第30話 知られざる戦い


 鈴加と東が警察へ行くことを決意し、千晴と合流する直前。理事長から『高橋さんの処分については内々に』との連絡を受け、ほくそ笑む女が居た。


 「彩葉様、どうかしましたか?」

 「いいえ、なんでもないわ。行きましょう、みなさん」


 ひらりと踵を返し、ぞろぞろ親衛隊を引き連れる様子はそれだけで目立つ。校門を通り過ぎようとしたその時、一台のベンツが流れるように停車した。運転手は榊だ。後部座席から弓弦が降り立つと、場の空気が一変する。突然現れた、貴公子然とした佇まいの美形に目を奪われ、彩葉は足を止めた。


 「貴女が西園寺さんですね?」


 思いがけず名を呼ばれてドキッとする。見知らぬ青年に声をかけられれば大抵身構えるものだが、彩葉は違った。すぐに体勢を立て直し、魅惑的な笑顔を浮かべて応じる。


 「まあ、わたくしに何か御用かしら?」

 「私は高橋さんの知人で、大神と申します。失礼を承知でお願いします。例の件で少しお時間頂けませんか?」


 僅かに瞠目した後、周囲に気取られない程度に瞳を曇らせた彩葉は、沈黙した。高橋に関する「例の件」というのは、タイミング的に理事長の呼び出しのことだろうと察しはついたものの、対応が早過ぎた。躊躇う彩葉と対峙する弓弦は落ち着いていて、余裕さえ感じさせる。立ち居振る舞いはいかにも育ちが良く、身に着けている品々も上質だ。庶民くさい鈴加と接点があるとは考えられないが……。


 (この方は、あの子の何ですの……?)


 訝しげな視線に気付いた弓弦は薄く笑み、「私はここでお話してもかまいませんよ」と付け足した。表面上穏やかな態度だったが瞳の奥は冷ややかで、喉元に鋭利な刃物を押し当てられているような恐怖を覚えた。


 (……ここは大人しく従った方が良さそうですわね)


 彩葉は適当な理由をつけて親衛隊を追い払うと、滅多に人の通らない裏路地へ移動する。大学近辺の通りは日中、夕方にかけて込み合うものの、社会人を中心としたフレックスタイムの学生と入れ替わった後の時間帯は意外と空いている。


 「それでお話とは? できれば手短にお願いしますわ」

 「すぐに済みますよ。こちらをご覧下さい」

 「……? 何かの暗号ですか?」


 書類に記載されていた数字や英文字の羅列に首を傾げる。要領を得ない彩葉に、弓弦はやや強い口調で問い詰めた。


 「高橋のIDで書き込みされたPCのIPアドレス、そして不正にアクセスしたアカウントの記録ですよ。これを辿れば彼女になりすました犯人を簡単に割り出せました。犯人に接触を図ったところ、あなたの指示だと主張しています」

 「まあ、誤解ですわ。あまり言いたくありませんけど、高橋さんに嫌がらせを受けていたのはわたくしの方ですの。先日も学内の図書館で――」

 「――彼女たかはしを襲わせ、犯人の逃亡を手助けした。学内の防犯カメラにしっかり映っていたぞ。お前とあの男が接触しているあるべくもない場面がな」


 証拠となる密会写真を突きつけられ、彩葉は口を噤んだ。さあっと風が二人の間を吹き抜け、彩葉の長い髪が背中で揺れる。シラを切れないと判断したのか、彩葉は弓弦を挑戦的に見返した。


 「……どうやら思ったより頭の切れるお仲間がいたようですわね。そこまで分かってらっしゃるなら、説明は不要でしょう。もったいぶらずに目的をおっしゃって」

 「ふっ」

 「何がおかしいの?」

 「いや、自分では良く出来た芝居のつもりだったんだろうが、迂闊というか、こんな穴だらけの作戦をよく実行しようと思ったもんだな。自分は特別だと勘違いしてずいぶん偉そうに振る舞っているようだが、実際は中身のない空っぽな――虚栄心が強いだけの、世間知らずの小娘だ」

 「な……っ!?」


 初めて侮辱され、激しい怒りでわなわな震える。反論しようと口を開いたが、笑っているはずの弓弦の目が少しも笑っていないことに気付いて背筋が寒くなる。本能的に敵に回してはいけない相手だと頭の中で警鐘が鳴り響く。じり、と後ずされば、同じだけ距離を詰められる。彩葉の表情が恐怖で引き攣ったのを見て、弓弦は厳かに告げた。


 「安心しろ。ここであんたをどうこうするつもりは毛頭ない。ただ、くだらない茶番に付き合わされたことが少々癪に障っただけだ。しかも、悪戯にしちゃやり過ぎだ」

 「……っ」

 「すぐ理事長に連絡して、今回の事件にあいつが無関係であることを証言しろ。理由はなんでもいい。誤解だったと謝罪するんだ。妙な噂を流すのもやめろ。いいか。金輪際、あいつに近付くな」


 怒鳴られているわけでもないのに、泣き出したい衝動に駆られた。凄絶な怒りに威圧され、カタカタと奥歯が鳴る。彩葉は乾いた唇を開き、掠れた声を漏らした。


 「り、理解できませんわ。あの子を庇って何のメリットがありますの? 何か弱味を握られているなら、わたくしが――」 

 「逆にあいつの弱味を使って従わせる――人質ちはるを盾に黙らせる、か? あまりいい作戦とは思えないな」


 グイ、と彩葉を引き寄せ――もう片方の手で顎を掴んだ弓弦は、ぞくりとするほど冷たく彼女を睥睨した。迫力のある端麗なかんばせが真近に迫り、彩葉は苦しそうに喉をひくつかせる。


 「自分の立場が分かってないようだから教えてやるよ。交渉ってのは、少なくとも相手が対等な場合に成立する。それと、人を見る目がないな。千晴はお前みたいな人間に怯えて尻込みするほど肝っ玉の小さい女じゃない」


 これは実際にしてやられた実体験に基づいているのだが、それは伏せておいた。自身でも思い出すと腸が煮えくり返る屈辱的な思い出だからだ。硬直したまま呼吸を押し殺す彩葉に追い打ちをかける。


 「生憎俺は気が短い。これ以上、あんたのお遊びに付き合う暇もないから念を押しておく。二度とあいつに手を出すな。俺の耳に少しでも不穏な話が入ったら、どんな手を使っても西園寺グループを潰す」

 「ど、どうしてそんな話になりますの!? あなたにそんな権限――」

 「日本三大商社のひとつに睨まれて商売できるほど、ぬるい世界じゃないだろ? 私情云々を仕事に持ち込む趣味はないが、何事にも例外がある。お前は、俺の逆鱗に触れたんだ」


 (日本三大商社……大神……ま、まさかこの男)


 「あ、あなたはOOGAMIの御曹司……!? なおさら理解できませんわ! あなたみたいに立場のある方が、あんな子のために脅迫まがいの真似をするなんて!」

 「あいつのために立ち回ってる奴らはな。利害に突き動かされてんじゃねーんだよ」


 動かぬ証拠を突きつけられ、お得意の『取引』も封じられた彩葉は顔面蒼白になる。やっと自分の置かれた状況に気付き、ずるりと力なくその場に崩れ落ちた。悔しそうに項垂れるわがままな令嬢を前に、弓弦はネクタイをキュッと締め直す。そのままポケットのスマホを手に取り、榊の待つ車の方へ歩き出した。


 女子生徒達の熱い視線を一身に受けながら涼しい顔で後部座席に乗り込むと、


 「弓弦様、大丈夫ですか?」


 榊が気遣わしげに訊いてきたので肩を上下させる。


 「問題ない。およそ予定通りだ。悪いな榊、面倒に巻きこんじまって」

 「本当に。貴方はどこまで無茶をすれば気が済むんでしょうね。今回の件、会長おちちうえに知れたら大変な大目玉ですよ。OOGAMIのネットワークを私用で使うなど」

 「コネってのは使うためにあるんだよ。それより、次の予定はどうなってる?」


 悪びれる様子もなく飄々とのたまう主に、苦労性の榊は嘆息した。弓弦は発車したタイミングでスマホを取り出し千晴に連絡する。ワンコールで応答したあたり、相当気を揉んでいたことが窺えた。


 「遅いじゃない! で、どうなったの?」

 「落ち着けよ。詳細は話せないが、解決した。それより高橋はどうした。そこにいるのか?」

 「ええ、ついさっき合流したわ。王子様も一緒よ」

 「そうか。俺はこれから会社に戻る。鉢合わせないよう、しばらくそこに居てくれ」


 鈴加が他の男と一緒と聞いても、ちっとも堪える様子のない弓弦。少しは動揺するなりしなさいよ、可愛くない――などと思ったことは絶対に口に出さないが。


 「了解。あと、ついでに報告するわ。これから三人で警察に行って、事件の被害届を出す予定よ。あずまくん、犯人を目撃したらしいの。図書館の防犯カメラに映っているかもしれないから、それを解析して――」

 「警察はやめておけ」

 「は? なんでよ。身の潔白を証明するには良いアイデアじゃない?」

 「たとえ無実だと分かって、あいつの生活はどうなる? 残り一年、大学で過ごすんだぞ。学内で暴行未遂事件が起きたと分かれば、報道は避けられないだろう。となれば、プライバシーなんてあってないようなものだ。それでなくても今回、彩葉とかいうバカ女を襲った濡れ布を着せられて注目を浴びてる。元々の性格を考えてみろ、気丈に振舞っていても負担は相当だ」

 「あ……」


 鈴加が涙を見せず、むしろしゃんと背筋を伸ばしているのを見て、千晴は忘れていた。普段は些細なことで泣きついてくる鈴加が、いざという時に発揮する気骨の強さを。だが、彼女の持つ生来の性質は穏やかで優しいものだ。一生懸命、気を張って振舞っているに違いない。


 「ついでに言うと、あいつまだ就活中だろ? 近々最終面接を控えてるって聞いたぞ。万一どこからか情報が洩れて、警察沙汰になったことを知られたら心証は良くない」

 「でも、鈴加は被害者なのよ? 何も悪いことなんて、」

 「そんなことは議論しても意味がない。正攻法が常に勝つとは限らないんだよ。悪いようにしないから、今回の後始末は俺に任せろ。犯人にはしっかり罰を受けてもらう。お前はあいつについててやれ。いいか、絶対早まったことはするなよ」


 ぴしゃりと上から目線で諌められ、千晴はむかっ腹が立った。


 「無茶苦茶言ってくれるわね。あんたが割り出したっていう犯人に間違いはないわけ? 万一それが外れで、不特定多数の女生徒を狙ってたとしたら、シャレにならないわよ? 鈴加の性格、分かってるでしょ。自分が黙ってたせいで何かあったら絶対落ち込むわ」

 「俺の情報網を舐めるな。犯人については裏を取ってある。が、お前元々の目的忘れてるだろ。いいか、たとえ犯人が誰であったとしてそんなもん関係あるか。顔も名前も知らない人間が複数狙われているかもしれない、そんな不確かな情報のために振り回されてたまるかよ。高橋への被害を最小限に留める、あいつが気兼ねなく幸せに大学生活を送ること、それ以上に優先することがあるか? 余計なことは考えるな。とにかく警察沙汰は思い留まらせろ。いいな」


 一方的に切られた電話に、千晴はあんぐり口を開けた。ここにきて本音を漏らし――鈴加を守ることを最優先に考える――弓弦の不器用で、乱暴で、けして褒められないやり方に呆れた。だけど他の何を差し置いても、本人が知ることがなくても、鈴加を守ると言う強い意志を感じる。それは東とはまた違った、ずいぶんひねくれた愛情表現だった。


 ――――バカじゃないの、ほんとに!


 握り締めたスマホに向かって悪態を吐き、大きなため息を零した。


 「どうしたの、千晴。電話、大丈夫だった?」


 東の傍らで心配そうにこちらを見つめる鈴加に、千晴は戸惑いを覚えた。このまま順調にいけば二人は秒読みだ。恵まれない青春時代を取り戻すのに、東以上の相手はいないだろう。誠実で、優しくて、素直に思った言葉を口にする。鈴加が振り回されて不安になることもなく、幸せで、穏やかな未来を描ける理想の相手だ。それなのに、どうしてこんなに胸がざわつくのだろう。どうしてやりきれない気持ちになるのだろう。


 ――――色んな人が鈴加の幸せを願ってる。私もそのつもりだった。だけど、どの選択肢が一番正しいのか、分からない。弓弦のことは利用して、あいつがいなくなるのを黙って見届けるのが友情……?


 「わわ、千晴!?」

 「……ごめん。10秒だけこうさせて」


 ギュッと抱き締められた鈴加は、珍しく弱った様子の千晴の背にそっと手を回した。

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