第35話 求めているもの
千晴に就職祝いをしてもらって以降、いつになく穏やかな日々が流れた。相変わらず弓弦から連絡はなかったが、それに少しホッとしている自分に気付いてなんて薄情な奴だろうとこっそり自己嫌悪に陥ったりもした。
嫌いだから顔も見たくないとか、そういうことじゃない。ただ、『鈴加』と呼んだ弓弦の声音を思い出す度に胸がざわつく。その理由を考えるのが怖くて、できればしばらく会わない時間が欲しかった。
――あいつのことが気になるの?
千晴の質問に答えられなかったのはなぜだろう。あれからずっと、同じ疑問が頭の中をグルグル回ってる。
「高橋さん」
「……! 東くん。久しぶりだね」
大学内のカフェで待ち合わせていた鈴加は、声をかけられて顔を上げた。思ったより早く着いたので、混む前にテーブルを確保しておいたのだ。
「遅れてごめん。2コマが長引いて」
「ううん、そんなに待ってないよ。気にしないで」
申し訳なさそうに眉を寄せた東に座るよう促し、持参したお弁当箱を広げた。最近胃の調子が悪かったので外食を受け付けず、律のついでに母に作ってもらっている。
「高橋さんお弁当なんだ。自分で用意してるの?」
「ううん、お母さんが弟の分と一緒に作ってくれてるの。あたしそんな料理上手くないし……」
正直に打ち明け、苦笑いを浮かべながら蓋を開けた。ごはん少な目、野菜中心のヘルシー弁当だ。律のはきっと肉系、たんぱく質中心に詰めてあるだろう。
「そういえば少し顔色が悪いな。もしかして体調よくない?」
「大丈夫。ちゃんと睡眠とってるし元気だよ」
いけない、東くんに心配かけちゃう。鈴加はお箸を手にニッコリ笑った。せっかく久しぶりに顔を見れたのだから、暗い雰囲気なんてまっぴらごめんだ。
「東くんもお昼まだだよね? 買って来る?」
「ああ、さっき購買で買ってきた。ここ、持ち込みOKだから助かるよね。コーヒーだけ頼もうかな。高橋さんも何か飲む?」
「ありがとう。持ってきたから平気」
朝、コンビニで買った紅茶が残ってる。ペットボトルを鞄から出してテーブルに置いた。東は「すぐに戻る」と席を立ち、注文カウンターへ歩いていく。
東の後姿を目で追いながら、周囲の女子もつられて彼を見ていることに気付く。無意識に惹きつけられてしまうような存在感がある、とても魅力的な人だと思う。
「――お待たせ。さっそくいただこうか」
「うん。いただきまーす!」
ほどなくして東が戻り、両手を合わせる。元気よくおかずを頬張ってもぐもぐした。東はまだ自分のサンドイッチに口をつけていない。じーっと嬉しそうな表情で見守られ、鈴加は気恥ずかしくなった。
「食べないの?」
「あ、ごめん。食べる食べる」
クス、と東に笑みを零されたので、不思議そうに首を傾げた。疑問に答えるように東は口を開く。
「すごく美味しそうに食べるなと思って、つい見入ってしまった」
「うっ。もっと上品に食べれたらいんだけど……」
リスみたいにもしゃもしゃ食べてしまうクセは、小学生の頃から変わっていない。ほっぺたいっぱいに頬張るのは行儀が悪いからやめなさいってよくお母さんに注意されたっけ。
「可愛いよ。それに君と食事するといつもより美味しく感じる」
「……! あ、ありがと……」
サラリと告げた東は爽やかで、下心なんてちっとも感じさせない。甘い台詞がこれほど似合う容姿の男性はなかなかいないなぁ、と鈴加はドキドキした。
「そういえば報告があるって言ってたけど、聞いてもいい?」
「そうだった。あのね、あたし内定もらったの! 無事に社会人になります!」
「え、もう? すごいね! さすが高橋さんだ。良かったじゃないか。おめでとう!」
「えへへ、ありがとう~」
食事の手を止めて拍手を送る東。嬉しくなって、鈴加はもじもじした。
「それでね、もう少ししたら内定式があるんだ。って言っても、小さな会社だから人数少なくて、
ほんとに内輪のアットホームな感じで、あんまり緊張せずに参加できそう」
「内定式か。ずいぶん早いな」
「新卒は2人しかとらなくて、もう枠が埋まったんだって」
「狭き門を勝ち抜いたんだな。尊敬するよ」
「そんな……、今回はほんとに運が良かったんだよ」
「それでも君が努力して得た成果だろう? 誇りに思っていい」
ストレートな褒め言葉に胸を打たれて、鈴加は息を呑む。ふと、大学卒業まであと1年ほどだということに気付かされた。こうして気軽に東と会える日々も、あと少し……。
「残念だなぁ……」
「ん?」
「せっかく友達になれたのに、あっという間に卒業だよね。社会人になったら会えなくなるんだと思うと寂しくなっちゃって」
千晴に話したら、気が早いと笑い飛ばしてくれるだろうか。無性に心細くなって、テーブルの下で拳を握った。
「就職しても会おうと思えば会えるよ。というか僕は最初からそのつもりだったんだが……」
「え……?」
「卒業したらもう会わないなんて考えもしなかった。就職先が離れてたとえ引っ越しても、お互い予定を合わせればいつだって会えるだろう? それとも……高橋さんは会いたくない?」
「そんな! あたしは東くんに会えるならすごく嬉しいよ! 今日だってすごく楽しみに――」
本音がポロリと零れてハッとした。前のめりになって叫んだので、東が驚いている。しまったと後悔した。だけどもう遅い。
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