閑話 西岡さんと島田くん4


 「ここは公の場だ。そういうことは人目につかない場所でやってくれ。いい迷惑――」

 「――遅かったじゃない!」

 「は?」

 「もう、待ちくたびれたわ。ダーリン♡」

 「「はあああああ!?」」


 男子二人が同時に叫んで、キーンと耳が鳴る。千晴は島田に黒い笑顔を向け、有無を言わさず両手で腕にしがみついた。拒否反応を起こしそうになった島田の足を容赦なく踏みつけ、苦悶する彼を引きずるようにその場を去る。


 「佐藤くん、また委員会でね!」


 最後に爽やかな笑顔で振り向くと、衝撃醒めやらぬ中、佐藤少年は唖然として棒立ちになっていた。少々申し訳ないことをしたなと思いつつ、また迫られても困るので、とりあえず見えなくなるまで島田の腕を離さなかった。そして誰もいない教室に入ると、パッと島田を解放した。


 「ご協力どうも」

 「……君はひどい女だな。二重の止めを刺すとは」

 「? なによ?」

 「彼は佐藤ではない、斉藤だ! 俺の時といい、君はもう少し人の名前を覚える努力をした方がいい」

 「ぐっ! た、確かに間違えたのは悪かったけど! ああいう時は普通、『その手を離せ』とかって助けてくれるのが漢ってもんでしょぉ!?」

 「なんで僕が君を守らなきゃならないんだ! そもそも、思わせぶりな態度を取った君が悪いんだろう!」

 「はあああ!? 言いがりはよしてよ! だいたい、ちょっと話しただけで『好き』とかおかしいでしょうよ! 相手のことなんにも知らないくせに!」 


 一通り応酬を繰り広げ、二人はぜえぜえ息を切らした。教室に静寂が戻り、熱気が霧散する。


 「……とにかく。勘違いされるのが困るなら、意識して距離を置くことだ。そうすれば相手も必要以上に踏み込んでくることはないだろう」

 「へーえ。さっすが、おモテになる殿方は言うことが違いますなあ」

 「なんだそれは嫌味か」

 「いーえー。この間、可愛い女子に呼び出されてたじゃない」

 「何の話を――」


 不愉快そうに顔をしかめた島田は、数秒後に合点がいった。「ああ、あれか」と納得し、両腕を組む。


 「あの時は、とある男子を慕っている女生徒に、恋人の有無を確認していほしいと頼まれたんだ。彼とは特に親しいわけじゃないが、席が近いからだろう。回りくどいことをせず本人に聞けばいいだろうに、面倒なことをする」

 「へ……」


 (なんだ。そういうこと)


 怒りがどこかへ吹き飛び、肩の力が抜ける。なぜかもやもやっとしていた胸が軽くなり、千晴は気分が良くなった。幾分冷静さを取り戻した千晴を前に、島田は嘆息する。


 「それにしても、もう二度とああいうのはやめてくれ」

 「ん?」

 「さっきみたいなことだ。誤解されたらどうする? 言っとくが、困るのは君の方だぞ。僕と付き合っているなんて噂が立ったら、笑いものに――」

 「そんな言い方しないで」


 遮った声は静かだった。が、言いようのない怒りが含まれているのを感じ取り、島田は黙った。どうして千晴が機嫌を損ねたのか、全く理解できないといった顔だ。他方、千晴は厳しい視線を緩めず続けた。


 「自分を卑下しないでって言ってるの。少なくともあなたは他人を外見で判断しないし、意味もなく見下して笑ったりしないわ」

 「西岡……」

 「……」

 「何か変な物でも食ったのか?」

 「食っとらんわ!」


 ムカついて鞄を投げてしまった。顔面に命中する直前にそれをキャッチし、島田は呻く。


 「君は本当に裏表が激しいな! 本性現してから凶暴過ぎるぞ!」

 「そういうあんたこそ、初めから全然ブレない失礼野郎ね! さっさと鞄返してよ!」

 「投げておいてよく言うよ!」


 忌々しげに投げ返された鞄を受け止め、千晴はフンッとそっぽを向いた。そして、投げた拍子にぼとりと落ちたチョコの存在に気付かず、踏んでしまってから悲鳴を上げた。千晴の血色が引き、島田はチョコに視線を落とす。


 「プレゼントか?」

 「ううん、ちょっとした余りものよ。誰かにあげてもいいかと思って持ってきたけど……」


 島田はすっと屈んでチョコを拾い上げ、軽く袋を撫でて皺を伸ばした。ハート型のチョコは見事に二つに割れていた。何より、上履きの跡がくっきりついたラッピングが最低だ。しかし、島田は気にも留めない様子でこう告げた。


 「なら、僕が貰ってもかまわないか? ちょうど糖分が欲しいところだった」

 「え、でも」

 「ボランティアへの迷惑料ということで」


 靴箱での一件を思い出し、千晴は口を噤んだ。確かに島田には迷惑をかけてしまった。


 「ごめん。アレは私が悪かったわ。万一変な噂になったら、きちんと弁解しとくから」

 「今更僕相手に猫被っても通用しないぞ」

 「そんなんじゃないわよ。本当に、今朝は迂闊だったわ。名前を言い間違えるなんて、初歩的なミス。もっと気を引き締めないと……」


 ――人間関係に綻びができては困る。「優等生」の顔に戻ると、千晴は割れたチョコを回収すべく手を伸ばした。が、島田の方も袋を手放そうとしない。


 「……? どうしたの。迷惑料なら明日、別な物を――」

 「難しく考えすぎじゃないか」

 「え?」

 「君が周りの人間に信頼されるのは、君がそうあろうと努力してきた結果だろう。それがどんな目的であれ、事実、君に助けられている人がたくさんいるんだ。それは誇っていいことじゃないのか? たとえ君が素の自分を見せたとしても、それで離れていったりしないだろう。高橋さんがいい例だ」


 思いがけない言葉に瞳を見開き、千晴は言葉を失った。観察眼に優れた男だとは思ったが、自分の気にしていることを的確に当てられれば、言い淀んでしまう。


 「あの子は特別よ。私とは違う」

 「僕から見れば君と高橋さんは似てるよ」

 「バカ言わないで」


 これ以上心を暴かれたくない。チョコの回収は諦め、千晴はくるりと背を向けた。


 「これ、本当は高橋さんと食べるつもりだった?」

 「ま、他に渡す人がいなかったらね。でも鈴加にはもっと良いものを用意してあるから大丈夫」

 「君、ほんとに高橋さんのこと好きだな」

 「な……っ」


 恥ずかしい台詞につられて振り向き、ドッと胸が鳴る。鉄仮面と呼んでも差し支えない、いつだって能面みたいに無愛想な島田。それが今、笑っている。眼鏡越しに注がれる柔らかな視線がくすぐったくて、息が詰まる。


 「い、言っとくけど。それ、義理チョコですらないからね? 勘違いしないでよね!?」

 「うん、分かってる」


 余裕の微笑を浮かべた島田は、慌てて日直仕事に取りかかった千晴から視線を逸らした。ほどなくして校内が賑やかになる。クラスメイトが来れば、何事もなかったように涼しい顔で挨拶するだろう千晴を思い、少し可笑しくなった。――――必死で取り繕う顔が可愛いと思ったことは、もう暫く黙っておこう。

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