第34話 正しい答えは…
「一度だけ、うちで倒れそうになったの。倒れるっていうのは大げさかもしれないけど、普通に立ってられなくて、思わずよろけたって感じ。表情に出さないだけで相当疲れてたんだと思う。それなのに弓弦くん、涼しい顔してるから気付けなかった。ううん、あたしが自分のことでいっぱいいっぱいで気付いてあげられなかった。あんなに近くにいたのに、大人になっても助けてもらってばかりで」
「あいつのことが気になるの?」
「そりゃ気になるよ。だって弓弦くんは――」
(弓弦くんは……)
友達、と本人に断言しておいて、千晴の前では歯切れが悪くなってしまう。それは幼い日のトラウマからなのか、それとも傷付きたくないがゆえの無意識の予防線からなのか、判別できないけれど。
黙り込んだ鈴加の隣で、千晴は神妙な面持ちになる。
「あのね、実は今日、鈴加に渡そうか悩んで一応持ってきたものがあるの。受け取ってくれる?」
「わ、これ……もしかして小学生の時に作ったタイムカプセル!? うわぁー、懐かしいなぁ!」
「待って、まだ開けないで!」
すぐさま開けようとした鈴加を止め、千晴はふぅっと深呼吸した。
「今ここにあるタイムカプセル、1つはあんたので、もう1つは弓弦のよ」
「えっ、千晴とあたしのじゃないの? ていうかなんで弓弦くんのを千晴が?」
「訳あって預かってたのよ。本当は返すつもりなかったし、鈴加に見せることは絶対ないと思ってた。今も実は躊躇ってる。自分でもどれが一番いい選択肢なのか分からないの」
預かってるという表現はかなり美化しているのだが、まあこの際細かいことはいいだろう。『人質』として弓弦を脅す最強かつ唯一の切り札はこれだ。
「もしかして最近ずっと悩んでたのってこのこと?」
「……気付いてたの?」
「うん」
千晴は驚いて目を見開く。自分のことで精一杯だったろう鈴加が、些細な変化に気付いていたことに胸がじわっと熱くなる。
「千晴が何も言わないのは訳があるんだろうって思って、あえて聞かなかったんだ。でも、そっか……あたしのことで一生懸命になってくれてたんだね。心配ばっかりかけてごめん」
「そんなことない。むしろ『鈴加のため』って思いながらめちゃめちゃ私情挟みまくりで、逆に足を引っ張ってるんじゃないかって不安で――」
はじめから、余計なおせっかいだったかも。苦々しい気持ちが込み上げて、千晴は聞き取れないほどの小さな声で「ごめん」と謝った。その謝罪の意味を鈴加は知らない。説明するつもりもない。ただ、やるせなさがモヤモヤと燻っている。
「ね、千晴。顔を上げて?」
鈴加の柔らかな声音につられて、顔を上げた。すると、同時に手が伸びてくる。千晴の手を包み込んだ鈴加はとても穏やかな表情で笑っていた。
「覚えてる? 子供の頃から鈍くさくて、いじめられてたあたしを助けに来てくれた時、いつもこうして手を握ってくれたよね。『もう大丈夫。怖がらなくていいんだよ』って。千晴の顔を見たら緊張の糸が切れて、よく泣いちゃったっけ。落ち着くまで一緒に居てくれて、授業に遅れたら、一緒に頭を下げて謝ってくれた。千晴は人気者で、みんなの憧れだったから、どうしてあたしなんかと仲良くしてくれるんだろうって不思議で、時々すごく不安だったんだ。自分と一緒に居ることで千晴に嫌な思いさせちゃったらどうしようって。そしたらね、弓弦くんに怒られちゃった」
「あいつに?」
「うん。釣り合うとか釣り合わないとか、周りが何と言おうと関係ない、本人たちがどう思ってるかが大事なんだって。それに、守ってもらってばかりだと思うなら、千晴が困ってあたしを頼ってくれた時、精一杯力になってやればいいんだって。誰かの存在がただそれだけで力になることもあるんだって言われて、その言葉がね、ストンと心に落ちてなじんで、肩の力が軽くなったの。だって本当にその通りだったから……」
思い出を慈しむように、鈴加は千晴を見つめた。
「学校でどんなに辛いことがあっても休まずに行けたのは、千晴がいてくれたからだよ。特別なことなんてなくたって、千晴がそこにいるだけで元気が湧いてきたの。それでね、いつか、あたしも千晴にとってそういう存在になれたらいいなって思ってた。それはずっと変わってないありのままの気持ち。あたしはまだまだ頼りないかもしれないけど、いつでもここにいるから。千晴が困った時は、どこへだって飛んでいくからね」
にひひ、と明るい笑顔を浮かべ、ギュッと手に力を込める。危うく涙腺が緩みそうになり、千晴は赤くなった瞳を見られないよう視線を外した。
「バカね。あんたは最初から、私を助けてくれてたわよ。むしろ守られていたのは、私の方」
なんだか今日はいつもより、本音を零したくなる。千晴はそっと手を離し、鈴加に渡したタイムカプセルを見遣った。
「このタイムカプセルを開けたら、色んなことが変わってしまうかもしれない。だからできればこのまま捨てた方が幸せになれるんじゃないかって何度も思ったわ。でも、それを決めるのはわたしじゃないから……あるべき場所に還す。これは鈴加が持っていて」
「確かに渡したからね」。千晴に念を押され、鈴加はコクリと素直にうなずいた。それ以上追求できる雰囲気ではなかったので、この話はここで途切れた。
それから店を出るまでの間、楽しげに笑っていた千晴の隣で、鈴加は胸に宿った違和感の正体に戸惑いを覚えていた。
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