第28話 陰のナイト
「お願いだから出てよ」
苛立ちながら何度めかの発信でそう呟いた時、相手が電話に出た。「今度は何だ」――超不機嫌そうな声の主は、魔王こと弓弦である。これから外出だと切られそうになり、千晴は鈴加がピンチだと伝えた。とにかく時間が惜しいので、言い争っている暇はない。要点を一気にまとめて伝えると、黙っていた弓弦はドンッと強く壁を叩いて悪態を吐く。
「クソ! ふざけたことしやがって!」
怒りを隠そうともせず、舌打ちした弓弦は取り乱していた。電話口の向こうで忙しなく歩き回る靴音がして、千晴は面食らった。正直、弓弦がこうも冷静さを欠くと思わなかったのだ。だが、大切なのは過ぎたことより、今、鈴加をどう助けるかということだ。
「あんたがパニクッてどうすんのよ。大変なのは鈴加なんだから、しっかりしてよ」
辛抱強く宥められ、「そんなことは分かっている」と低く唸った弓弦は、数秒言葉を切り、やや落ち着きを取り戻した。
「あいつのアカウントで書き込みされた掲示板、関連するリンクを全部送れ。犯人を割り出してやる」
「犯人を割り出すってどうやって? まさか、違法なことする気じゃないでしょうね」
「バカ言え。俺がそんなことをする人間に見えるか?」
「モロに見えるから聞いてんのよ」
訝しげに牽制すると、弓弦は口を噤んだ。一体何をする気だったのかと頭が痛くなる。呆れながらこめかみを押さえた時、意外な言葉が返ってきた。
「お前、怒らなかったのか?」
「は? 怒ったに決まってるでしょ。鈴加に酷いことする人間はみんな許せない」
「いや、それは分かってる。そうじゃなくて、あいつが色々隠してたことだよ。話の流れからして、お前なら絶対、雷落とすと思ったけど」
「……怒る資格なんてないから」
ふっと自嘲気味に笑った千晴は、胸に燻っていた想いを零した。
「私が頼りになれば相談してくれたはずだもの。そうしなかったのは、私が不甲斐ないせい。だから鈴加は悪くない」
普段なら決して他人に――しかも宿敵相手に弱音を吐くなんてしない。鈴加の前では気丈に振舞っていたが、それでも千晴にはショックが大きかったのだ。何より、大変な目に遭っていた時、知らずに呑気に過ごしていた自分が許せなかった。小さな変化に――SOSのサインに気付けなかった。親友なのに。
「それは違うだろ」
「え?」
「あいつがお前に相談しなかったのは、お前が頼りないからじゃない。大切で、危険に巻き込みたくなかったからだ。きっと立場が逆でもお前は同じことをしたんじゃないか。大切な人を進んで危険に晒すバカはいないだろう。だが……」
「な、なによ?」
「お前は悪くない。あいつに頼りにしてもらえなかったことより、相手が大変な時、力になってやれなかったことが悔しいんだろ? 心配しなくても、何かしてやる、やらないに関係なく、お前はあいつの親友でかけがえのない存在だ。自信持てよ」
「……っ!」
自分の欲しかった言葉をそっくりそのまま告げられ、千晴は固まった。鈴加が困っていた時、いつだって側にいたのは自分だった。それなのに東が今はその位置にいて、鈴加を見守っている。鈴加には自分の他に友達と呼べるような人はいなかった分、ずっとべったりだった。だから信頼できる人間が側にいてくれて心強いと思う反面、東に親友を奪われたような気持ちになっていたのだ。鈴加の成長を見守り、喜びながら、遠くなってしまうようで寂しかった。
一緒に理事長室に行くと言った時、だめだと否定した鈴加の目は、もう千晴の背中で怯える小さな女の子ではなくなっていた。まだ覚束ないところがあるものの、立派に自分の足で立って歩ける大人の女性に近付いている。
「色んなことが変わっていっても、近くにいるとなかなか気付けないもんだ。気付いた時に初めて焦ったり、寂しくなる。それは自然なことだ。気にするな」
「へえ……あんたも少しは変わったのね。そんなこと言うなんて」
「俺は昔からこの調子だ。相手によって態度を変えているだけだ」
「前言撤回。やっぱりサイテー」
弓弦は軽く笑って受け流した。それが気に入らなくて唇を尖らせていると、ふっと気配が堅くなる。
「千晴、頼んだぞ」
「何をよ」
「バーカ。高橋だよ。あいつ、普段はべそかいてるが、いざとなったら向う見ずな行動に出るのは知ってるだろ? 側にいる奴が注意してやらないと、守ってやれない。だから踏ん張れ。親友なんだろ?」
「……!」
「犯人は必ず俺が見つけ出す。それまであいつの側を離れるな」
「鈴加には頼りになる王子様がついてるから大丈夫よ」
「そうか」
意地悪を言ったつもりだった。それなのに、心底ホッとした声が返ってきて、とても居心地が悪くなる。鈴加は何も知らない。こうして何度も陰で――おそらく自分が把握していないところでも――鈴加のために立ち回っている弓弦。はじめは復讐心から利用するだけしてやるつもりだったのだが、最近の鈴加に対する態度を見ると、迷いが生まれていた。
「あんたはそれでいいの?」
「何が?」
はぐらかされた。触れられたくない部分に触れてしまったらしい。千晴は深呼吸して、なんでもないと言葉を濁した。千晴の迷いを察したのか、今度は弓弦の方が厳めしい様子で釘を刺す。
「いいか、余計な気を回すな。あいつに、俺が関わってることは絶対言うなよ。変に気遣われるのはごめんだからな。それと……あいつを嵌めた人間にはそれなりの報いを受けてもらう。だからこっちは任せて、お前は彼氏とでもイチャついてろ」
「大きなお世話よ」
フン、と鼻を鳴らす。いつもの強気な自分を取り戻せたのは、不本意ながら魔王のおかげかもしれない。絶対、感謝なんかしてあげないけど。やがて通話が途切れた後、千晴はスマホを見つめた。胸の奥がチクリと痛んだのは、良心のせいか、よく分からなかった。
(バカはあんたの方よ。今更そんなに一生懸命走り回っても、鈴加には王子様がいる。あんたの出る幕はないんだから)
言い聞かせるように目を瞑り、ため息を吐いた。鈴加の無事を祈るように振り仰いだ空は、いつの間にか雨が上がり、雲間から燦々と光が降り注いでいた。
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