第39話 真実を求めて


 N様が引退したというニュースが所属プロダクションから発表されて以降、少なくない反響があったようでN様応援スレッドでは様々な憶測が飛び交っていた。


 鈴加が管理している乙女ゲー感想ブログは普段ほとんどアクセスがないのだが、N様引退に関する記事――1ファンとして引退を惜しみつつ感謝の気持ちを綴ったもの――についてはかつてない数の拍手がついていたことからも、関心度の高さが窺える。


 予定されていた内定式の日がやってきたのは、N様から連絡があった翌週。面接の時に訪れた会社のこじんまりとしたオフィスでつつがなく実施され、その晩は懇親会が催された。


 とはいえ、新入社員は二人。


 社員全員で二十名程度の小さな民間企業だ。会社の近くにある、社長のなじみらしい居酒屋を貸し切っての懇親会は、大将を含めて和気藹々とした雰囲気で始まった。挨拶もそこそこに乾杯の音頭が取られ、鈴加はみんなに合わせてグラスを高く掲げ、景気よく乾杯した。


 「飲んでるかー、未来の新入社員!」


 がやがやする中、「元気がないぞ~!」と先輩社員に背中を叩かれ、危うくビールを吹き出しそうになる。鈴加は慌てて口元を押さえ、ごくんと飲み込んだ。


 「い、頂いてます。ありがとうございます」

 「そうか? 遠慮せずバンバン飲んでくれよ! 飯もあるからな」


 テーブルの上にはたくさんの料理が並んでいる。定番のからあげや炭火焼き鶏、さつまあげ、もろキュウ、大根もちなどバラエティ様々だ。カウンターの向こう側にあるキッチンからはパチパチと天ぷらが揚がる音がして、香ばしい匂いが漂ってくる。


 緊張しつつしばらく歓談していたら、あっという間に席替えになった。隣にドッシリ座ってきたのは、だいぶお酒が回っていていそうな中年男性。彼は確か部長……と呼ばれていた気がする。


 「高橋さんだっけ? 春からよろしく頼むな」

 「あ、お酒ならあたしが……!」

 「いいって気にするな。ほれ、グラス」


 ビール瓶を差し出されたので、反射的にサッとグラスを持ち上げた。泡が溢れる寸前で止められ、慌てて口をつける。ビールひげができてしまい、豪快に笑われてしまった。それから大学ではどんな活動をしてるのか、バイトは? 休みの日は……そんな他愛のない会話に花を咲かせる。ひとしきり話した後、テーブルにビールジョッキを置いた部長が真面目な顔に変わった。


 「そういえば君、OOGAMIの御曹司とはどういう関係なんだ?」

 「え……?」

 「いやー、OOGAMIグループとはずいぶん長い付き合いをさせてもらってるが、弓弦くんが直々に挨拶に来た時は本当に度肝を抜かれたよ。あの彼が太鼓判を押すくらいだから、よほど良い人財なんだろうと思って面接したんだ」

 「部長、その話はNGですよ!」

 「ん? ああ、そうだったか? すまんすまん」


 悪びれる様子もなくケロッと肩を竦めた部長だったが、鈴加は硬直した。そんな鈴加をフォローするかのように、正面に座っていた若手の女性社員から「ごめんね。部長酔ってるから」とこっそり謝罪される。


 弓弦くんが会社に来た……? 上手く頭が回らない。


 「さっきの話、本当ですか? 弓弦くんが挨拶に来たって……」

 「あー……」

 「お願いします、教えて下さい! あたし何も知らなくて」


 お願いしますと、テーブルに額をつくくらい深々頭を下げた。しばらくの沈黙。先輩は渋っていたが、譲る気のない鈴加を前に浅くため息を零した。おそるおそる顔を上げると、「この話、オフレコだからね?」と顔を近づけてくる。


 「彼はOOGAMI本社の正式な社員じゃなかったけど、家業の手伝いって名目で仕事してたことは知ってるかしら? あのルックスでOOGAMIグループの御曹司、しかもかなり頭が切れるとなればすぐに有名になったわ。業界ではけっこう顔が利くのよ。そんな彼がわざわざこんな小さい会社の社長に挨拶に来るってもんだから大騒ぎ。普段は絶対出さないような高級茶菓子を買いに行かされたと思ったら、社長ってば一番良い勝負スーツ着て出張ってきてそりゃあ驚いたんだから」

 「そ、それで、用件は……」

 「まぁそう焦んないで。はじめは当たり障りのない挨拶だったらしいけど、本題はあなたのことだったみたい。応募書類を見てもらえたか確認して、それから若干渋る社長に、一度でいいから会って話を聞いてもらえないかって何度も頭下げたってよ。もう社長は鼻高々だったわ。だってOOGAMIの御曹司よ? 頭下げたって下げられる機会なんてあんの?って感じでしょ」


 話を聞きながら、ドクン、ドクンと鼓動が速まっていく。賑やかに盛り上がる店内で、血の気が引いていく鈴加の変化に気付く者はいない。女性社員は鈴加を見つめ、ふっと頰を緩めた。


 「噂だけど、彼って超クールでドライらしいから、たとえ自分の恋人でも絶対に私情でコネ使ったりしなさそう。だからそんな彼が必死になるなんて、あなたはよほど大切にされているのね」


 うらやましい。そう付け足してグラスを口に運ぶ様子を眺めながら、鈴加はひどく混乱していた。弓弦は確かに鈴加が就職できるよう応援してくれていたし、実際、エントリーシートから履歴書の書き方、面接のマナー、受け答えのポイントまで徹底的にサポートしてくれた。だけどわざわざコネを使ってまで根回しをしていたというのは本当だろうか? 信じがたい話だった。


 (どうしてそこまで? あたしには何も言わなかったのに……)


 ふと、過去の記憶が蘇る。律が熱中症で倒れた時、動揺する鈴加の手を引いて病院まで連れて行ってくれたあの日。10年振りの再会に戸惑う鈴加は、再び現れた弓弦に真意を問いかけた。


 『どうして今になってまた現れたの?』

 『後味悪いんだよ。千晴から、お前が重度の二次元オタクになってこのままじゃ孤独死だって聞いて、さすがに責任もてないと思ってな。俺のせいにされちゃ堪らんだろ。祟られたくないし』

 『ほんとにそれだけ?』

 『他に何がある? それとも、俺がずっとお前を傷付けたこと後悔してて、罪滅ぼしに現れたとでも? それで実はお前が好きで、天邪鬼だったとか? やめろよ気持ち悪い。現実の男はな、乙女ゲーとは違うんだよ。いい加減、幻想は捨てろ。ああ、分かってるから二次元に走ったんだっけ? ご愁傷様』


 浴びせられたひどい言葉の数々は、思い出すだけで辛い。だけど――


 『半年だ』

 『え……?』

 『半年でお前を三次元に復活させる。就職が決まるまで面倒見てやるよ。ついで女としての自信も持たせて、恋愛アレルギーを治してやる。お前みたいなどうしようもない奴でも、俺がプロデュースすれば望みがあるだろう』


 あの時、弓弦は何を考えていたんだろう? どんな気持ちで向き合ってた? 覚えているのはただ、拒絶の意志を放つ背中と、そして――


 『――せいぜい、俺を憎んでがんばれ』


 胸の奥を焦がすような、酷く優しい声……。


 「……さん。高橋さん、聞いてる?」

 「あ、はいっ。すみません。少しボーっとして……」

 「初対面の人ばかりで緊張したんじゃない? 新入社員は主役だけど、二次会は無理に参加しなくて大丈夫だから。体調優先でね」


 労わるような視線を向けられ、鈴加はありがたい気持ちで頷いた。


 (弓弦くんの真意が全然読めない……)


 他の話題に移ってからも、懇親会がお開きになるまでの間、社員の人たちと何を話したのか記憶がとても曖昧だ。あからさまに上の空の鈴加は酔っているのかと心配されて、タクシーで帰るよう促された。ふらふら歩いているのを見かねてタクシーに押し込められ、ようやくハッとしてぺこぺこ社員のみんなに頭を下げて別れた。


 「で、お客さんどちらまで?」

 「あ、えーと……」


 自宅の住所を伝えようとして、言い淀む。


 「……。OOGAMI本社までお願いします」

 「はいよ」


 ブロロロ…


 発車したタクシーの中で、過ぎゆく景色――色とりどりの街灯や人の群れ、電気もまばらな建物――を眺めながら、鈴加は思いを巡らせていた。忙しい弓弦のことだから、まだ残業しているかもしれない。今から会いたいと電話して会ってもらえる保障なんてどこにもないけれど、考えるより先に体が動いていた。


 (会ってどうするの? 何を聞きたい? 何を伝えたい?)


 東の告白の返事もまだできていない。自分の気持ちがどこに向いているのかさえハッキリしなかった。頭の中を整理できないまま、ただ会いたいと――顔を見たいという衝動に突き動かされ、鈴加はOOGAMI本社を目指した。

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