第41話 彼の秘密


 ――近付こうとする度、突き放した。


 そう続けようとして違和感を覚える。弓弦の口が悪いのは今に始まったことじゃないし、言動に反して行動は常に優しかった――今更ながらその事実を再確認し、鈴加はやりきれない気持ちで一杯になった。


 (今度こそ見落とさないって約束したのに……)


 嘘つきは自分の方だと罪悪感に苛まれる。弓弦はちゃんと自分のことを見ていてくれたし、力になってくれた。それでも時々、思い出したように意地悪をするのは、何かそうしなければならない理由があったのかもしれない。


 「弓弦様が素直でないことは私も重々承知しています」


 憔悴する鈴加に榊がやんわりフォローを入れる。榊の対応が親身であることに励まされ、ここへ来た本来の目的を果たそうと気を持ち直した。


 「実は、今日ここへ来たのは弓弦くんに聞きたいことがあったからなんです。内定先の社員から、弓弦くんが私の採用を後押しするために頭を下げて回ってくれたって知って、どうしてそこまでしてくれたのか分からなくて」


 榊は強い眼差しで尋ねる鈴加を静かに見据えた。しばし緊張感のある沈黙が二人の間を流れる。沈黙を破ったのは、小さなため息を零した榊の方だった。


 「貴女のおっしゃるとおり、弓弦様は水面下で根回しをしておられました。それも1件や2件ではありません。弓弦様の薦めで貴女が応募した企業は全てOOGAMIグループと縁が深い。彼は書類審査の段階から貴女の後ろ盾となっていたのです」

 「え!? じゃああたしが応募したところは全部回ったってことですか? 信じられない」

 「その点に関しては私も同意します。あの方は本来、個人的な情に流されたりしない。ですからてっきり貴女が人に言えない弱みを握っているのだと本気で疑いました」

 「よ、弱みって……」


 そんなのあったら教えて欲しいくらいだ。鈴加はひくっと唇を引き攣らせた。弓弦は何をやらせても要領が良く、人が必死でどうにかやり過ごすことでも涼しい顔でこなしてしまう。それが原因で秀才型の千晴に目の敵にされていたくらいだ。


 「弓弦様が貴女のために動いた理由、本当に心当たりありませんか?」

 「……」

 「言葉と行動どちらを信じるかは貴女の自由です。ですが、私からささやかなヒントを差し上げましょう。いつだったか、遅くまで残業していたある日のこと――」


 榊は記憶の糸を手繰り寄せた。


 いつ過労で倒れてもおかしくない緻密なスケジュール。その合間を縫って寝食すら惜しみ、鈴加の就活対策に付き合っていた弓弦を見かねて窘めた時、なぜそうまでして鈴加に尽くすのか尋ねたことがある。


 「正直に申し上げると、私は貴女のことを快く思っていなかったのですよ。弓弦様がご自身の健康を蔑にしてまで尽くす理由が分からなかった。尋ねたところで正直に打ち明けて頂けるとは期待していませんでしたが、意外にも返答を得ましてね。まぁ、はじめは貴女の悪口ばかり並べ立てて戸惑いましたが……」


 瞼を閉じれば鮮明に蘇る。尽くしているはずの女性に対する容赦ないダメ出し。面食らう榊に、弓弦は苦しげな面持ちで答えた。


 『もう、あいつの泣き顔だけは見たくないんだ』


 目の前で泣かれると、頭の中が真っ白になって、どうしていいか分からなくなる。何もできずただ側にいることしかできなった弓弦に、それでも鈴加は、必ず最後に笑いかけるのだと言った。


 「その笑顔を見る度、ひどく無力で情けなく感じていた自分が、少しだけ誇らしかった。貴女の笑顔を曇らせたくないと――いつも笑っていられるように、守ってあげたいと思ったそうです」


 鈴加が息を呑む声に反応し、榊は一度言葉を切った。


 「ですが、今となってはそれはもう叶わない。自分は貴女を裏切り、ひどく傷付けた。だから側にいる資格はないのだとおっしゃっていました。ただ、せめて貴女の笑顔を取り戻したい。そのために再会したと……」


 弓弦の想いをそのままの形で伝えることはできないが、榊は可能な限り子細に語った。愕然とする鈴加は震える手を握り締め、足元に視線を落とす。


 「……あたしが笑ってたって、弓弦くんには何の見返りもないのに……」

 「貴女の隣に誰がいても関係ない、貴女が笑顔で前向きに生きていけるよう、自信を取り戻す手伝いをしたい……そのように聞いています」

 「……っ」

 「空港にお送りした時も、弓弦様は『最後に貴女の幸せを見届けることができた』と、大変嬉しそうでした。それほど、貴女は彼にとって特別な存在なのでしょう」


 衝撃のあまり言葉にならない。弓弦の隠された真意は、鈴加の心を強く揺さぶった。


 (全部、あたしが笑っていられるように……? それだけのために?)


 「以上が私の見聞きした全てです」


 榊が話終えると、部屋は静寂に包まれた。鈴加は固まったまま、指一本動かすことができない。


 「……弓弦くんは今、どこにいるんですか?」

 「欧州です。……会いたいですか?」


 『会いたい』という言葉が鈴加を突き動かす。弓弦から最後の電話があった時、彼はどんな顔をしていた? 元気でなと、いつもと変わらない口調で告げた心の内を直接会って確かめたい。


 「会いたいです。弓弦くんに会いたい……!」


 情けなく鼻声になってしまったが、決意に揺らぎはなかった。まっすぐ榊を見つめると、鈴加の意思を汲んだ榊は力強く首肯する。


 「それでは弓弦様の滞在先をお伝えしましょう。出発の準備が整いましたらぜひ私にご連絡下さい。こちらで色々と手配させて頂きます」


 ふっと微笑んだ榊のありがたい申し出に、鈴加は素直に甘えた。一人で海外に行くのは初めてなので、協力者がいてくれるととても心強い。


 「でも、いいんですか? 滞在先って個人情報になっちゃいますよね。そんなことをしたらあなたの立場が悪くなるんじゃ……」

 「公になればそうですね。社会人として――弓弦様の元秘書としてあるまじき行為ですし、私が教えたと知られたら相当恨まれるでしょうねぇ」


 お天気の話をするように軽い口調だったが、内容はまったく穏やかじゃない。青くなった鈴加と視線を合わせ、榊は悪戯っぽく笑った。


 「いいんですよ。ちょっとした意趣返しです」


 胸元に忍ばせた名刺入れから一枚、名刺を取り出し、鈴加に手渡した。果たして受け取ってよいものか躊躇う鈴加に、「本当にいいんですか?」と念を押され、この際、いいも悪いも関係ないと――榊は自嘲する。


 ご自愛下さいと何度忠告してものらりくらり、挙句の果てに一人で日本を発つ段取りを決めてしまった弓弦。最初から最後まで振り回されてばかりだったことは他人に知る由もないだろう。


 しかし、彼はOOGAMIに勤め始めて以来、会長を除き逸材だと唸らされた唯一の人材だ。会長の意向で弓弦専属の秘書を命じられた時は身が引き締まる思いだった。弓弦は社内の噂に違わず恐ろしく優秀だったが、それ以上に自然と人の心を惹きつけるカリスマ性に目を瞠った。御曹司という肩書きを抜きにしても、敬意を払わずにはいられない、そんな男だ。


 (それでも年齢相応に不器用な面もあったんですね)


 榊はふっと柔らかな微笑みを浮かべ、


 「心配は無用です。どうぞ貴女のお心のままに」


 恐縮する鈴加に弓弦の影を重ねながら、今度こそチャンスを逃さず掴んで欲しいと――素直な気持ちで受け止めて欲しいと、切に願った。

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