした。
「あたしが弓弦くんを利用してた?」
「自分のことだろ。俺に聞くなよ」
「確かに弓弦くんにはたくさん助けてもらったよ。でも利用するなんて……」
微塵も考えなかった――そう続けようとして飲み込み、唇を噛み締める。本当にそうだろうか? 都合よく現れて世話を焼いてくれる弓弦に甘えて、頼ってばかりだったことを振り返る。ただの一度だって彼の役に立てたことなどないのだから、一方的に搾取していたと誹られれば返す言葉がない。
「あたしはずっと、弓弦くんに嫌われてると思ってた」
「はぁ?」
心底呆れた声で凄み、律の眉間の皺が深くなる。鈴加はいきなり床に放り出されて「へぶ!」と呻きながら強打した背中をさすった。
「ひ、ひどいよ律っちゃん」
「律っちゃんゆーな! つーかひどいのはどっちだよ」
「へ……」
「お前のそのアホ面見てるとどつき回したくなるわ!」
「ひぃい! やめっやめてぇえぇ」
関節を鳴らした律にほっぺたをこれでもかと左右に引き延ばされ、モモンガそっくりになってしまった。鈴加の情けない顔は、涙と鼻水で洪水状態だ。律は忌々しげに舌打ちする。
「バーカ。どこの世界に嫌いな女のために面倒くせー用事引き受けるお人好しがいるってんだよ。まだ二次元菌に冒されてんじゃねーの?」
「グサッ!」
よよよと力なく崩れ落ちると、氷点下レベルの冷たい視線で見下ろされた。が、それも数秒のことで――次の瞬間にはひどく切なげな――苦しそうな表情に変化する。
「マジでわかんねーの? 弓弦兄ちゃんがわざわざ日本に帰ってきた理由。姉貴の就活対策に付き合ったのも、他の男に浮かれてるお前に何も言わず去ったのも、そんなの……」
語尾にかけて小さくなった声は、力なく闇に溶けた。
「律……?」
「……やめた。むかつくから教えてやんねー」
「えぇッ」
「えぇじゃねーよ! お前のせいで俺がどんだけ――」
罵ってやろうと拳を振り上げて、弓弦の言いつけが頭に浮かんだ。たった一人の弟なのだから助けてやれと穏やかに微笑んだ、大好きな兄貴分の願いを踏みにじるわけにはいかない。腕をクロスして頭をガードした鈴加は、急に大人しくなった律の態度に首を傾げる。律はこみ上げた怒りを抑え、やりきれない様子で首の後ろに手を回した。
「理由くらい自分で気付いてやれよ。でなきゃこの10年、報われなすぎだろ」
「10年、て……」
「うっせーお前に発言権はねーんだよ! どーしてもわかんねーって言うなら直接本人に聞けよ!」
――そん時、弓弦兄ちゃんから本音を聞き出せる手腕がバカ姉貴にあるかは別問題だけどな。
内心意地の悪いツッコミを付け足し、律は発散し損ねた怒りの残滓をまき散らしながら部屋を出て行った。一人取り残された鈴加はただ、意味深な律の言葉の意味を頭の中で繰り返していた。
*** *** ***
ピンポーン♪ ピンポンピンポーン♪
窓の外が薄暗い時間、インターホンが連打されて千晴は飛び起きた。時計を見れば朝6時。目覚ましが鳴る前に叩き起こされ、何事かと玄関に視線を送る。不審者なら派手に来訪を報せたりしないだろう。質の悪いいたずらだろうと決め込み、居留守を使ってもしつこく鳴らし続けるので、ブチッと頭の血管が切れた。
「こんな時間に訪ねてくるなんてどんな非常識人よ!」
いっそ顔面ツラを拝んでやろうじゃないの! と鼻息荒くパジャマの上にパーカーを羽織る。「はいはいはーい、今出ます!」苛立ちを隠さず玄関を開けた次の瞬間、
「ち~~は~~るぅ~~!!」
「フオォォ!?」
いきなりガバッと抱きつかれ、悲鳴をあげた。バタバタともの凄い足音と共に隣人が飛び出してきて、「朝からストーカー!? 千晴ちゃんから離れないよぉぉ!」と変質者撃退用おたまで応戦する。
「いたッ痛いやめてぶたないでぇ!」
親友の悲痛な声にはっとして、咄嗟におたまからガードする。不安げな隣人に何度も頭を下げて謝罪し、千晴は泣きべそをかく鈴加を部屋の中に連れ込んだ。
「朝っぱらから強烈な寝覚ましをどうも。いつか心臓麻痺であんたにやられそうな気がしてきたわ」
「ご、ごめん……」
しゅんと肩を落とし、部屋の隅で小さく体育座りする鈴加に長く大きなため息を吐いた。
「で、どうしたのよ。よっぽどなんかあったんでしょ? 聞くわ」
視線を泳がせる鈴加は落ち着きがない。これはすぐに口を割りそうにないなと諦めて、千晴は朝食になりそうなものを取りにキッチンへ向かった。
やがてテーブルに並ぶ二人分の朝食。バタートーストにバナナヨーグルト、温めた豆乳。それらを目の前にして、鈴加はようやく「タイムカプセル見たの」と小さな声で白状した。千晴は一瞬、大きく目を見開いて言葉に詰まり、ゆっくり肩を落とす。
「そう……。で、感想は?」
俯いたまま視線を合わせようとしない鈴加に問いかけた。質問には答えずに、鈴加はじりじり側に詰め寄ってくる。
「千晴は知ってたの?」
ドクンと心臓が跳ね、千晴は息を呑む。短い沈黙の後、
「知ってたって言ったら、何か変わる?」
冷静な声色で返事をした。鈴加に与える衝撃を最小限に抑えるため、可能な限り私情を排除した結果だったのだが、それでもやはり鈴加は十分なショックを受けたらしい。くしゃりと顔が歪むのを目の当たりにし、千晴はもうこれ以上隠し事はできないと判断した。
「ごめん。今の言い方はずるかったね。本当は私――鈴加に謝らないといけないことがあるの」
「え……?」
「ずっと隠してたこと。聞いてくれる?」
千晴の真剣な眼差しを受け止め、鈴加は緊張の面持ちで頷いた。
「弓弦と再会したのは同窓会の時。あんたはビビって欠席したけど、あいつはムカつくくらい元気で無性に腹が立ったのよ。相変わらずみんなにチヤホヤされてたわ。鈴加にひどいトラウマを植え付けておいて、どの面下げて現れたの?って、はじめは一泡吹かせてやるつもりで近付いた。だけど偶然、同窓会のイベントで配られたタイムカプセル、あいつのと取り違えてね。中身を見た瞬間、これを使って復讐してやろうと思ったの。弓弦を脅して、あんたがまともな人生を歩けるように利用してやるつもりだった」
言いながら、千晴はスマホでとあるページを表示させる。それを鈴加に見るよう促した。
「このサイト……『萌えの箱庭』だ」
「そうよ。あんたが運営してる乙女ゲー感想サイト。乙女ゲー仲間としてコメントを書き込んでいた『ゆずソーダ』はね、わたしよ」
「え!? で、でも弓弦くんは自分がゆずソーダだって、」
「それはわたしが仕組んだの。ま、深い意味はなくちょっとした嫌がらせよ。あんたにネカマ扱いされてせいぜい恥をかけばいいと思ったの。だから普段やり取りしてたのはわたしだけど――それは別として、あんたの趣向を完璧に把握するために、これまでにプレイしたタイトルやお気に入りのキャラの知識については叩き込んでやったわ」
「あたしの趣向……って、どうして?」
なんのために? 次々と疑問が浮かび、消化不良を起こしそうになる。混乱して目を白黒させる鈴加に、千晴は「順を追って話すわ」と宥めた。
「まずは『プロジェクトN』について説明しないといけないわね。プロジェクトNの目的は、鈴加の三次元アレルギーを治療して、恋愛や就職に前向きになれるよう、後押しすること。真っ向から『外見と内面の両方を磨け』って言ってもあんたが素直に腰を上げるとは思えないから、ちょっと工夫させてもらったわ」
「それってつまり――」
「プロジェクトNの企画――立案者は、私よ」
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