第36話 焦がれる声
しゅうぅぅと空気が抜けた風船みたいに小さくなった鈴加は、東に引かれたと思って青ざめた。確かに『友達』だけど、特別に思っていることはまだ打ち明けていない。告白未遂をしてからこうしてゆっくり二人で話す機会もなく、なんとなく先延ばしにしていたのだ。
東の『好き』と自分の『好き』が同じだなんて図々しいことは考えられなかったが、少なくとも、彼なら真剣に受け止めてくれるだろうという確信があった。けれど今の距離感が心地良くて、壊してしまうのが怖い気持ちもある。
「……高橋さん」
「あ、あははは!」
あたしひとりで舞い上がっちゃってイタイ。鈴加はとても東を直視できなかった。沈黙が辛い。辛すぎる。ろくに噛まずに残ったおかずをどうにか胃袋に流し込み、最後にお茶を一気に飲み干した。
「あたしもう行かないと」
「えっ」
「急ぎの用事思い出したの。せっかく来てもらったのにごめんなさい。話はまた今度ということで……それじゃ!」
シュタッと敬礼して立ち上がる鈴加。ダメだダメだダメだ。今、東に顔を見られたらほんとに言い訳できなくなる。こんな形で気持ちを悟られたくない。
荷物を引っ掴み、弾けるようにその場を駆け出した。後ろから東の呼ぶ声がしたけど、振り向かなかった。
「高橋さん!」
「!!」
嘘っ、追いかけてきた!?
足音がどんどん追いついてきて、鈴加は走るスピードを上げた。逃げ足だけは自信があるのだが――
「待って! 逃げないで……」
抵抗も空しく、グッと掴まれた腕ごと引き寄せられてしまう。反動で東の胸にぶつかりそうになり、鈴加は両足を強く踏ん張った。
「……、どうして顔を隠すの?」
「見ないで……お願い……!」
空いた方の手で顔を必死で隠す。じわ、と涙が滲んでドクドク心臓が高鳴る。
「泣いてるの?」
焦りから、東の態度にはいつもの余裕がなかった。ふるふる頭を左右に振る鈴加の腕を、痛いくらいの強さで握る。
「急にどうしたんだ? 僕が何か気に障ることでも――」
「してないよなんにも! 東くんは悪くないから……これはあたしの問題だから……」
「僕には関係ないって言うのか?」
明らかにむっとした東に、鈴加はビクリと肩を震わせた。全力疾走したせいで息があがっている。呼吸を整えるので精一杯で、頭が回らない。肯定も否定もせずに黙っていると、
「どうして君はすぐにひとりで答えを出そうとするんだ」
「ご、ごめんなさい」
「謝って欲しいんじゃない。僕は――」
言葉を切った東の醸し出す空気から、彼がとても言葉を選んでいることが窺えた。
「僕は君に頼ってほしいんだ。はじめは単なる親切心から君に助力を申し出たことは認める。だけど今は違う。もっと……ずっと個人的な理由から、僕自身のわがままで、君とつながりを持ちたいと願っている」
鈴加から逃げる気配が消えたので、東は握った腕を解放した。代わりに、顔を隠している手にそっと触れる。
「……頼む。ちゃんと顔を見て言いたい。君に聞いてもらいたいんだ」
まだ顔が赤いかもしれない。鼻をすすって、鈴加は躊躇った。だけど東が真剣に頼んでいる以上、応えるべきだと勇気を奮い立たせる。
瞼をこすって、東とまっすぐ向かい合った。視線が合った瞬間、心臓がバクンと跳ねた。今まで見たこともない熱っぽい眼差しと表情に圧倒されてしまう。
「僕は君の側にいたい。大学を卒業してからも……」
大学の校内。周囲を通り過ぎる学生たち。降り注ぐ木漏れ日の光が、東の頰の上でゆらゆら揺れている。
「えっと……」
「分からない?」
「……」
瞳を細めた東が、柔らかい笑みをたたえる。ドクン、ドクンと痛いほど心臓が脈打って、夢の中なのか現実なのか境界線が曖昧になる。
「君のことが好きなんだ」
一歩、二歩と距離を詰め、お互いの胸が触れるほど近くで囁かれる。コンクリートに根が生えたみたいに突っ立ったまま、鈴加は強く抱きしめられた。
愛しげにすり寄られ、体が硬直する。ヒュウ、と冷やかすような口笛がどこからか聞こえて、ボッと体温が上がる。体中の血液が沸騰してるみたい。だけど――
――――鈴加
脳裏に蘇る弓弦の声が、ひときわ大きく響いて心臓が跳ねる。無意識に体が動いた。東をドンと突き飛ばしてしまったことに、鈴加自身ひどくショックを受ける。驚いて、やや傷付いた面持ちでなお鈴加を気遣う東に、合わせる顔がない。
「あ、ごめ……、あたしビックリして」
しどろもどろになりながら、視界が滲んでいく。熱い塊が込み上げて、喉がひくついた。
なにこれ? どうして。大好きな東くんだよ。ずっとずっと憧れてた、大好きな王子様。それなのに――
涙が止まらないのは、なぜ?
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